4

 目を覚ますと、自室のベッドの上だった。
 少しの間、ぽやっと天井を見つめていたが、急速に先程までの出来事を思い出し、全身で跳ねるように体を起こす。
 その拍子に、左手から何かが転がり落ちた。反射的にそちらに目を向けると、スマートフォンだった。
 飛びつくような勢いで、スリープモードを解除する。
 そこに表示されている日付は。
「……昨日だ」
 意識を失う前、愛梨が覚えている最後の記憶より、一日前の日付が示されていた。
 呆然としているうちに、通知音が鳴る。驚いてスマートフォンを取り落としそうになるが、あわあわとしつつも確認したそれは、グループチャットに新しいメッセージが送られてきたことを知らせていた。
(まさか……本当に?)
 ごくり、と喉を鳴らすと、グループチャットを開いた。流れてくる会話は、流行りのカップル配信者についてのものだった。
 既視感のある内容。覚えのある配信者の名前。間違いない。昨夜、同じ会話がこのグループチャットで繰り広げられていた。
「……戻っちゃった」
 ぽろり。つぶやきとともに、今度こそスマートフォンを手から取り落とした。
 信じられない。信じられないけれど、その信じられないような出来事が、現実になっている。
「や……」
 ぐぐっと両手を拳の形に握りしめる。胸に湧き上がるこの気持ちを、表現せずにはいられなかった。
「やったーーーーー!!!!」
 感情のままに叫ぶと、すぐに階下から「何時だと思ってるの! 静かにしなさい!」とお叱りの声が飛んできた。
 けれど、今の愛梨にとってはそんなことはどうでもいい。
 取り返しのつかないと思っていたことが、取り返しがついてしまったのだ。これを喜ばずに何を喜ぶというのだろう。
「……そうだ、夏帆!」
 この事態を作り出した張本人に連絡を取ろうとスマートフォンに手を伸ばし、しかし連絡先を表示したところで、気付く。
「わたし……あの子の電話番号、知らないや」
 スマートフォンを持つようになった頃には、すでに彼女とはほとんど喋らなくなっていた。当然、連絡先も交換していない。
 とはいえ、実家は歩いて数分の距離だ。今からでも、直接会いに行こうと思えば、行けなくもない。
(でも……待って? あの子って、記憶残ってるの?)
 愛梨は当然、時間を遡ったという記憶を保持している。けれど、グループチャットで今も会話を続けている友人たちも、階下にいる家族も、〝明日〟の記憶など持っていないだろう。
 ならば、夏帆はどうなのだろうか? 薬を飲んだ張本人でないのなら、記憶がない可能性もある?
(……そっか。せっかく助けてもらったのに……あの子はそのことを覚えてないかもしれないんだ)
 そう思うと、無性に申し訳ないような、切ないような、そんな気持ちが押し寄せてくる。
(とはいえ、最悪の事態はこれで回避できるわけだし!)
 同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。愛梨は、間違ってもグループチャットに書き込みなどしないように、手の届かない場所にスマートフォンを置いて寝ることにした。

 そうして一夜が過ぎ、翌朝。
(ぜんっぜん、眠れなかった……)
 スマートフォンを遠ざけたは良いものの、無事に「二回目の明日」を迎えられるかという不安と、時空を移動するというあり得ない体験をした興奮からか、愛梨は一睡もできないまま朝を迎えることになった。
 ひとつ前の朝と全く同じ食事をとり、全く同じ番組を見て、家を出た。
 寝不足でふらふらとする頭をなんとか持ち上げながら足を進めていたが、学校が近付くにつれて、徐々に緊張で鼓動が速くなり始める。
(ほんとに……大丈夫かな)
 この後起きる展開は、ちゃんと変わるのだろうか。朝までスマートフォンを触っていないので、失言などしようもないのだが。
 けれど、いざ〝その時〟が来てみなければ、本当の意味で安心はできない。
 うるさく鳴り続ける心臓の音とともに、愛梨は学校へと向かっていった。

 ドアの向こうから聞こえてくるざわめきに緊張しつつ、深呼吸で自分を落ち着かせる。意を決してゆっくりとドアを開くと、いつも通りの教室の光景が広がっていた。
 いくつかのグループで固まって談笑している、授業前の朝の教室。それからぽつぽつと、ひとりで静かに座っている生徒もいる。
 その中に、夏帆もいた。いつも通り、うつむいて本を読んでいる視線は、愛梨の方を見ようともしない。
(……やっぱり、覚えてないのかな)
 と、夏帆のことが気になったものの、愛梨の意識はすぐさま教室の後方へと向く。そこには、〝前回〟の記憶と同じように、愛梨と仲の良い友人たちが集まっている。
 愛梨がやってきたことに気が付き、彼女たちの視線が、こちらを向いた。
「愛梨! おはよー」
 真っ先に声をかけてくれたのは、紗雪だった。一回目の今日、誰よりも先に愛梨を非難した彼女が。
 紗雪の声に続くように、他の子たちも口々に「おはよう」と笑顔で挨拶をしてくる。みのりも、同様に。
 その様子に、本当に〝変わった〟のだと実感する。
 ──魔法は、実在していたのだ。
「お、おは……」
 挨拶を返そうとした、そのときだ。急に全身の力が抜け、膝からがくんと倒れそうになった。近くの机にしがみついて、なんとか床と衝突するのは避けられた。
「愛梨!?」
 友人たちが、慌てた様子で駆け寄ってくる。
(あ、安心したら急に力が……)
 昨日、一睡もできなかった反動だろう。急速に、体が睡眠を求め始めた。
「ちょっと、大丈夫!?」
 肩に手を置かれて顔を上げると、紗雪たちが心配そうに愛梨を取り囲んでいた。へらりと笑顔を向ける。
「平気……昨日全然眠れなかったから、ちょっと……」
「え、寝てないの? 会話に参加してこなかったから、てっきり爆睡してるもんかと……」
 睡眠不足が原因だとわかったら多少は安心したのか、彼女たちの表情が和らいだ。ひとりが、「保健室借りたら?」と提案してくれたので、愛梨はそれに甘えることにする。
「先生には体調不良って言っといて」
 と伝言を頼み、愛梨はふらふらと保健室に向かっていった。