2
「マジだるい~。ていうか、まだ卒業まで一年以上あるじゃん。意味なくない?」
「確かに。なに書けばいいのかわかんないし」
ひとつの机に広げられた、二枚の白紙の進路希望調査票。クラスメイトたちが部活や帰宅でほとんどいなくなってしまった教室で、愛梨は友人のみのりと一緒に、頭を悩ませていた。
先日配られていた進路希望調査表の提出期限が今日であることを告げられたのが、ホームルームでのこと。その時点では、愛梨たちと同じように提出していないと思われる生徒たちが慌てているのを見かけたのだが、みんな放課後になるなりさっさと記入を終えて提出しにいってしまったようで、今や居残っているのはふたりだけとなっていた。
「もう適当でいいかなぁ~。だって別にこれで進路が決まるわけじゃないでしょ?」
調査票の隅の方に、先程からみのりがぐるぐると描き出しているハートマークを見つめながら、愛梨は適当に相槌を打つ。
「いいんじゃない? わたしもとりあえず進学とか書いとこっかな」
愛梨の言葉に、みのりは手元に視線を落としたまま、
「やっぱ進学はしなきゃだよね~。でもさぁ、みのり勉強嫌いなんだよね~」
と甘ったるい声で唇を尖らせる。
「わかる。でもさ、とりあえず大学は出とけって、親が言うじゃん」
「そうなの~。だから、ランクの低いとこでもいいから、とりあえずは行かなきゃかなって」
落書きに飽きたのか、シャーペンを置いたみのりがため息とともに目を伏せた。きれいにカーブを描いたつけまつげが、影を落とす。
「ほんとはね、みのり、配信者になりたいんだぁ」
「……配信者? って、動画の?」
「そうそう。カップルで配信してる人とかいるじゃん。ああいうの」
あー……と曖昧な返答をしながら、愛想笑いを浮かべる。愛梨も日頃から、一般人も気軽に投稿できる動画配信サイトを利用しているし、みのりの言うカップルでの配信というものも、グループ内で話題になったものをいくつか見てみたことがある。
しかし、ああいった動画配信で生活できるほどの収益を得ている人は、ごく一部だろう。進路調査票に「配信者」などと書こうものなら、教師だけでなくそれを伝え聞いた親からも苦い顔をされるのは、容易に想像できる。
それでも愛梨は、世間的に〝正論〟と呼ばれるであろうそれらの言葉を飲み込んで、笑顔を浮かべてこう答える。
「いいんじゃない? 配信者を目指してみるのも」
愛梨の言葉を聞いて、みのりの表情がぱぁっと明るくなる。
「だよね! 愛梨ならわかってくれると思ってたぁ!」
機嫌を良くした様子で、みのりは調査票にシャーペンの先を滑らせ始める。馬鹿正直に「配信者」と書くのかと思っていたが、みのりは「進学」と書き込んでいた。
「とりあえずはね。動画の配信は大学行きながらでもできるし~」
賢明な判断だ、とうなずきながら、愛梨も同じように「進学」と書き込むためにシャーペンを手に取った。
「愛梨は、何になりたいの?」
みのりの問いかけに、ふと手が止まる。顔を上げると、記入を終えたみのりが頬杖をつきながら無邪気な瞳で愛梨を見つめていた。
「え?」
「とりあえずは進学するにしてもさぁ、その後どうするの? 何かやりたいことってないの?」
悪意なく、純粋な興味で尋ねてくるみのりに、気づかれないようにそっと唾を飲み下した。
作り笑いを浮かべる。いつものように。
「うーん……今はまだないかなぁ」
愛梨の返答に、みのりは「え~、つまんないのぉ」と頬を膨らませた。そんな彼女から視線をそらすように、再び進路希望調査票と向き合う。
空欄に、「進学」の文字を無感情に綴った。
今夜もグループチャットはせわしなく稼働している。ベッドに横になりながら、流れるメッセージを目で追っていると、ふとした瞬間に頭の中に靄がよぎる。
何になりたいの? と問いかけるみのりの言葉。それに素直に答えを返せなかった自分。
スマートフォンを投げ出し、仰向けに転がってまぶたを閉じ、大きくため息を吐く。
(お気楽でいいよなぁ、みのりは)
配信者になりたい、だなんて。自分には絶対に口にできない夢だ。
ぱちりと目を開き、スマートフォンを手繰り寄せる。開いたままだったグループチャットを退室し、別のトークルームを開く。
そこには、愛梨の吐き出した愚痴が連なっている。誰ともつながっていない、自分しか見ることのできないトークルームだ。初期設定で登録されているそのトークルームは、名前に「メモ」とついている通り、本来は何か忘れないようにしなければならないことや覚えておきたいことを書き留めるために使う機能なのだろう。
けれど愛梨は、そこを愚痴をこぼすための場所として使っていた。誰にも見られないのを良いことに、人には言えないようなことをそこに書き連ねるのだ。
──時折、そんな自分を性格の悪い人間だと感じることもある。
けれど、どこかで吐き出さないとやっていられないときもあるのだ。胸の中に日々蓄積されていくもやもやを、せめて文字にして何かにぶつけないと、もどかしくて仕方ないようなときが。
そうして、みんなの前ではいつも通りに笑って過ごす。そうすることで、愛梨は自分の平穏を保っている。
『ちょっとは現実見なよって思う』
『配信者として生きていけるなんて、本気で思ってんのかな』
みのりに直接言えなかった本音を、スマートフォンの四角い画面の中に連ねていく。
そうすれば、ほんの少しだけ、胸の内がすっとするような心地になった。
ひとしきり愚痴を書き出しているうちに、段々と眠気に襲われてくる。吐き出すことで、多少は気が楽になったおかげかもしれない。
寝る前にもう一度、通知を鳴らし続けているグループチャットの方を確認しようと、画面を切り替える。
話題に上っているのは偶然にも、流行りのカップル配信者のことだった。今日上がっていた、ふたりでいちゃいちゃしている動画がかわいかった、とのことだ。
(……そういうのって、人に見せる必要あるの? って思うけどな)
とはいえ、みんなの話題に乗っかるためには、どこかで見ておかなければならないだろう。
あまり気が進まないな、と思いつつ、愛梨はとろとろと眠りの世界へ足を浸していった。