知らないふりをしておけば良かった。

 なのに、なぜか放っておけなかった。

 心の中で大きく溜息を吐いてから、一方的に揚げあんぱんを差し出す。

 「良かったら持ってけよ」

 「え、良いの?」

 「穂花、今日は弁当持って来なかったんだ」
 
 「うん。お母さんは昨日からまた出張。それに朝起きるの遅くて、お弁当を作る時間も無かったんだ」

 「朝来る時にコンビニで買えば良かったのに」

 「朝は店員さんの機嫌が悪いからやなんだ」

 「なんだよ、それ」

 「私ね、怒ってる人の顔を見るのが苦手なの」

 「そんなの、大体の人間がそうじゃんか」

 「人の表情や仕草でその人がどんな状態なのかがすぐにわかるし」

 「考えすぎだよ」

 「わかってないなあ、楓は」

 小馬鹿にしたようにニヤついてきたから、僕は思いきり怖い顔をしてやる。

 「怖くないよ。楓は下手だなあ」

 「うるさい。もういい」

 こっちはリスクを背負って話しかけてやったっていうのに。

 そのまま無視して帰ろうとすると、背後から呑気に「ありがとうね」なんて言ってきた。

 騒がしい教室に戻ると、すぐに穂花も帰ってきた。

 穂花は僕が視線を避けているのを察したのか、何事も無かったかのように自分の机の方へと戻っていった。

 そのまま自分達の世界に戻っていくものだと思っていた。けれど、胸を撫で下ろしたのも束の間だった。