中庭にあるベンチに座り、ぼうっと空を見上げる。

 壁を殴った右手がズキンと痛む。恐々と拳に目をやると、内出血をしているのか、ぱんぱんに腫れ上がっていた。頑張れば握ったり開いたりできるから、折れてはいないとは思うけど。

 この腫れは一体どこまで大きくなるのだろう。冷静になると少し怖くなって、すぐに保健室に向かった。

 鼻を刺す消毒のような香りと、来るものを拒まないセーブポイントのような安心感。保健室は特別な空間だなんて、いつもここに来ると同じことばかり考えてしまう。用もないのに訪れてしまう人の気持ちも少しはわかる。

 「失礼します」

 「あら、日野くんじゃない。どうしたの?」

 「新川先生、湿布を頂けますか」

 「どこか痛めたの?」

 「ちょっと……右手を」

 保健室にいる新川先生は、きっと教師として駆け出したばかりなのだろう。僕らとさほど変わらないあどけなさがある。だからだろう、僕ら生徒からはダントツに人気がある。そんな新川先生が僕のことを覚えてくれていたのは、ちょっと意外だ。

 「あら、随分腫れてるじゃない。一体何をしたっていうの?」

 「えーと、慌てていたら机の角にぶつけて」

 「本当にそれだけ?」

 「ほ、本当です」

 「ま、そんなこともあるわよね。ちょっと待ってて」

 拳の腫れ具合を見れば、素人でも何かを殴ったということくらいはすぐにわかるだろう。だけど僕の口から真実は絶対に言えない。
 新川先生もわかってくれているのか、必要以上に追及することはしないでいてくれた。

 新川先生は戸棚の上にあるガラス戸を開けて湿布を取り出すと、手の甲のサイズに合わせて丁寧に切り、まん丸になった拳に貼り付けてくれた。

 清涼感のある香りと、皮膚に触れたに瞬間ひんやりとした感触。それだけですぐに腫れが引いていく気がする。でも、

 「うーん……もうちょっと何とかできませんか」

 「あら、ごめんなさい。痛かった?」

 「いえ、あまり目立たない方が良いので」

 剥がれないように丁寧に包帯まで巻いてくれたけど、さすがにこれだといかにも怪我をしましたというアピールをしているようにも見えてしまう。

 「うーん……じゃ、こうしましょう」

 「面倒なこと言ってすみません」

 新川先生は少し考えると、わざわざ貼ったばかりの分厚い湿布を剥がし、皮膚と同じ色の湿布を貼り直してくれた。

 「はい、これで良し。あまり無茶しちゃ駄目よ」

 「すみません」

 お礼ではなく謝罪を口にするのは、罪悪感の方が優っているから。

 突然隣のカーテンに仕切られた部屋から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 「あれ?楓じゃん。おはよー」

 振り向くと穂花がカーテンから顔だけ出し、僕の方をじいっと見つめていた。

 「穂花、体調悪いのか?」

 警戒する人間の居ない守られた環境だと、いとも容易く幼馴染のように振る舞う。僕はずるい。

 「ううん。最近お昼休みはここでゆっくりすることにしてるんだ。せっかくだから、わたしのお弁当食べても良いよ」
 「いらない。というか、食べなくて平気なのかよ」

 「だって、私もともとご飯食べない派の人間だったじゃん」

 そういえば、中学時代に穂花が弁当を食べていたのを見たことがなかった。もしかすると、あの頃もこうして保健室で過ごしていたのだろうか。