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宏弥が二年向けの授業を終えると、西園寺彩也乃が教卓にやってきた。
あの秘密の部屋に呼ばれてからまだ一週間ちょっと。
彩也乃は綺麗な笑みで、
「先生、この後お時間はありますか?」
「何でしょう」
彩也乃は周囲にちらりと視線を向ける。
まだ生徒達が残っていて、おしゃべりは当分終わりそうに無い。
「ご相談したいことがあるのでお時間を頂けないでしょうか。
ここで聞かれるのは少しはばかれるので。
私はこの後時間はありますので先生に合わせます」
「わかりました。
僕もこの後講義はありませんから相談ブースに移動しましょう」
ありがとうございますと彩也乃はアーモンドアイを細めた。
棟を移動し、教務課などの入る棟へ移動する。
ここには進路相談の場所や、学生達が教員に質問する場所もある。
運良くパーティションつきのブースに空きがあったので、そこに二人は入るとテーブルを挟んで向かい合う。
ここには一応四名まで入れるだけの区画で、磨りガラスのようなパーティションで人影だけわかるような状態。
別に個室というわけでは無いので、声も大きくすれば外に筒抜けだ。
「相談内容をお聞きしても?」
宏弥が尋ねると、背筋を伸ばして座っている彩也乃がにこりと微笑む。
「先生が質問したいのを我慢されているのではと」
彩也乃がそう言って目を細めるが、宏弥はその言葉を聞いても特に反応しない。
「西園寺さんへの質問ですか?
特にありませんが」
彩也乃は意図が伝わって無いのかはぐらかされているのか判断できない。
仕方が無いのでもう少し踏み込んで話すことにした。
「もう一つの私について、お答えできることならお答えしようかと思ったんです」
「なるほど」
元々表情の乏しい人だとは思っていたが、ここまで食いついてこられないとやはり自分が影武者だとわかっていて反応しないのだろうか。
彼の闇夜姫への研究熱心さは守護代から報告を受けている。
佐東と接触した際もさっさと席を立って何か情報を聞き出すこともしなかったようだし、どうしてこうも反応が悪いのか彩也乃は納得がいかなかった。
「本当に先生は興味を持たれているのですか?」
業を煮やした彩也乃が面白くなさげに言うと、初めて宏弥の表情が少し崩れた。
口元を緩め面白そうに自分を見ているのに気付き、彩也乃は宏弥が思ったより性格が悪そうだと思えてきた。
「ではお言葉に甘えて一つ質問しても良いですか」
既に宏弥の表情はいつも通り。
なのに質問をしてきたので、話せることならと余裕の表情で彩也乃は返事をする。
「仕事を辞めることになったら貴女は何をしたいですか?」
てっきり、どんな祈りをするのか、どうやって選ばれるのかなどを聞いてくるのかと思えば。
彩也乃はやはり読めない相手だと認識しつつ考えた。
「海外旅行に行きたいです」
「海外旅行ですか」
彩也乃の答えに宏弥が繰り返して先を促す。
「はい。
仕事があるので海外に行ったことが無いんです。
周囲は海外旅行の他にホームステイなどもしていて、それはずっと羨ましく思っていました。
ですから海外に行って色々な物を見たいですね」
「なるほど。
西園寺さんはとても好奇心旺盛のようなので、海外での刺激はとてもプラスになるでしょう」
「先生、何か言葉に棘があるように聞こえますが」
「そんなことはありません。
貴女はどうやら心の中に少年がいるように思えるので」
それには流石に彩也乃も目を丸くした。
子供の頃闇夜姫の影武者に選ばれた。
自分の身を守るために護身術も学んで、礼儀作法の教育も受けた。
それは幼い頃彩也乃は自分から立候補したから、そういう苦労もそこまでは感じなかった。
立候補した理由、それは面白そう、たったそれだけの単純な好奇心。
必然的に幼い頃から交流のあった隆智には、お前の中身は男だろうと言われ喧嘩になった事もしばしば。
そういうのを見抜いているのはごく一部。
それを言い当てられて、彩也乃は宏弥がやはり食えないと思うと同時にこの人なら彼女を支えてくれるのではと考えていた。
『やはり他人が気付かないところに気付く。
世依さんの隠している心を見つけてくれたら良いのだけれど』
影武者として苦労が無いわけじゃ無い。
でも選ぶことすら出来ずに世界に隠れ彼女は一人で立っている。
その事に比べれば。
ふふ、と笑った彩也乃は、
「先生、世の中言って良いことと悪いことがあります。
秘密にしていることを暴くのなら、その責任は取らなければなりませんよ?」
彩也乃は少しだけ身体を前にして、悪戯な笑みで宏弥に向ける。
大抵の男子がドキリとしそうなその表情と態度に、宏弥はとても優しい目をした。
「そうですね。
そうやって人を気遣う西園寺さんも素晴らしいと思います。
仕事とは言えあまり夜更かししすぎないようにして下さい。
他に相談はありますか?」
最初から勉強の質問や進路の相談では無いと見抜いていたのだろうと彩也乃は笑いながらいいえ、と言った。
ありがとうございました、とブースの外で彩也乃は頭を下げ、宏弥が先に出ていくのを見送ってからスマートフォンを鞄から取り出す。
『やっぱり私じゃ無いって確信してるわね。
隆智くんに注意喚起の連絡しておかなきゃ』
手慣れたように文字を入力する彩也乃の表情は、とても楽しそうだった。