大学の講堂では終会の挨拶が終わると拍手が起き、おのおの席を立つ音と会話する声が堰を切ったように広がる。
宏弥も資料を鞄に詰めると会場を出た。

成城学園にあるとある大学。
宏弥はその大学で行われていた古代文学会の大会に参加していた。
建物の外は既に十月半ばともあって風が冷たい。
このジャケットだけでは薄かっただろうかと宏弥は少々後悔しながら歩いていた。

「朝日奈先生」

見知らぬ男の声に宏弥は立ち止まり振り返る。
そこには学長と同じくらいの年齢に見える、スーツを着た男が笑みを浮かべていた。

「蓮華学院女子大学の朝日奈先生でいらっしゃいますね?」

「・・・・・・そうですが」

見たことも無い男だが、もしかして先ほどの会場で一緒だったのだろうかと宏弥は男を確認する。

「先生は闇夜姫をご研究とか」

「失礼ですが、お名前を伺っても」

突然の言葉に宏弥は表情一つ変えずに聞き返す。
確かに古代文学を研究する狭い中では宏弥が変わったことを研究していることを知っている者達はいる。
だが宏弥はこの男がとても学者にも出版社の人間にも思えなかった。

男は目尻に皺を寄せて笑う。

「私は宵闇師として仕事をしていた佐東と言います。
先生、これからお時間頂けませんか?」


二人は成城学園駅の駅ビルに入っているカフェダイニングの店にいた。
日曜夕方、ちょうど空いている時間に窓側一番奥を案内され二人はコーヒーを頼んで向かい合っている。

コーヒーを佐東は飲むと、

「どうですか、先生の研究は進んでいらっしゃいますか」

「単刀直入にお聞きします。
僕に接触してきた目的は何でしょうか」

宏弥の表情は今も変わらない。
だが佐東は何も弱り切っていない顔で、弱りましたな、と笑う。

「話は簡単です。
私達宵闇師のこと、そして闇夜姫についてお話ししたかった。
そしてそれを、貴方に発表して頂きたいのです」

佐東は未だに笑みを浮かべているがその目は物色するように宏弥を見ている。
それをわかっていても宏弥の表情は特に変わらない。

「前提としてあなたが宵闇師なるものかどうか、僕には確認しようが無いので」

「それはごもっともです。
ですのでまずは少々情報開示をと」

「それは、貴方が一存でやって良いことなのですか?」

佐東はニヤリと笑う。
宏弥はずっとこの男を信用していない。
一人だけ、それも大学から離れ宏弥が一人になったときに接触してきた。
おかしいと思わない方がどうかしている。

「一存で言えることだけお話しするのです。
ですのでご満足頂けるお話を出来るかはわかりませんが」

「僕の僅かな知識を集めた事を前提にすれば、貴方がもしも宵闇師なるものとして、闇夜姫を困らせることは出来ないはず」

「あぁ、先生、貴方はよくわかっていらっしゃる!
私の目に狂いは無かった」

佐東は感動したように声を出した。

この男はわかっている。何が一番大切なのかを。
だからこそ我々の目的も理解できるはずだ。

だが宏弥は一層冷めたような目を佐東に向ける。

「そうですか。では失礼します」

宏弥はコーヒーに一度も口をつけず会計票を持って立ち上がった。
佐東はぽかんとそれを見ていて、我に返ると先生!と席から立ち上がり呼びかける。
宏弥はそれの声に振り返ることなく出入り口のキャッシャーへと向かった。

一人席に取り残された佐東は呆然とそれをみていたが、やがてどすんと椅子に腰を下ろす。
絶対に食いついてくると確信していたのに、まさか一切情報を聞かずに立ち去るとは思っていなかった。

『あの男は使えると思ったんだが。
まぁ急ぐ必要は無い。
これで守護代達も動かざるを得ないだろう。ならばこちらにチャンスはある』

佐東はスマホをポケットから取りだし、さっきの出来事を報告するために文章を打ち出した。


宏弥は小田急線の新宿行き急行に乗り、ドア付近にもたれかかった。
急行ともあって割と人は多いが、まばらに席も空いている。

突然現れた佐東と名乗る男。
それも自分を宵闇師として仕事をしていた、と言った。
過去形だ。今はしていないということ。それも引っかかる。

宏弥にしては久しぶりの遠出、それを待ち構えていたところをみると宏弥の情報が漏れていたのかも知れない。
ここに来るのは隆智と世依、そして大学関係者しかしらないはずだ。

宏弥は頭を整理する。
何故あの男が自分に接触してきたのか。

一つは宵闇師達の総意として佐東を使者としてどこまで知識を得ているのか、一体何をしようとしているのかを試しにきた。

次に今の宵闇師達は一つにまとまってはおらず、本来裏で動く宵闇師の中に目立ちたいと思う者達がいるというもの。

どうも一つ目はピンとこない。
闇夜姫を何らかの形で知っているであろう学長が、正面からこちら側に自分を目の届くところに置いたところを見ると、こんな手を使ってくるのは違和感がある。
どちらかと言えば二つ目だろう。

しかしその前提としてあの男が言うことが本当だとするのなら、宵闇師は今も存在する。
ということは闇夜姫も存在するということだ。

それはどういう形でなのかも宏弥にはわからない。

大学の書庫で未だに手がかりを探すが、見つかったとしても小さな破片だけ。
元々確信になりそうなものが置いてあるとは思えなかったが、何年もかけて研究してきたことでその破片も意味を持った。

『何か、変化が起きているのか』

自分が大学に呼ばれたことで、否応なしにその世界に引きずり込まれていることをやっと実感したような気がする。

腕時計を見ればまだ隆智に言われた夕飯の時間にはかなり余裕がある。
家に戻る前に再度書庫に寄ろう。
宏弥はあっという間に過ぎ去っていく車窓を見ながら思案にふけっていた。