*********
丑三つ時。ようは午前二時。
森の中にある古い木で造られた建物は寺の本堂のような作りで屋根は瓦、いくつかの建物と廊下で繋がっている。
その最奥にある部屋の内部は十畳ほどのスペース。
その真ん中に一人の娘が立っていた。
身につけているのは黒一色の衣。
緻密に織られたその衣は、黒一色のはずが艶やかな奥深い色を出している。
袖は振り袖のように長いが衣は上と下で別れており、下は黒の袴が床につきそうな長さ。形だけ言えば平安時代の装束である狩衣に似ている。
服には一切飾りが無く、唯一娘の手には長い木の棒が握られていた。
その錫杖のような棒は娘の頭くらいまである。
上には目に水晶の入った金の鳳凰像が乗っていて、その口先には小さなベルのようなものを咥えており動かす度に高い音が鳴る。
この部屋には大きな大きなろうそくが二本だけ。
娘が軽々とその棒を動かす度に部屋に音が響き、それが外にも漏れ聞こえていた。
前に、後ろに、軽く娘が回転すると柔らかな髪が風に乗るように舞う。
その音が止み、部屋の外で待機していた男二人がタイミングを見て部屋の戸を外に向かって開いた。
「ご苦労様でございます」
目の前に現れた娘に五十くらいの男が深く頭を深く下げた。
「片岡」
娘に名を呼ばれた男は角張った顔を緊張させながらはい、と答える。
「奥様がご病気と聞きました」
落ち着いた声。
あの闇夜姫と言葉を交わす者は限られ片岡もその一人だが、闇夜姫と言葉を交わす時は恐ろしいほどの緊張感に襲われる。
宵闇師は闇夜姫を身体で心で、この人がその方なのだとわかってしまう。
それは宵闇師になるための最低条件。
そもそも宵闇師だけで魔は祓えるが、闇夜姫の祈りがあると無いとでは段違いに違う。
ある意味闇夜姫の力は彼らの能力を底上げする。
そんな闇夜姫の影響を強く受ける宵闇師、それはイコールの能力が強いという事を指し、より強く魔を祓えるのだ。
能力の高い者は姫の近くで仕事をすることが許され、片岡は当然のように力の強い宵闇師の一人だった。
「ご心配頂きありがとうございます。姫のお心を煩わせ申し訳ございません」
片岡の妻はガンということがわかり、既に入院している。
手術を控えているが再発の可能性が高い。
仲間からはまずは宵闇師としての仕事を辞めて家庭を優先してはどうかと言われた。
だが宵闇師をしていることで優遇して良い病院に妻を入れられたのだ。それだけでもありがたい。
頭を下げたまま片岡が言うと、頭を上げて下さいという声におずおずと頭を上げれば、薄暗い廊下でろうそくの火に照らされた姫の表情は優しげだ。
「片岡、週末をもって貴方に宵闇師を降りて頂きます」
姫から宵闇師を辞めるように通告され、片岡は驚いた声を上げながら顔を上げた。
「お待ちください!私は」
「落ち着いてください」
たったその声だけにより一瞬で気持ちが落ち着いたものの、片岡はどう言えば良いのか言葉に窮していた。
ずっと宵闇師として仕事をすることに誇りを持っていた。
それも姫の側を任されてからは、この方を守らねばと強く誓った。それなのに。
「片岡、貴方は国を守るために一緒に闘ってくれました。
仲間も、そして私もどれだけ貴方に助けられたことでしょう。
ですが今貴方がしなくてはならないのは奥様の側にいて一緒の時間を過ごすことです。
奥様には貴方しかいないのですよ?」
片岡は黙ったまま姫の目を見ていることしか出来ない。
自分の何分の一かの年齢の娘は、不思議と母のような感覚を覚えさせる。
闇夜姫には慈悲を司る「観世音菩薩」の生まれ変わりというのは、こういう時に真実なのかもしれないと実感する。
宵闇師は働く対価をそれなり得ている。
だが闇夜姫は幼い頃からその立場に縛られ若い大切な時間を差し出している事に比べれば、宵闇師達には自分たちだけが大変だとはとても思えなかった。
それだけ宵闇師達の闇夜姫へ対する忠義心は基本強い。
そんな自分の事よりも人を愛するこの方にそのような気遣いをもらえたことは誉れだろう。