果たして彼女は、このストラップを覚えているのだろうか? 俺だけがずっと大事に持っていただけかも知れない……。
それでも、俺にとってこの五年間は幸せな時間だった。
結局、最後まで気持ちを伝えられなかったけど……。もう終わりにしよう。
彼女は彼女の道を歩いてる。俺も俺の道を歩かなければ。
どこへ向かえば良いのだろう……?
行き先を失った俺は、当てもなく歩き周り、結局ホームである一組の教室に辿り着いた。教室に近づくと、誰かの声が聞こえてきた。
なんで理沙がここに……?
「相澤くんは、人の気持ちを理解できる優しい人だよ。いい加減なところもあるけど……、良く言えば、おおらかだし。私のことも本当に大事に思ってくれてる。だから私も相澤くんを大事にするって決めたの」
やっぱり、理沙が好きなのは相澤だ。そんなの前から分かってた。でも、こうやって聞くと切ない。
「理沙ちゃん……」
「何よ、それ。ついこの前まで大佑のことが好きだったくせに、もう心変わり? なんて、ふしだらな女なの! こんな女に夢中だったなんて、大佑が可哀想。まぁでも、あんた達は最低同士でお似合いね」
遠野……。俺を思って言ってくれてるのか? 俺がこんなんだから、あいつがこんなに悪者みたいになってんじゃないか……。
「お前……、俺に何言っても良いけどな、理沙ちゃんを侮辱するのはやめろ!」
相澤は理沙の肩を抱き寄せ、遠野を強い口調で責める。
「ムカつく……。何でいつもあんたばっかりそっち側に居るのよ! 昔からそう、こうやって何かあると誰かが守ってくれる。でも……、私には誰も居ない。あんたより頭も顔もスタイルも良いはずなのに……」
彼女は理沙に対して声を荒げる。
遠野はずっと劣等感を感じて生きてきたんだ……。
何を思ったのか、理沙が遠野に近づいていく。すると遠野は、突然ポケットからカッターを取り出した。
嘘だろ……。危ない!
「あんたなんかボロボロになれば良いのよ……」
俺は、カッターを振りかざす遠野に向かって走り出した。ほぼ同時に相澤も動き出し、理沙に覆い被さった。俺は咄嗟に左手でカッターを握り、右手で彼女を抱き寄せた。
「遠野、ごめん。俺がいつまでもハッキリしないせいで。頼むからもうこれ以上、理沙のことも、遠野自身のことも傷つけないでくれ。俺がお前のそばに居るから……」
遠野が俺に好意を抱いていることをしって、彼女の優しさに甘えてた。もうこれ以上、理沙にも遠野にも辛い思いをさせたくない……。ただそれだけだった。
不思議と痛みを感じなかった。左腕に何か液体が伝っていくのは分かったが、それが血液だとはすぐに理解できなかった。
「大ちゃん!」
理沙の声だ……。
急に遠野の全身の力が抜け、膝から崩れ落ちた。それに伴って俺もしゃがみ込む。俺は、泣きじゃくる彼女の頭を撫でて慰めることしかできなかった。
理沙と遠野、二人が怪我しなくて良かった。ホッとしたら、急に左手がズキズキと痛み出してきた。よく見たら、血流れてるし……。カッターを素手で握れば、そりゃあそうか。
そんな時、廊下の方からら尚人と彼女の声が聞こえてきた。
「ねぇ、凛ちゃん! 試合中の俺、かっこよかったでしょ? ねぇねぇ、もう一回『かっこよかった』って言って!」
「あー、はいはい。かっこよかったです」
「おぉ、皆……。えっ⁉︎」
尚人達は教室に入って来るなり、現場を見て呆然とする。そしていつもうるさいあの男が、騒ぎ始めた。
「大ちゃん、ヤバいよ。血出てる! えっ⁉︎ 何、何なのコレ?」
「尚人、頼むからちょっと黙って」
「いやいや、この現場を見て黙っていられる? いやー、無理無理!」
「私、うるさい男は嫌いなんだけど……」
「あっ、はい。すみません」
好きな人に嫌われたくない一心で、尚人は必死に口を塞いでるように見えた。
さすが、尚人のコントロール上手いな……。
理沙の友人は、焦る様子もなく俺の手にハンカチを当て、止血をしてくれた。それから俺と遠野は保健室に向かった。
「……ごめん……な……さい」
プライドの高い遠野が、人目を憚らず泣きながら謝罪をする。
「遠野のせいじゃない。俺が勝手にやったことだから、気にすんな。理沙と遠野に怪我がなくて良かったよ」
「そんなの嘘……。本当は、理沙ちゃんが無事なら私なんてどうなっても良かったでしょ?」
「そう決めつけてるのは、遠野自身だろ。俺は本当に二人共守りたいって思ったよ。俺にとって、理沙も遠野も大切な存在だから……」
彼女うつむいて黙り込んだまま歩いている。俺は自分の思いを口にする。
「ずっと理沙のことが好きで、幼なじみとして見守ってきた。時には恋人気分だっり、兄のような、父親のような気分にもなった。どんな関係でも、彼女のそばに居られるならそれで良いって思ってた」
彼女は黙ったままだが、不思議と俺の話を聞いてくれている、と感じた。俺はそのまま話し続ける。
「いつの間にか理沙は、俺より大切な存在を見つけた。そして、そいつも彼女を大切に思ってる。遠野の言う通り、二人を見てると腹立つぐらいお似合いでさ……。今は、結婚する娘を見送る父親のような気分だよ」
「何それ……。好きなら諦めなければ良いじゃん!」
遠野の呼吸はいつの間にか整い、普段通りに話せるようになっていた。そして、拗ねたように話した。
「言ったじゃん、父親のような気分だって。一人の女子として好きっていうのは、いつの間にか卒業したんだよ。今は他に守りたいって思う人が居るからさ……。そいつ、プライド高いし、嫉妬深いし、ツンデレだけど、裏を返せば、自分の意思がしっかりあって、一途で、恥ずかしがり屋の甘えん坊なんだ。俺が一番辛い時、ずっと健気に支えてくれてた……」
彼女は何を考えているんだろう?
うつむいて歩く彼女の表情が読み取れない。
俺は立ち止まり、彼女の名前を呼ぶ。そして、振り返った彼女に自分の気持ちを伝える。
「遠野! 俺は、お前が好きだ。良いところも、悪いところも。これからもそばに居てくれ」
彼女は振り返って、偉そうに答える。
「しょうがないから、そばに居てあげる」
「上から目線ですか……。まぁ、遠野らしいけど」
俺達は見つめ合い、にっこり微笑むのだった。