私はストラップを握りしめ、彼を探しに学校中を歩き回っていた。

 体育館にも校庭にも居ない。教室に居るのかも知れない……、そう思った私は、一組に向かう。
 
 すると男女の話し声が聞こえてきた。ドアに近づき、小窓から覗き込むと、相澤くんと瑠美ちゃんが何やら険悪なムードで話している。

「あなた達も上手くいってるみたいね。欲しかったものが手に入って良かったじゃない。お陰で、私も彼を手に入れられたわ」

 笑顔を見せながら話す瑠美ちゃんとは対照的に、怖い顔の相澤くんが居た。

「それで幸せなの?」

「はぁ? 何が言いたいわけ?」

「結局片思いのままじゃん。相思相愛じゃないのに、恋人気取りで幸せなのか? って聞いてんだよ。俺は、理沙ちゃんが好きになってくれなくても、そばに居てくれるだけで満足できると思ってた。けど……」

「けど、何⁉︎ 本気で自分を好きになってもらいたいって? そんなの無理だって分かってたでしょ。だから私の計画に手を貸して、あの二人を引き離したんじゃない。所詮、あなたも卑怯者じゃない!」

 嘘……、全部瑠美ちゃんの計画通りだったってこと? 相澤くんのあんな辛そうな顔、見たことない。

「このまま卑怯者でいたくない。だから二人にはちゃんと謝る。今ならまだ間に合う。だから……」

「あんたみたいな最低男、謝ったところで誰も本気で好きになんてならないわよ! 私は謝らない。ここで失ったら、今までの努力が無駄になる」

 私はショックで動けなかった。でもどうしても相澤くんを「最低男」と言う、瑠美ちゃんが許せなかった。

 勢いよくドアを開け、教室へと足を踏み入れた。二人は驚いた様子で私を見つめる。
 私は相澤くんの目の前に立ち、そして彼女に向かって真顔で言う。

「相澤くんは、最低男なんかじゃない!」
「いきなり何なの?」
「相澤くんは、人の気持ちを理解できる優しい人だよ。いい加減なところもあるけど……、良く言えば、おおらかだし。私のことも本当に大事に思ってくれてる。だから私も相澤くんを大事にするって決めたの」

 相澤くんの涙ぐむような声が背後から聞こえてきた。

「理沙ちゃん……」

 私の強気な態度が気に食わなかったのか、瑠美ちゃんは更に語気を強めた。

「何よ、それ。ついこの前まで大佑のことが好きだったくせに、もう心変わり? なんて、ふしだらな女なの! こんな女に夢中だったなんて、大佑が可哀想。まぁでも、あなた達は最低同士でお似合いね」
「お前……、俺に何言っても良いけどな、理沙ちゃんを侮辱するのはやめろ!」

 相澤くんは私を庇うように肩を抱き寄せ、彼女に怒り口調で話すのだった。こんなにも声を荒げる相澤くんを、私は初めて見た。

「ムカつく……。何でいつもあんたばっかりそっち側に居るのよ! 昔からそう、こうやって何かあると誰かが守ってくれる。でも……、私には誰も居ない。あんたより頭も顔もスタイルも良いはずなのに……」

 彼女は怒鳴っている間に、悲しみや私への憎しみが込み上げてきて泣き始めた。
 私は冷静に話をするため、相澤くんから離れて数歩踏み出した時、彼女は突然ポケットからカッターを取り出した。

「あんたなんかボロボロになれば良いのよ……」

 狂ったような笑みを浮かべる彼女に、恐怖しか感じなかった。後退りをした時、何かに引っかかって尻もちをついた。見上げる先には悪魔のような姿の彼女がカッターを振りかざす。

 私は逃れられないと観念し、息を呑んで固く目を閉じた。

 ……あれ? 

 目を開けると、相澤くんが庇うように私に覆い被さっている。そしてよく見ると、相澤くんの向こう側にはもう一人、男子が立って居る。

 あの後ろ姿は……、大ちゃんだ。

 大ちゃんは、瑠美ちゃんの振りかざしていたカッターを素手で掴み、もう片方の腕で彼女を抱きしめていた。

「遠野、ごめん。俺がいつまでもハッキリしないせいで。頼むからもうこれ以上、理沙のことも、遠野自身のことも傷つけないでくれ。俺がお前のそばに居るから……」

 大ちゃんは泣きそうな声で瑠美ちゃんを抱きしめたまま話す。左腕には暗褐色の血液がスーッと、つたうように流れている。

「大ちゃん!」

 私は思わず声を上げ、立ち上がろうとするが、足が震えて立ち上がれなかった。彼女はカッターを手から離し、床に落とした。そして座り込んで泣き出す。大ちゃんもしゃがみ込んで、右手で彼女の頭を優しく撫でている。

 相澤くんに支えられながら、私は立ち上がり、座り込む二人を呆然と見つめていた。

 すると、偶然にも凛ちゃんと森田くんの声が聞こえてきた。

「ねぇ、凛ちゃん! 試合中の俺、かっこよかったでしょ? ねぇねぇ、もう一回『かっこよかった』って言って!」
「あー、はいはい。かっこよかったです」
「おぉ、皆……。えっ⁉︎」

 二人は目を見開き、現状が理解できていない様子だった。
 このいざこざを大ごとにしないよう、念押ししたのは大ちゃんだった。

「大ちゃん、ヤバいよ。血出てる! えっ⁉︎ 何、何なのコレ?」
「尚人、頼むからちょっと黙って」
「いやいや、この現場を見て黙っていられる? いやー、無理無理!」
「私、うるさい男は嫌いなんだけど……」
「あっ、はい。すみません」

 鶴の一声、ならぬ凛ちゃんの一声だった。森田くんは途端に静かになり、皆の様子を伺っている。
 凛ちゃんは普段の冷静さを取り戻し、ことの理解ができた様子でハンカチを大ちゃんの手に当てた。
 それから大ちゃんと瑠美ちゃんは保健室に向かい、私達は急いで教室の片付けをした。

 凛ちゃんと森田くんに成り行きを説明して理解を得た。

 その後、相澤くんは私を家まで送ってくれた。

「相澤くん家、逆方向なのに……。ごめんね」

「好きな子のためなら全然苦じゃないよ。それと謝られるより、お礼を言われた方が嬉しいんだけどなぁ」

 彼は優しく微笑みながら、私の歩幅に合わせてゆっくり歩く。

「相澤くんは優しいね」
「アハハ、よく言われる!」

 笑いながら歩く彼の袖を掴んで、立ち止まる。そして彼をジッと見つめて、話し出す。

「ねぇ、相澤くんの願い事って何? 試合勝ったから、約束守らないと……」
「……理沙ちゃん、俺の彼女になってくれない?」
「入学式の時にさ、先生が目標を持って生活してって言ってたんだよね。その時の私には、目標なんてなかった……。でも、今は一つ大きな目標があるの」
「へぇ、何?」
「相澤くんに見合う彼女になること。どうかな……?」

 彼は嬉しいような泣きたいような顔をして答える。

「もう十分達成されてるよ……」

 手を繋いで歩く二人の背中を夕陽が優しく包むのだった。