私は教室の前で立ち止まり、何回か深呼吸をした。

 一年五組、どんな人達が集まっているんだろう? どうかいい人達でありますように。

 そう心の中で祈りながら、鞄の紐をギュッと握って教室に入った。
 そこには既に多くの生徒が居て、それぞれ自由に過ごしていた。一人で席に座って本を読む人、スマホを操作する人、友達と話してる人、中には化粧直しをする人も居た。

 私は自分の席を探した。苗字が石田なので、窓際の列の前からニ番目。私の前と隣の席には、まだ誰も座っていない。
 後ろの席の女の子は、イヤホンをしてスマホを操作している。見た目は、凛としたクールビューティーという感じで、少し話しかけにくい雰囲気がある。

 挨拶ぐらいした方が良いよね? でもイヤホンしてるし聞こえないよな。話しかけたらかえって迷惑かな? 
 はぁ……、知らない人ばかりで話せる人が居ない。友達を作れる自信ないよ。ここに大ちゃんが居てくれたらなぁ。

 そんなことを思いながら席につき、机の中を覗き込みながら筆記用具を入れていた。すると突然、隣の席にドカッと大きな荷物が置かれた。
 驚いた私は、荷物の持ち主の方を見た。肌は日焼けして黒く、髪は坊主だけどお洒落でよく似合っていた。引き締まった体型で、いかにもスポーツをやっている雰囲気が漂っている。

 「すんません……」

 驚いた表情の私を見て、きょとんとした顔の彼が謝罪をしてきた。

 「いえ、大丈夫ですよ。むしろ私の方こそすみません」
 
 私が謝ると、彼は軽く頭を下げて静かに席に座った。その後も私に配慮するかのように静かに荷物の整理をしていた。

 きっと私を気遣ってくれているんだ。優しい人だな。

 チャイムが鳴り、二人の男女が黒板側の出入り口から入ってきた。
 三、四十代ぐらいのスーツを着た男性教員が名簿のようなものを持って教卓の前で立ち止まり、私達の方を向く。その隣にスーツ姿の若い女性教員も立って、教室を見渡す。

「皆さん、ご入学おめでとうございます。私が担任の佐々木誠です。今日から高校生ですね。突然ですが、皆さんの目標は何でしょうか?」

 佐々木先生は生徒一人一人を見て、そう質問した。少し沈黙が続く。

 私の目標か……、何も考えてなかった。将来の夢も決まってないし。

「目標がある人とない人では、大きな差が出ます。高校三年間というのは、長いようで短い貴重な時間なんですよ。どうか、目標を持って充実した高校生活を送って下さい」

 佐々木先生はそう言うと、数歩右にずれて女性教員に教卓の前を譲った。彼女は、私達に一礼してから話し始めた。

「ご入学おめでとうございます。私の名前は、前田里美です。教員一年目なので、頼りないところがあると思います。皆さんと一緒に学んでいく、という気持ちを持って頑張っていきます。どうぞよろしくお願いします」

 ハキハキと話し、満面の笑みを浮かべてまた一礼した。そして教卓の前に再び佐々木先生が立った。

 佐々木先生も前田先生も、人柄がいい感じで良かった。充実した高校生活の為にも、早く目標を見つけないとな……。

「じゃあ、出席確認しようかな。早速一番から居ないけどね」

 佐々木先生がそう言って私の前の席を見つめる。

 あっ、確かに来てない! 初日から欠席なんて、すごい度胸ある人だな。

 佐々木先生が名簿を見ながら点呼を始める。

 「相澤翔さん……、欠席ね」

 先生が名簿に書き込もうとした時、教室の後ろのドアが突然開いた。
 皆が一斉に振り返った先には、慌てるそぶりを見せずに歩くヤンキーが居た。細身の高身長で、金髪混じりのウルフヘア、耳にはピアスをつけている。
 制服を着崩して指輪などの装飾品を身につけた彼は、どんどん私に近づいてくる。私はドキドキしてしまい、彼から目が離せなかった。

 すごい……。初日から遅刻するところもすごいけど、それ以上にその格好! 先生や先輩の目が気になったりしないのかな? 羨ましいぐらい堂々としてる。
 これが私には皆無なカリスマ性というのだろうか? 自分でも驚くほど、この人から目が離せない。

 彼は私の前の席まで来ると、先生に向かって話し始めた。

「相澤翔です。好きな食べ物はチョコレートです。夜型なので、よく遅刻しますが、よろしくお願いします」

 不良青年でも話し方はまともだ。いや、内容はまともじゃない! 先生何て返すんだろう……?

 恐る恐る先生達の方を見ると、困ったように笑う先生達が居た。

「相澤くん、自己紹介ありがとう。ずいぶん潔いね。遅刻の件は、立場的に容認はできない。でも、その物怖じしないところは君の良さだ。……ただ、服装の乱れは心の乱れ。もう少しキチッと制服を着られるようになると更に良いね。はい、じゃあ座って下さい」

 普通なら、遅刻したことや身だしなみに関して厳しく注意をすると思うけど……。
 相澤くんの良さを褒めつつ、改善点を明確に伝えている。できた先生だなぁ。

 先生の対応の素晴らしさに私は感動した。そのため先生の声が聞こえていなかった。

「おーい、石田さん」
 
 先生がそう言いながら私を見つめて手を振っている。

「あっ、はい! すみません」

 私はそう言って勢いよく立ち上がった。

「緊張してるのかな? リラックスしてもらって大丈夫ですよ。せっかくなので、自己紹介お願いします」
 
 人前で話すことが苦手な上に、自己紹介の内容を考えてなかったため、頭が真っ白になった。嫌な汗がツーっと背中を流れるのが分かった。

 どうしよう……。何を話そう。助けて、大ちゃん。

「……」
「じゃあ、まずお名前を教えて下さい」
「あの……、石田理沙です」
「はい、じゃあ好きな食べ物は何です?」
「甘いお菓子が好きです」
「甘いのは美味しいですね。じゃあ趣味はありますか?」
「おっ……、お菓子を作ることです」
「おー、すごい! 食べるだけじゃなくて、作ることも好きなんですね! じゃあ最後に何か一言お願いします」
「……今の私には目標がありません。だから、これから見つけて充実した高校生活を送れるようにしたいです。よろしくお願いします」

 そう言って深く頭を下げた。すると、先生が拍手をしてくれて、それに続いて生徒達も拍手をしてくれた。私はクラスの人達を見渡して、嬉しい気持ちとホッとした気持ちになった。

「素晴らしい自己紹介でした。ありがとうございます。次に……」

 ピンと張っていた糸がプツンと切れたように、私の緊張が途切れた。しばらく思考が停止した。そのため、私の後ろ数人の自己紹介を聞き逃してしまった。

 ふと我にかえったのは、隣の席の男の子が立ち上がった時だった。

「佐藤裕也です。小学生の頃からずっとサッカーをしてきて、高校でもサッカー部に入部する予定です。人付き合いは上手い方ではないですが、よろしくお願いします」

 サッカーやってるから日焼けしてるんだ! ……納得。

 その人のことが分かると、距離が近づく感じがする。自己紹介って大事だなぁと感じた瞬間だった。