まさか、こんな日が来るなんて。
　
　「好き」の一言がずっと言いたくて、でも言えなかった。そして、もう二度と君とは話すことがないのかも知れない。
　一番近くにいたはずなのに、今は一番遠くに感じる……。

　憎しみよりも喪失感の方が精神的ダメージが大きい。
　俺には理沙しか居なかった。彼女は俺の原動力だったのに……。
　立っている気力も無くなり、崩れ落ちるように椅子に座る。
　そして、しばらくうなだれていると、誰かが後ろからそっと抱きしめてきた。

「山井くんはそのままで良い。私、ずっと昔からあなたのことが好きだった。今も好きだよ。理沙ちゃんを好きなままでも良いから……。あなたの彼女になりたい」

　遠野はそう耳元で囁いた。
　これまでの後悔を洗い流すかのように、俺の涙は枯れることなく溢れ続けた。
　正直、その後のことはよく覚えていない。どうやって家へ帰ったのか。遠野とどんな話をしたのか、何も思い出せなかった。

　心ここにあらず、という状態がずっと続いていた。
　そして、そんな俺を支え続けてくれたのが遠野だった。彼女はいつも明るく笑ってそばにいてくれた。
　理沙の噂を聞いたり、相澤の活躍を知って塞ぎ込むと、それらから守るように優しく包み込んでくれた。

「山井くん、私を彼女にしてください。そしたら今までよりもっと大切にする」

　彼女は強い。自分を好きじゃないと分かっている相手に、こんなにも尽くせるのだから。

「俺は遠野のこと、好きになれるか分からない……。ずるいかも知れないけど、今は遠野の温もりが必要なんだ」

　そう言って、俺は初めて彼女を抱きしめた。

　いつの間にか、体育祭当日がやってきた。
　俺は身長を生かしてバレーボールに参加することとなっている。そして瞬発力の良さを買われ、尚人も抜擢された。
　俺は、いつもより口数の少ない尚人が気になった。

「緊張してる？」
「当たり前だろ！　今日は俺の集大成だからな。コツコツ積み上げてきた努力が吉と出るか、凶と出るか……」
「練習してきたんだから、あとは思いっきり楽しむだけだろ」
「えっ⁉︎ 何で練習してきたこと知ってるの？　しかも楽しむって何を……？」
「えっ……、体育の授業でバレーの練習してきただろ？」

　尚人は、呆気に取られたような顔をして俺を見た。そして、いつものように騒ぎ出した。

「大ちゃんってさ、勉強は出来るけどバカだよね……。俺はバレーの話をしてるんじゃねぇ！　愛する凛ちゃんの話をしてるんだ！」
「あー、そう言えば、その名前久々に聞いたな」

　理沙の友達か……。思えば、彼女との間に溝ができてから、めっきり話を聞かなくなった。尚人なりに気を遣ってくれていたんだ。

「……俺に気を遣って、彼女の話をしないでいてくれたんだろ？」
「はぁ？　お兄さん、色々と誤解してるみたいだけど、別に気遣ってなんかないぞ」
「あっ、そう……」
「凛ちゃんさ、全然俺に興味ないらしくてさ……。そこで俺は、ある作戦を思いついたんだ！　その名も『押してもダメなら引いてみる作戦』だ」
「そのままじゃん」

　俺が呆れ顔で話を聞いていると、尚人は真顔で言う。

「今まで毎日しつこいぐらい連絡してたのに、ピタッと連絡が途絶えたら、人間誰でも気になるもんだろ？　そこで俺が、懸命にスポーツをする姿を見せたら……、凛ちゃんは俺に夢中になること間違いなしだ！」
「恋って、そんな単純なもんかなぁ……」
「ごちゃごちゃ言ってないで、大ちゃんも新しい恋に向かって突っ走れ！」

　暑苦しい奴だなぁ……。それが尚人の良さでもあるんだけど。

　俺達はバレーの試合に臨んだ。順調に勝ち進め、準々決勝に進むことになった。対戦相手は、相澤率いる五組。あたりを見渡し、俺は少しため息をついた。

　理沙が居ない……。

　そんなことなど関係なく、試合は始まった。両チームとも真剣そのもので、誰かが激しいスパイクを打つたびに歓声が沸き起こった。不意に、ネット越しから相澤が話しかけてきた。

「この試合、負けるわけにはいかないんだ」

　気迫に圧倒され、何も言い返せなかった。尚人は、お目当ての彼女に良いところを見せようと一心不乱にボールを追いかける。いつの間にか俺は試合に夢中になっていた。

　……楽しい。

　試合の結果は、一組の敗北だった。悔しさよりも、何故か清々しい気持ちになった。
　試合後、外の空気を吸いたくて校庭に行くと人集りができていた。気になって近づくと、その中心には理沙が倒れていた。

　理沙！　一体何が……？　

　考えがまとまる前に、彼女を抱き上げ、保健室へと歩き始めていた。自分でも信じられない程の行動力だ。俺は必死過ぎて、周りの人間の顔も、声も何も入ってこなかった。
　この世で俺と理沙しか居ない、そんな不思議感覚に陥っていた。

　保健室に到着し、彼女をベッドに寝かせ、優しくタオルケットを掛ける。
　ズボンのポケットに手を差し込み、くまのストラップを取り出した。それを見ながら思う。

　……せめてこいつらだけは一緒に居させてやってくれ。

　理沙が眠る横にストラップをそっと置いた。

「理沙、ずっと好きだったよ。幸せになって」

　俺は、彼女の寝顔を見ながら呟き、静かに立ち去ったのだった。