渡り廊下で立ち尽くす私の元に、相澤くんが歩み寄り、そして優しく肩を抱き寄せる。
私は彼を突き飛ばして泣き叫んだ。
「何で、山井くんにあんなこと言ったの⁉︎ 酷いよ。相澤くんのこと信じてたのに……」
私達は付き合ってなどいない。でも彼は、山井くんの前で「付き合ってる」と、嘘をついた。
相澤くんは切なそうな顔で話す。
「だってこうでもしないと……、彼から理沙ちゃんを奪えないんだもん。俺がどんなに頑張ったって、二人はどんどんお互いのこと好きになっていっちゃう。理沙ちゃんが俺じゃない誰かを思って、照れたり、笑ったり、傷ついてる顔なんか見たくない」
「だからって……」
「だからって、嘘ついていい理由にはならないよね。……ごめん。こんなに誰かを好きになったことないから。理沙ちゃんを失いたくないんだ」
いつも明るく笑っている相澤くんが、初めて涙を流した。そして、母親の愛を欲して泣きじゃくる子供のように、私にしがみついてくる。
私は、そんな彼を突き放すことができず、落ち着かせるように優しく背中をトントンした。
時間は待ってくれない。私の気持ちなどお構いなく時間は過ぎ去り、毎日のように委員会の仕事に追われた。
相澤くんは、私との熱愛報道によって世間からの好感度を上げ、これまで以上にモデル活動が忙しくなった。
一途で優しい彼氏というイメージから、指輪や女性向けの化粧品などのコマーシャルにも出演するようにもなった。
そのことから、私は学校中の生徒から「あげまん」と呼ばれるようになった。
相澤くんはどんなに忙しくても、まめに連絡をくれる。
私を喜ばせるためにサプライズプレゼントをくれたり、本来、一般人は入れない撮影現場に連れて行ってくれたりした。
学校に居る時は、寸暇を惜しんで私との時間を過ごす。
誰かが「人は、そばに居る人を好きになる」と言っていた。それは本当かも知れない。
失恋の辛さから立ち直るために必要なもの、それは時間と新しい恋なんだとつくづく思う。
山井くんと話す機会がなくなり、元々住む世界が全然違っていたことに気がついた。 「幼なじみ」って言葉が、私達を唯一繋いでいてくれた。それを無かったことにしても、それほど支障なく暮らせているのは、きっと相澤くんのお陰だろう。
ある日、相澤くんは何故かメガネをかけて学校へ来た。しかも、私好みの黒縁メガネだ。
かっこいい……。
素直にそう思った。私はつい彼に見惚れた。口をポカンと開け、彼に目が釘付けになった。
「おはよう、理沙ちゃん。口、開いてるよ」
そう言いながら、彼は私の顎に人差し指を優しく当てて、口を閉じてくれた。私はゴクッと生唾を飲み込んだ。
「……おはよう、相澤くん。メガネ、どうしたの?」
「ん、これ? 理沙ちゃんが黒縁メガネ好きそうだからさ」
細い指の先っちょでメガネを少し上にずらし、ニコッと笑う彼の姿に私はたまらなく興奮した。
私は意外と熱しやすい性格なのかも知れない。
「かっ、かっこいいです! 本当に」
前のめりで言う私に、彼は少し苦笑いをしながらも顔を近づけてきた。私は咄嗟に目を閉じると、相澤くんが耳元で囁く。
「『好き』って言ってくれれば、明日もかけてくるよ」
私は顔を真っ赤にして言う。
「す……、好きです。黒縁メガネ」
彼はにっこりして、また顔を近づけてくる。
また耳元で囁く! そう思った私は両手で両耳を隠し、安心していた。しかし彼はシメシメという顔をして額にキスをした。
「俺のことを好きになるおまじないかけたよ」
「えー!」
彼の思わぬ悪戯に、思わず叫んでしまった。彼は雑誌やコマーシャルとはまた違う笑顔を見せてくれる。
彼に心惹かれるようになった頃、体育祭当日がやってきた。参加種目の少ない私は、学級委員でありながら、実行委員ばりに働いた。そのため、相澤くんを応援する暇もなく午前中の部が終わった。
疲れたなぁ……。午後も頑張ろう!
「お疲れ様!」
凛ちゃんが労いの言葉をかけてくれた。
「凛ちゃん、ありがとう!」
「理沙ちゃんの彼氏、頑張ってたよ」
「彼氏って……、まだ付き合ってないもん」
「『まだ』ってことは、これから付き合うことも視野に入れてるんだ?」
凛ちゃんがニヤニヤしながら問いかける。私は困惑した。
「新しい道に進むのもありだと思うよ。前の恋をいつまでも引きずったって良いことないし……」
どこか遠くを見つめて話す彼女は、何だか淋しそうに見えた。
「森田くんから連絡来なくなったの?」
「……うん。前は、うざいぐらい来てたのに。急に来なくなるとさ、やっぱり気になるよね……」
「凛ちゃんから連絡してみたら?」
「えっ、嫌だよ! なんか負けた気になるじゃん」
勝ち負けじゃない気が……。私と山井くんの仲が拗れたせいで、森田くんも気まずくなったのかな?
「ごめん。私と山井くんの仲が拗れたから、森田くんから連絡来なくなったのかも……。私のせいだ」
「何言ってるの? その程度で、連絡して来なくなるなら、そんな男いらないよ」
「凛ちゃん……」
きっぱりとそう言える凛ちゃんが、かっこいいと思った。
その後、二人でトーナメント表を見に行くと、五組の男子バレーボールが準々決勝まで勝ち進んでいた。
「すごい! うちのクラス残ってるんだ!」
私は声を上げた。
「そうなんだよ! 相澤くんと佐藤くんが、わりといいコンビでさ」
「二人とも上手だもんね」
「あっ、噂をすれば……」
佐藤くんが汗を拭きながら、トーナメント表を見に来た。私は彼に話しかける。
「お疲れ様! バレーすごいね!」
「どうも。……相澤、頑張ってるよ」
「そうみたいだね! 『思い出作るぞー』って、張り切ってたから」
「いや、そうじゃなくて。石田さんに本気で好きになってほしいんだって。『ある人に負けたくない』って言ってたよ。それが誰のことを言ってるのかは、分からなかったけど」
相澤くんがそんなこと思ってたなんて……。
負けたくないって、もしかして……。
「へぇ、愛されてるね」
凛ちゃんが茶化すように言うもんだから、私の顔がカァーッと熱くなった。そんな私を横目に、彼女は話し続ける。
「次の試合、一組と対戦だってさ。なんかご縁があるね」
そうか、一組とか。山井くん……、出るのかな? この試合は、見逃しちゃいけない気がする。
昼食をとって、午後の部が再開された。
凛ちゃんと廊下を歩いていると、数メートル先に山井くんの後ろ姿が見えた。
気まずくて、でも少し嬉しくて、やっぱり切なくて、気づかないフリをしようと思った。
すると、私達の後ろから走る足音が聞こえてきて、私達を追い越していく。向かう先は山井くんのところだった。
「待ってよ、大佑。私を置いて行くなんて、酷いよ。……それでも彼氏なの⁉︎」
彼の腕に抱きつきながら猫なで声で話すのは……。
「うわっ、出た! 遠野瑠美」
凛ちゃんが嫌悪感たっぷりに言う。私もあの日以来、彼女が嫌いになってしまい、極力関わらないように生活している。
山井くん、払い除けたりしてない。されるがままって感じで、嫌じゃないんだろうな。私も彼女のように積極的になれてたら、もっと違う展開だったかな……。
うつむいていると、私と凛ちゃんの間にいきなり誰かが割り込んできて、私の肩に腕を回してきた。驚いた私が横を見ると、目の前の男女をジッと見つめる相澤くんの横顔が見えた。
「もう、また⁉︎ これビックリするんだってば!」
「あれ? こんな感じのこと前にもあったっけ⁉︎ まぁそんなことより……、次の試合で勝ったらさ、俺の願い事を一つ聞いてくれない?」
「えっ⁉︎ いきなりどうしたの?」
「いきなりじゃないよ。結構前から考えてた」
前から考えてたんだ……。願い事って、何だろう?
私は考えを巡らせた。
「そんな怖い顔しなくて大丈夫! そんな難しいお願いしないからさ」
「じゃあ……、良いよ」
「マジで⁉︎ やった! じゃあ、また後でね」
彼は嬉しそうに廊下をスキップして行く。
「『廊下は走るな!』って言われるけど、スキップは許されるのかな?」
私は苦笑いしながら凛ちゃんに問う。凛ちゃんも苦笑いしながら「さぁ……」と答える。
「彼、羨ましいぐらい自分の気持ちに正直だよね」
「うん、……すごい人だと思う」
いよいよ、運命の対戦が始まろうとしていていた時、私は先生に呼び出された。
これから外で行われる先輩達のキックベースボールの手伝いをお願いしたい、というものだった。断ることもできない私は、早く仕事を終わらせて体育館に戻ろうと思った。
しかし残念なことに、私は得点係を担うことになった。
嘘でしょ。試合終わるまで体育館行けないなんて……。しかも暑いし、日陰ないし。早く試合終わらないかな……。
私の期待とは裏腹に、先輩達は白熱した試合を繰り広げる。
今、何時だろう? もう、バレーの試合終わっちゃったかな? なんかクラクラしてきた……。
私はそこからの記憶がない。
目が覚めた時には涼しい部屋のベッドで横になっていた。そこはとても静かで、時計の秒針の音だけが響いていた。
ここはきっと保健室だ。私はぼんやりしながらも、なんとなく状況が分かった。
きっと得点つけてる時に、暑くて倒れちゃったんだ。そして誰かが保健室まで運んでくれたんだろうな。
起き上がって上履きを履こうと脚を下ろした時、何かがベッドから落ちたことに気がついた。
……何でここに、テディベアのストラップが?
その綺麗なテディベアに手を伸ばすと、いきなり眩しい光が私の目に入り込んできた。
眩しくて目をギュッと閉じると、温もりとドクンドクンという心臓の音が聞こえてきた。
ゆっくり目を開けると、光溢れる世界が広がっていた。
映画のスクリーンのようなものがたくさんあって、それぞれ違った映像が流れている。その全てに私が映っているが、声がが聞こえない。誰かに話しかけているようだが、誰に話しているのか分からなかった。
しばらく歩いていると、一つの映像の前で立ち止まった。
それは小学生の私が、UFOキャッチャーの目の前で、アクリル板にへばりつくように立っているものだった。中にはさっき見たテディベアのストラップがいくつも置かれていた。
小さな私はスクリーンに向かって指を組み、お願いするように何かを話している。
それからスクリーンはテディベアを見つめてクレーンを動かす。クレーンはテディベアを一度に二つ挟んで運んだ。景品口から取り出して、小さな私に差し出すと、目を潤ませてテディベアを抱きしめる私が、そこには居た。そして言うのだった。
「ありがとう、大ちゃん」
大きくなった私が無意識にそう呟くと、大きな地震がおこり、その世界は崩れ去っていった。
あたりは真っ暗となり、何故だかピエロの仮面だけが残った。スポットライトで照らされるその仮面を手に取った時、大ちゃんの声が聞こえてきた。
「理沙、ずっと好きだったよ。幸せになって」
そう言って、仮面は粉々に砕け散った。それと同時に地面が急になくなり、私は真っ暗な闇に落ちた。
「いやー!」
パッと目が覚めた時、ドンッと体が少し落ちた感覚があった。
夢か……。今、数センチぐらい体浮いてたのかな? 不思議な感じだったなぁ。
ふと横を見ると、枕元にはあのテディベアがあった。
……ここまで運んでくれたのは、きっと大ちゃんだ。
ずっと私のこと守ってくれて、誰よりも大事にしてくれた。大ちゃんを好きになって良かった。好きになってもらえて良かった……。ありがとう。
私は溢れ出す涙を拭いながら、テディベアを持って保健室を飛び出した。そして、どこに居るかも分からない彼の元へと走り始めたのだった。