とある日の教室。いつもと変わらぬ景色を見ながら、私は思い返していた。あの日、山井くんに言われたことを。

 彼はいつもよりも真剣な顔で、私が以前作ったクッキーが忘れられないと、言ってくれた。
 いつ、どんなクッキーを作ったのか、どうやって彼にあげたのか、その時の彼の反応も全く覚えてない。
 でも、私の作ったものが忘れられないなんて、何だかプロポーズされたみたいでドキドキしちゃう。

 恥ずかしさと嬉しさが混ざって、ニヤニヤしていたんだと思う。担任の佐々木先生が、妙に私を見つめて話していることに気がついた。

「中間テストも終わり、今度は体育祭だ。 騎馬戦やバレーボール、リレーなどクラス対抗のものがたくさんあるから、協力して頑張っていこう。実行委員と学級委員は、さっそく今日の放課後に集まりがあるので、忘れずに出席するように」

 騎馬戦、バレーボール、リレーかぁ……。山井くんはどれをやっても、かっこいいだろうな。
 ……まずい、良からぬ妄想の世界に行ってしまうところだった。山井くんとの距離がグッと、近くなったことで浮かれてるな。
 副委員長として頑張らなきゃ!
 
 前を見ると、さっきまでの私同様に、ぼんやり外を見つめる相澤くんの背中がある。

 今の先生の話、ちゃんと聞いてたかな?

 ホームルームが終わり、相澤くんの背中を指でツンツンして話しかけた。彼はビクッとして、目を丸くして振り向いた。

「うわっ! 理沙ちゃんがツンツンしてくると思わなかったからビックリ。どうしたの?」
「今日の放課後の集まり、出られそうですか? 撮影とかあったりするのかなぁと、思って」
「あー、それね……。大丈夫、大丈夫! しばらく撮影ないから」

 いつもより元気がない気が……。どうしたんだろう? 

 不思議に思っていると、クラスの女子が大声で叫んだ。驚いてそっちを見ると、何やら雑誌を持ち歩いてこちらへ迫って来た。
 その時、相澤くんは驚くほど大きなため息をついた。私は色々なことに驚き、クラスメイトの女子と相澤くんを交互に見た。

「ちょっと石田さん! この写真、石田さんだよね⁉︎ 皆の前で抱きついちゃうぐらい、二人は仲良いもんね。マジで付き合ってるの?」

 雑誌を見ると、先日のことが書かれていた。「人気モデル、相澤翔 熱愛! お相手は女子高生! (前略)見た目によらず一途な相澤は、彼女にメロメロの様子。この日は、相澤行きつけのドッグカフェでランチデートを楽しむ(後略)」と、あれこれ書かれていた。
 しかも、写真が何枚も掲載されている。店から出てくる写真や、うちの門扉の前で髪を撫でてる写真まで。私の顔にモザイクはかかってるから、誰か分からないはずだけど……。クラスの人達は、私が以前、相澤くんに抱きつかれたところを見てるから分かったのかも……。

 私は何と答えたら良いのか分からず、助けを求めるように相澤くんを見つめた。すると彼は、私の手からヒョイと雑誌を奪い、皆に見せながら言った。

「ここに書かれてることは、だいたい合ってるよ。理沙ちゃんにメロメロで、告ったのも事実。でもまだ付き合ってない。だから、皆、邪魔しないで見守ってね」

 相澤くんはいつもの調子で笑顔を見せ、明るく振る舞う。彼の言葉を聞いて泣き出す子も居れば、黙ったまま冷たい視線を送ってくる子も居た。
 あまり祝福ムードではない。先程、迫って来た女子が私に向かって言う。

「ねぇ、翔くんに告られてるのに何で即OKしないの? 有名な人気モデルだよ。イケメンじゃん。ノリも良いし、一緒に居て楽しくて、自分のこと好きで居てくれてるんだよ? 石田さんに断る理由なんか無いでしょ」

 彼女の言葉が、鋭い刃のように思えた。
 確かにそうだ。相澤くんは、有名な人で、かっこいいし、話し上手で、自分の気持ちをまっすぐ伝えられる心の強さがある。
 私とは大違いで、何で私なんかを好きでいてくれるのか分からない。断る理由なんてないよ……。

 私は目を潤ませ、何も言えずに立ち尽くしていた。すると、相澤くんが私の代わりに答えた。

「理沙ちゃんには別に好きな人が居るから。立派な理由だろ? 俺の片思いなんだから、部外者は黙っててくれない? さっき『邪魔しないで見守って』って言ったんだけど、聞こえなかったの?」

 さっきまで明るく笑ってた彼が、今はすごく怖い顔をしている。しかも声のトーンも全然違って、それがより一層、恐怖感を増強させている。
 きっと私だけでなく、皆が驚きと恐怖を感じただろう……。

 私に刃を向けてきた女子も「ごめんなさい」と謝って逃げるように席に戻って行った。

 放課後、相澤くんと共に委員会に出席するために部屋へと向かう。
 私の数歩前を歩く彼の背中は、ホームルームの時よりもはるかに、活気がない。そう感じた私は、彼に問いかける。

「相澤くん! 私を庇うために嫌われ役をやってくれたんだよね? ごめんね」

 彼は立ち止まり、私に背を向けたまま答える。

「そこは『ごめん』よりも『ありがとう』って言ってほしい」
「ごめん……」

 彼は振り向き、笑いながら言う。私にはどうしても本気で笑っているようには見えなかった。
 むしろ悲しさを誤魔化しているように見えた。

「ねぇ、理沙ちゃん。そんなに申し訳ない気持ちになるならさ、俺と付き合ってよ。それなら全部上手くいくから。俺の恋は成就して、理沙ちゃんは申し訳なさから解放される。俺が君を楽しませるし、あいつと違って、いっぱい愛情表現もするよ。俺の彼女になれば、皆から冷たくされたりすることもないだろうし。何より有名人の彼女なんて、鼻が高いでしょ?」

 彼の提案を聞いて、私も悲しくなった。好きという気持ちよりも、損得や人の目が理由で、付き合うという選択をするような気がしたから。

「……相澤くん、私……」

 私が答えを出そうとすると、相澤くんは私をギュッと強く抱きしめて言った。

「ごめん、今のは卑怯だ。答えはまだ聞きたくない……。俺に時間をちょうだい」

 私を抱きしめたまま、弱々しくて、今にも泣き出しそうな声で話すのだった。

 微妙な雰囲気が私達の間に流れ、委員会に集中できないまま、一回目の話し合いは終わった。その話し合いには、一組の学級委員長である山井くんと、副委員長の瑠美ちゃんも来ていた。話し合いの最中は、山井くん達と話すことはなく、話し合い終了後にようやく話すことができた。

 瑠美ちゃんがとてもニコニコしながら声をかけてきた。

「理沙ちゃん、おめでとう! 相澤くんと本当に付き合うことになったんでしょ⁉︎ この前は下駄箱の所でイチャイチャしてたし、雑誌にも大きく取り上げられてたの見たよ! 写真まで載っちゃって、すごいね」

 そう言いながら、書類の中に紛れ込んでいた雑誌を、山井くんに見せつけるように開いた。

 やだ! そんなの山井くんに見せないでよ。

 私が雑誌に手を伸ばそうとした時、瑠美ちゃんが私の手を両手でしっかり握り、笑顔で言う。

「前から理沙ちゃんと相澤くん、すごくお似合いだと思ってたんだ。二人が付き合ってくれて嬉しい! これからも勝手に見守るから、いつまでも仲良しカップルでいてね」

 山井くんを見ると、嫌悪感を抱いているような表情で雑誌を読んでいた。私は山井くんに訴えるように言う。

「それは違うの!」

 瑠美ちゃんが余裕そうな顔で相澤くんに詰め寄るのだった。

「えっ、何が違うの? ねぇ相澤くん、本当は理沙ちゃんと付き合ってるんでしょ? 理沙ちゃんは、照れて誤魔化してるだけだよね?」

 私は、相澤くんが本当のことを言ってくれると信じて、彼を見つめた。

 相澤くんは真剣な表情で山井くんを見つめながら、話し始めた。

「その雑誌のことは全部本当だよ。俺ら、付き合ってるからさ、理沙に手出さないでくれる? 山井くん」

 そう言って、相澤くんは私を後ろから抱きしめた。まるで山井くんに見せつけるかのように。
 思ってもいなかった彼の言動に、私はショックを受けた。そして、相澤くんの方を向こうと顔を横に向けた時、私の額に彼の唇が当たった。

 瑠美ちゃんが興奮したように甲高い声を出す。相澤くんは動じることなく私を抱きしめている。

 私は恐る恐る、山井くんの方を向いた。彼は私に、厭悪(えんお)の情を抱いているように見えた。反論しても、もう聞き入れてもらえない、そう感じた。

 瑠美ちゃんがパンッと手を叩き、話の主導権を握った。

「男同士で話したいこともあるだろうし、私も理沙ちゃんと話したいから、ちょっと移動しようか!」

 山井くんと相澤くんを部屋に残し、私と瑠美ちゃんは、人通りの少ない渡り廊下にやって来た。なぜか上機嫌の瑠美ちゃんが嬉しそうに話し始めた。

「ねぇ、理沙ちゃん。本当は相澤くんよりも山井くんのことが好き……だよね? でも、ダメだよ。だってもう、相澤くんの彼女でしょ⁉︎」
「違う! 相澤くんは良い人だけど付き合ってないし、この前のカフェに行ったのだってデートじゃない!」
「ふーん、だから何? 山井くんの、あの拒絶した顔見たでしょ? もうあなたが何言っても、彼には届かない。ずっと片思いしてて、記憶失くして、それでもまた彼を好きになって……。もう少しで両思いになれるって時に、こんなことになって残念ね。り・さ・ちゃん」

 彼女が気味の悪い笑みを浮かべる。

 何で笑ってるの? 何でそんなに嬉しそうなの? 彼女の気持ちが分からない。私の知ってる彼女じゃない。

 私は彼女に問いかけた。

「どうしたの? 何か変だよ、いつもと違う。何でそんなに笑ってるの? 何でそんなに嬉しそうなの?」

 彼女は喜びに満ちた笑顔で話す。しかし話している間にどんどん憎悪を(うかが)わせる表情へと変わっていった。

「いやだ、ようやく目の上のたん瘤がなくなったんだもん、喜ぶに決まってるでしょ! ずっと邪魔だった……」
「瑠美ちゃん……」
「その呼び方、気持ち悪いからやめて! 私、あなたのこと嫌いだから。幼なじみってだけで、彼から優しくされることに慣れて、甘えてばっかり。もらってばかりで、自分から与えようともしない。傷つくのが怖くて、告白する勇気もないし。結局、あなたは自分が一番可愛いのよね。でも私は違う! ずっと、ずっと彼だけを見てきた。だから、彼が好きなもの、何を望んでいるのかが分かる。あなたには分からないでしょ? でも大丈夫よ! 彼を失っても、相澤くんがそばに居てくれるから。じゃあ話はそれだけよ」

 悪夢を見ているのかと思った。
 呆然としていると、彼女が去り際に追い討ちをかけるように言った。

「そういえば、山井くんが言ってわよ。別にあなたのこと『何とも思ってない』って。『幼なじみだから優しくしてるだけで、誤解されても困る』みたい。あなたと山井くんが両思いになるなんて、あり得ないから」

 彼女の手によって、私の心は粉々に砕け散ったのだった。