優しい光が部屋に差し込み、鳥達が電線に止まって鳴いている。
 俺は起き上がり、ベッドの上で背伸びをする。時計を見ると六時ちょい前。サッと着替えを済ませ、いつものようにランニングコースへと向かう。

 俺の名前は、山井大佑。今日は高校の入学式だ。好きな子と同じ高校に通えるなんて……、ありがたき幸せ。
 
 ランニングコースには、俺の片思いの相手、石田理沙の家の前も含まれる。つまり俺は、理沙の家を毎朝見ている。
 彼女がこのことを知ったら、ドン引きされるかもしれない。……死んでも言えない、俺だけの秘密だ。

 理沙の家の前をゆっくり走りながら、ニ階の部屋に目をやる。今日もカーテンはしっかり閉められている。彼女がこの時間から起きているとこなんて、見たことがない。

「おはよう。寝坊助、理沙ちゃん」

 毎朝、こうして彼女に話しかけながらランニングしている。これも彼女には絶対言えない。
 
 実は、まだ彼女に言っていないことがある。

 まず五年前から「好きだ」の一言が伝えられていない。なぜなら、彼女は他校生に片思いをしているから。
 理沙が小五の頃、彼女の姉ちゃんが出場したテニスの大会で、偶然そいつに出会ったらしい。そいつが誰だかは分からない。分かるのは、テニスをしてるってことだけ。
 だから俺は、中学時代テニス部に入った。そして、名前も知らないそいつと戦うために、毎日厳しい練習をしてきた。だがしかし、そいつが誰なのか未だに分からないままだ……。

 理沙に嘘をついていることもある。
 俺は、数ヶ月前、難関高と言われる私立の学校に合格した。でも俺は、理沙と同じ高校に行きたくて、周囲の意見に聞く耳を持たなかった。
 きっとこんな話をしたら、彼女は責任を感じるだろう。だから俺は「受験したけど、落ちた」と、嘘をついた。
 最初は悲しげな表現を見せていた理沙だったが「大ちゃんと同じ高校で嬉しい」と、笑顔で言ってくれた。その時、俺の目から涙が溢れた。必要されてれるような気がして嬉しかった。

 自分で言うのもなんだが、彼女を溺愛していると言っても過言ではないだろう。
 ただ、それを堂々と表現できないのが辛い。いっそのこと伝えてしまおう、と何度も思った。でも、嫌われたらどうしよう。もう話すこともできなくなったら……。
 そう考えると、怖くて告白すら勇気がない。幼なじみじゃなければ良かったのか?

 ランニングを終えてシャワーを浴び、学校に行く準備をする。
 その昔、理沙の好みのタイプが爽やかで、知的なスポーツマンだと聞いた。
 それから俺は、理想に近づくために密かに努力をしている。爽やかな香水を少しつけ、視力は良いけど、彼女の好きな黒縁メガネをかける。そして、毎日適度な運動も欠かさない。
 彼女の一番になりたい、誰にも負けたくない、という思いが俺の原動力だ。

 身支度を整え、部屋に飾ってあるディスプレイケース内のテディベアストラップに話しかける。

「じゃあ、行ってくるね」

 こうやってこいつに話しかけるのも日課だ。
 こいつは、初めて彼女とゲームセンターに行った時に、UFOキャッチャーで偶然とれたものだ。同時に二つとれて、かなり興奮したことを覚えてる。彼女とペアのストラップを持つことができるなんて思ってもない幸運だった。
 そんな大事なものを持ち歩いて失くしてしまったら惨烈だ。だから、こいつはいつもケースの中で留守番なのだ。

 彼女を待たせたくないから、約束の時間より早く家を出て、お決まりの公園へと歩き出す。
 
 ただボーッと待つのは時間がもったいないし、スマホをいじるのも感じ悪いから、本はを読む。これなら時間も無駄にしないし、何より理沙には知的な印象を与えられるだろう。だから、本を片手に彼女を待つことが多い。

 すると俺の視界に彼女が入ってきた。何だかニコニコしている。何でだ?

「おはよう。朝から何でニヤニヤしてんの?」
「おはよう。……何でもないよ!」
「ふーん、じゃあ行こっか」
「うん」

 そうして、俺たちは高校へと歩き始めた。

 朝から理沙の笑顔を独り占めできるなんて、幼なじみって幸せなポジションだな。やっぱりこの位置は誰にも譲りたくない。
 この世の男共が、全員居なくなれば良いのに。
 そんなことを考えてないで、何か話題を提供しないと……。そういえば昨日、理沙の好きな動物の番組がやってた!

 番組に出てきた犬の話をしていると、彼女は俺を見つめて微笑んだ。

 この顔、全然違うことを考えてるな。理沙ちゃん、一体何考えてるんですか?

 俺は笑いながら彼女に言った。

「プッハハハ! ……今、全然違うこと考えてたでしょう⁉︎」
「そんことないよ! 私は、いつだって大ちゃんのこと考えてます!」
「いやいや、それ絶対に嘘だ!」
「嘘じゃないですよー」
「その言い方! 嘘としか思えないぞ」

 「いつだって大ちゃんのこと考えてます!」だって! 可愛すぎるよ。
 本当に俺のことだけ考えてくれてたら良いのにな……。この戯れ合う時間が愛おしい。

「もうすぐ着くね。何かドキドキしてきちゃった」

 慣れない場所で、知らない人達と生活すんだもんな。そりゃ不安か。俺がそばに居て、守ってやりたいな。

「……俺ら同じクラスになれるといいね」
「いや、絶対無理でしょ! だって成績順でクラス分けされるって聞いたよ」
「うん、知ってるよ」
「……それ嫌味⁉︎ 『俺は頭いいクラスだけど、お前はバカのクラス』って言いたいんでしょ⁉︎」
「そんなこと思ってないよ! 素直に同じクラスになれたらいいなぁ、と思っただけ。そんなに、ひがむなよ」
  
 このワーワー言ってくるあたりが、また可愛いんだよね。

 気がついた時には、彼女の頭を撫でていた。
 彼女の白く小さな手が俺の手を捕らえた時、俺の鼓動が突如速くなった。
 理沙は両頬を膨らませながら俺の顔を見上げる。それを見た俺は失笑した。

 「プッ! それじゃあ理沙じゃなくて、リスだよ!」
「リスになってません! 頭ポンポンとか子供扱いしないでよ」
「ごめんごめん、つい舞花にやる感じでやっちゃったよ」
「もう……」

 俺と彼女の身長差は30cmぐらいある。そして華奢な彼女は、俺から見たらまさしく小動物みたいなもんだ。
 何しても可愛いな。実は、すねてる顔も好きなんだよね。
 本当は、もう少し意地悪したいところだけど、怒らせたくないから早めに謝っておく方が良い。

 うつむく彼女が、とても悲しそうに見えた。

 俺が思っている以上に、彼女を傷つけてしまったのかも知れない……。そう思った俺は更に続けて謝罪した。

「マジでごめんね。リスって言ったのは『小動物みたいで可愛い』って意味だし。頭撫でたのは……すっ……」
「小動物みたいで可愛い……。頭撫でたのは?」
「すごい舞花っぽかったから……」
「私が舞ちゃんっぽい⁉︎ そんなに幼くないですけど……」
「あー、もう言葉って難しい。とりあえず、ごめん」
「もう良いよ。それより、早く行こう!」

 ヤバい! ついうっかり「頭撫でたのは好きだから」とか言いそうになった。なんとか誤魔化せて良かった。

 高校の正門を通りすぎると、次第に人が増えてきた。正面玄関近くには、人集りができていて、掲示板にはクラスと名前が書かれた紙が貼り出されているようだ。男共の野太い歓声が聞こえてきたかと思うと、泣いてる女子も居たり、賑やかだ。

 おいおいお前ら、頼むから、うちの繊細な理沙ちゃんを不安にさせるような言動は慎んでくれ。

 そう思いながら横を見ると、彼女は何かを祈るように指を組んでいた。

 何を祈ってるんだ? こんなに人が居たら、理沙が掲示板見るのは無理か。それなら、俺が代わりに名前を見つけてやらないと。

「あっ……、理沙は五組だ」
「五組か。それで大ちゃんは?」
「うーんと……、一組だってさ」
「一組ね。これが学力の差ってやつですか」
 
 彼女は立ち尽くし、ゆっくりと顔を俺の方に向けてきた。俺は苦笑いしながら話す。

「……まぁ同じ学校に居るんだし、困ったら呼んで。理沙のためなら、すぐ駆けつけるかさ!」
「ありがとう! さすが、幼なじみは頼もしいわ」
「そうだろ……」

 理沙にとって俺は、いつまで経っても幼なじみのままか。伝える勇気がない俺が悪いんだけどさ、ストレートに言われるときついよ。

「落ち込んでてもしょうがないよね。教室行こうか」
「だな!」

 そして俺達は、それぞれの教室へと向かったのだった。