休み時間にトイレに行こうとした時、進行方向から相澤が歩いて来た。そして俺を見るなり、ニヤニヤしながら近づいてくる。
嫌な予感がする……。
俺は隠れるようにトイレへと急いだ。相澤は大きな声で俺を呼びながら、早足で追いかけて来る。
「大ちゃーん、待ってよ」
「やめろ! そうでなくてもお前、目立つんだから、そんな大きい声出すなよ」
「ごめん。それより朗報だよ。なんと! 理沙ちゃんとゆっくり話せる機会を設けました。だから、絶対来て! 頼む!」
俺にすがりついてくる相澤を見て、何か裏があると確信した。
「……何で、ライバルのお前がそんなことするんだ? 怪しすぎる」
「全然怪しくないよ! 記憶喪失というハンデを抱える戦友が、あまりにも不憫だから協力したいと思っただけ。嫌なら別に来なくても良いよ。そのかわり、俺と理沙ちゃんが二人っきりになるけどね」
こいつの余裕綽々な感じ、鼻につくわぁ……。がしかし、理沙と相澤が二人っきりというのは絶対に阻止しなければ。
だから俺は、相澤の誘いにのった。
そして今、あいつの誘いになったことを大いに後悔している。
相澤の指示された日時に、指示された場所へ行くと、確かに理沙は居た。そして謎の男女も居た。どうやら理沙のクラスメイトらしい。何故だか、皆、教科書とノートを持っている。
まんまと騙された……。怒りよりも、簡単に騙された自分が情けなくなった。
そんなこんなで俺は、中間テストまでの間、理沙とその仲間達に勉強を教えることとなった。これがまた非常に手強い。驚くほど理解が乏しく、基礎知識が皆無だった。中学時代、何をしてきたのか一人ずつ面談したいほどだ。
そんな中でも、癒しがあった。分からなくても、懸命に考える理沙の顔が見られることだ。
何をしていても可愛い。ずっと見ていられる。二人っきりになれたら言うことないのに……。
彼女に見惚れていると、相澤が言う。
「大ちゃんだけじゃ、俺、やる気にならないわぁ。一組に勉強できる可愛い子、居ないの?」
「は? 俺だけで満足しろよ。だいたい、女子なんか連れてきたら、お前、絶対勉強どころじゃないだろ!」
「俺、やればできる子だから。マジで褒められて伸びるタイプなんだって。優しい子連れてきてよ」
懇願する相澤に、誰もが呆れ顔だった。
でも確かに、全く基礎ができていない四人を、俺一人で面倒見るのはキツい。誰か助っ人を呼ばないと……。
真っ先に思い浮かんだのは、いつもノリの良い尚人と、女子の中でも比較的話しやすい遠野だった。ダメ元で二人に依頼すると、わりとあっさり了承してくれた。
そして、男女七人の奇妙な勉強会が始まった。
勉強会場は、まちまち。教室だったり、図書室、学校近くのカフェやファストフード店など。
時間は、だいたい放課後。時折、休みの日もあった。部活やバイトがある場合は勉強会を欠席したり、遅れてきたりと、フリーダムな感じだ。
年頃の男女が一緒に居れば、そりゃあ色々あるもんで……。
あの、女たらしの尚人は理沙の友達の内山さんに恋をした。しかし、内山さんは、尚人に全く興味がない様子。それでも彼はへこたれることなく、持ち前の明るさで一生懸命、彼女にアピールをする。なんとも健気だ。
相澤と遠野は、何だかよく分からないけど妙に気があってるようだし。
そして、俺にも意外なライバルが現れた。理沙の隣の席だという、佐藤くん。口数は少ないが、誰よりも飲み込みが早く、地頭が良い。周りの人間の気持ちを察する能力にも長けていて、俺の理沙に対する思いを感じ取っている気がする。
何となくだが、彼も俺と同じ気持ちなんだと思う。理沙への眼差しが、他の人とは違う。理沙が理解しやすいように、俺より噛み砕いて説明したり。俺としては、ちょっと厄介な相手だ。
あー、昨日は良かったなぁ。
何故なら、理沙と二人っきりで勉強できたから。誰も居ない五組の教室には、寂しさを増すかのように西日が差し込んでいた。机の上に一つだけ鞄があった。
何で誰も居ないんだ? ……ここが理沙の席か。
いつも理沙の眺めている景色を見たくなった俺は、そっと彼女の席について外を眺めた。しばらく外の景色を眺めた後、目の前に置いてある彼女の鞄を見つめた。
何だ? このやる気を感じられないシマリス。よく見ると理沙にそっくりだ。可愛いじゃん。指でツンツンしていると、理沙が教室に入ってきた。
「山井くん、待たせてごめんね。今日、みんな予定があるみたいで、私一人なんだけど大丈夫かな?」
うわ、どうしよう。ストラップ触られて嫌だったかな? 気にしてないように見えるけど……。
俺は慌てて立ち上がり、なんとか焦りを表に出さないよう、答えた。
「ちょうど良かった。今日は尚人と遠野も用事あるみたいで、俺も一人なんだ」
俺はうつむき黙り込んだ。彼女をチラッと見ると、彼女も何故か恥ずかしそうにうつむいていた。そして少し沈黙が続く。
ここは俺が何か言わないと。何を話せば良い? 早く何か喋れ、俺。
「べっ、勉強始めようか」
「そうだね」
何してんだよ。せっかく二人なんだから、そんなことじゃなくて、もっと違う話題にしろよ。
ドクンドクン。俺の心臓ってこんなにうるさかったかな? 理沙に聞こえてないか不安になる。
俺達は理沙の机を中心に、向かい合うように腰掛けた。
こんなのドラマや漫画でしかやらないやつだろ。ダメだ……、全然集中できない。こんな状況でまともに勉強できるわけないだろ。
と、思っていたのはどうやら俺だけのようだ。彼女を見ると、真剣な表情で教科書を見つめている。
華奢だなぁ。子供の頃は体格差なんて感じなかったのに、いつからこんなに差ができたんだろ? 手も小さいし、腕なんて折れそうなほど細い。髪はうっかり触ってしまいそうになるほど艶やかで、理沙自身が花なんかじゃないか? と、思うほどいい香りがする。
これじゃあ、毒虫が寄ってきてもおかしくない。
はぁ……、どうしたら俺のこと好きになってくれるんだ?
冷静なふりをして問題を読んでいるが、よこしまな気持ちしかない。理沙が、幼なじみとしての俺を忘れてしまった以上、今は少しのつながりでも大事にしないと。
幸せな時間はあっという間に過ぎる。薄暗くなってきたから、勉強を終わりにして家へと送り届ける。
あと何回、こうやって一緒に帰れるのだろうか?
そんな弱気な考えがふと浮かび、独りで切ない気持ちに陥った。
とうとう勉強会最終日を迎えた。それぞれのペースで勉強していると、相澤が話し出す。
「テスト終わったら体育祭でしょ? その後、夏休みじゃん。皆で夏祭り行ったり、花火とかやりたくない?」
真っ先に二つ返事したのは、もちろん尚人だ。
「ナイスアイディアだね、翔くん。是非とも、凛ちゃんと夏祭りに行きたいです」
「えっ、嫌だ。でも、理沙ちゃんが居るなら良いよ」
内山さんが淡々と言い、尚人は勢いよく理沙の方を見て、目で訴えてくる。押しに弱い理沙は、たじたじになる。そして出した答えは「全員で行こう」という、平和主義の理沙らしいものだった。
「まぁ、まずはテストでしょ! そして体育祭。委員会の集まりも多くなりそうだよね」
遠野が俺に向かって話してきた。俺が同感すると、相澤が驚いたように話し始める。
「マジで⁉︎ 大ちゃんと瑠美ちゃんも学級委員か実行委員なの? 俺と理沙ちゃんは学級委員だから、集まりでちょこちょこ会うかもね。そん時はよろしく!」
理沙からそんな話聞いていなかったから、とにかく驚いた。遠野がやや興奮したように言う。
「私達も学級委員だよ。理沙ちゃんと同じ委員会で良かった!」
「私も瑠美ちゃん達が同じ委員会で良かったよ。よろしくね」
テストが終わってしまっても、理沙との接点があることが素直に嬉しくて、思わず笑みがこぼれたのだった。