階段から落ちて数日経過するが、普通に日常生活を送れている。ただ一つ、私が好きだったというピエロの彼のことだけは全く思い出せないまま。

 今日は数日ぶりの学校。私、毎日どうやって学校に行ってたんだっけ?

 そんなことを考えながら歩いていると、自宅近くの公園の前に誰かが立っていた。

 ピエロの人だ。何してるんだろう?

 私に気がついた彼が笑顔で挨拶をしてきた。私も笑顔で答えた。

「おはよう、理沙」
「おはようございます。……誰かと待ち合わせですか?」

 彼は少し切なそうな顔を見せた。私が首を傾げると、すぐに笑って話し始めた。

「いつも理沙と登校してたから、つい癖で待ってたんだ。俺、昔から君のことを『理沙』って呼んでるんだけど、嫌かな? 石田さんの方が良い?」
「そうだったんですね。待たせちゃってごめんなさい……。理沙で大丈夫ですよ。私は、舞ちゃんのお兄さんのこと、何て呼んでたんですか?」
「……山井大佑だから、ずっと『大ちゃん』って呼んでた。もし呼びにくければ、山井でも大佑でも良いから」

 私は考えた。いきなり大ちゃんじゃ馴れ馴れしい? 山井くんが無難かな。

「じゃあ山井くんって呼びます」
「……うん、じゃあ同い年だし、せめてタメ口で話して! 敬語で話されると、ちょっと悲しい」
「敬語だと悲しいですか? じゃあ、タメ口で話しますね」
「うん、まだ敬語だけどね」
「ごめんなさい。いきなりタメ口って難しくて」
「無理しなくて良いよ。少しずつで」
「ありがとうございます」

 山井くんは、優しい人だ。自分の意見を押し付けることなく、私のペースに合わせてくれている。
 もし、彼と過ごした日々を思い出せなくても、これから一緒に過ごしていけることが嬉しいな。この人とだったら仲良くなれそう。

 山井くんと並んで歩きながら学校へと向かう。その間、彼の思いやりが溢れていることに気づいた。
 私の歩くスピードに合わせてくれたり、進行方向から自転車が来ると、さり気なくガードしてくれた。
 そう遠くない未来に、きっと私は彼を好きになるかも知れない……と、思った。

 学校に着き、別々の方向へと歩き出す前に彼は言った。

「あのさ、明日も今日と同じ公園で待ってても良いかな……?」

 彼が頭を掻きながら恥ずかしそうに言うので、何だか私まで照れてしまった。
 おそらく付き合いたてのカップルは、こんな感じなのかも知れない。

「じゃあ……、明日はお待たせしないように頑張ります!」

 そう答えると、彼は嬉しそうな顔をして教室へと歩いて行った。
 私はドキドキしながら久しぶりの教室へと向かった。私が中に入ると、みんな優しく声をかけてくれた。

 自分の席まで行く途中、後ろの席の内山さんと目が合った。私は勇気を振り絞って声をかけた。

「おっ、おはよう……ございます」

 すると彼女が少し照れたようにうつむいて小さな声で答えてくれた。

 彼女が答えてくれたことが嬉しかった。

「内山さんと話せて嬉しいです。入学した時から話したいと思ってたので……」
「……私もです」

 彼女はチラッと私を見ながら小声で話すのだった。それから「理沙ちゃん」「凛ちゃん」と呼び合うようになり、お互いの生い立ちなどを話した。
 すると突然、教室のドアが勢いよく開いた。私と彼女はビックリしてドアの方を見た。
 そこには慌てた様子の相澤くんが立っていた。

「おはっ……」

 私が立ち上がって挨拶しようとした時、彼がいきなり飛びついてきた。私は目を見開いた。
 クラス中の人達が私と相澤くんを見つめる。

「あっ、相澤くん。皆が見てるよ……」
「だから?」
「『だから?』って……」
「階段から落ちたって聞いて、死ぬほど心配したんだよ」
「何で知ってるの? ……その節は、ご心配をおかけしました」

 ようやく相澤くんが解放してくれた。そして、階段から落ちたことを山井くんが知らせてくれたこと、私が欠席していた間の出来事を教えてくれた。

 その日、体育の授業があった。ジャージに着替えて凛ちゃんと話しながら体育館へと向かった。

 彼女は恥ずかしがり屋だけど、話してみるととても面白い子で、大好きになった。

 そして私達の間に割って入るように相澤くんが来た。私と凛ちゃんの肩に腕を回し、三人で並んで歩く。

「いやー、両手に花とは、まさしくこのことだな!」
「相澤くん、ビックリするよ」
「やだなぁ、理沙ちゃんと凛ちゃんを驚かせたいからしてるんだよ」
「そうなんだ……」

 呆れ顔の私と、迷惑そうな表情を見せる凛ちゃんを見て、相澤くんは腕をどかした。そして誇らしげに話し始めた。

「俺ね、運動神経めちゃくちゃ良いんだ。二人とも惚れてくれても良いよ」
「そうなんだ、じゃあ見てから考えるね」

 私は適当に聞き流し、凛ちゃんは黙ったままだった。

「二人とも塩対応だな。まぁ、そういうところも好きだよ。じゃあ先に行ってるよ!」

 そう言って颯爽と歩いて行き、別のグループの女の子にも話しかける。

「アハハ、相澤くんらしいなぁ」
「ただの女好きでしょ。ああいうタイプ嫌い」
「厳しいこと言うね。でも、相澤くんにも良いところあるよ! 例えば……」
「例えば?」
「……うーん、友達が多くて、女の子にもモテモテなところとか⁉︎」

 相澤くんの長所を探している間に体育館に到着した。今日はバレーボールをやるようだ。

 バレーか。嫌だなぁ。できる気がしない……。

 準備運動をしてから女子と男子に分かれて練習を始める。私は一生懸命レシーブをするが、思ったところに全く返せない。一方で凛ちゃんは、思わぬ才能を発揮していた。

「すごいよ、凛ちゃん! 上手!」
「中学の時にやってたからね」
「そっかぁ。どうしたらレシーブ上手にできるか、コツ教えて!」

 私が凛ちゃんに教わっていると、後ろの方で黄色い声援が聞こえてきた。振り返って見ると、いつの間にか男子が試合を行っていた。女子の注目の的となっているのは、もちろん相澤くんだ。見た目だけでなく、コート内で見せる機敏な動きにも目を奪われる。隣の席の佐藤くんもすごい活躍してる。

 相澤くんと佐藤くん、二人の試合みたいになってる……。

「相澤くん、すごいね。バレーやってたのかな? 確か佐藤くんは、サッカーやってるって言ってた気が……」
「相澤くんも、佐藤くんも上手い……。互角の勝負だね」

 さすがの凛ちゃんも驚いた様子でジーッと見つめていた。

 コート内では、ものすごいスピードでボールが行き交い、それを懸命に目で追った。誰かが点を決めるたびに、女子達は目をハートにして男子を見つめる。特に相澤くんと佐藤くんへの好感度は、他の男子を圧倒するものがある。結局、相澤くんのチームが勝利した。
 
 次に女子の試合が始まり、凛ちゃんが出場した。私は応援をすることになり、体育館の端っこで体育座りをしながら試合を観ていた。そこへ、汗を拭きながら相澤くんが歩いて来た。

「理沙ちゃん、俺のこと見ててくれた?」
「うん、見てたよ。すごい上手だった! 前にバレーやってたの?」
「ううん。さっき初めてやった。わりと楽しいね!」
「えっ⁉︎ 初めてであんなに動けるの? 凛ちゃんも驚いてたよ!」
「俺、運動ぐらいしか得意じゃないからさ。おっ、凛ちゃん上手いねぇ」

 彼は一瞬悲しくそうな顔をし、すぐに笑顔を見せた。そんな彼を見つめ、私は励ますように言う。

「相澤くんは、どんな人とも仲良くなれる才能があるよ! それってらすごいことだと思う。私にはない才能だから、羨ましいもん。それに見た目の良さと、明るい性格のお陰で女子から人気あるよ」
「アッハハ! 慰めてくれて、ありがとう」
「皆のアイドルを私が独り占めするのは申し訳ないから、他の人の所にも行ってあげて」

 私が困ったような表情で言うと、見透かしたような顔で言った。

「ふーん、もしかして人気者の俺と仲良くしてたら、周りから目をつけられると思ってる?」
「そんなこと思って……ないとは言いきれないです。前に怖い噂も聞いちゃったし」
「理沙ちゃん、正直で可愛い。怖い噂って?」
「……色々な子と遊んでるとか、妊娠させたとか、最低って思わせるような噂をいくつも聞いた」
「……それ聞いて、理沙ちゃんはどう思ったの?」
「相澤くんのキャラ的に、全部あり得ない話ではないな……って思った。でも、私が困っていた時に助けてくれたし、そんなに最低な人じゃない! とも思った」

 彼はうつむき、しばらく黙っていた。
 その様子を見て、私は彼を傷つけてしまったかも知れないと感じた。謝ろうとした時、彼は急に笑い出した。

「プッ、ハハハ。理沙ちゃん、最高だ」
「何で笑うの?」
「ごめん、ごめん。上辺だけの人間関係って疲れるじゃん。最低男だと知った上で、付き合ってくれる人達がほしくて、自分で嘘の噂を流したんだ。俺、意外と一途だし、妊娠なんてさせたことありません。だから安心して」
「そうなんだ。ホッとしたよ」

 ずっと噂の真相が気になっていたため、それらをハッキリできて、気分的にスッキリした。

 相澤くんと話している間に、凛ちゃんの試合は終盤を迎えていた。
 私が試合に集中し始めた時、相澤くんが何か呟いた。聞き取れなかったため、聞き返すと「何でもない」と言い、相澤くんも応援し始めたのだった。