ついに理沙と出かける日が来た。と言っても、これはデートではない。何故なら俺達はついでのようなものだから。
元々は妹の舞花が理沙と約束をし、それを知った俺と相澤が便乗しようとしている。もちろん、俺達が行くことを理沙は知らない。早く驚く理沙の顔が見たいな。
予定としては、約束の時間に俺と舞花が理沙の家に行き、相澤とは偶然を装って後から合流することになっている。
いつも制服だから、私服で会うのは久々な気がする。何着て行こう?
理沙は爽やかな感じが好きかな? だとしたら白は必須か……。
着て行く服を悩んでいると、部屋の外から舞花の声が聞こえてきた。
「ねぇ、お兄ちゃん服決まった?」
「いや、まだだけど……」
「理沙ちゃんがね、白のスカーチョ履いて行くってさ。だから、お兄ちゃんも白パンツにしたら良いと思うよ!」
スカーチョが何だか分かんないけど、俺のためにリサーチしてくれたのか。さすが舞花、仕事ができるなぁ。
「あぁ、分かった。ありがとう!」
そして散々悩んで、ようやく服が決まった。ヘアセットをして、理沙の好きな柑橘系の香水をつける。
よし! これで完璧。
身支度が整い、部屋を出ると、ちょうど舞花も部屋から出てきた。そして俺をジーッと見て一言。
「いい感じじゃん」
「ありがとう」
それから俺達は、徒歩数分の所にある理沙の家へと向かった。インターホンを鳴らすと、理沙のお母さんが出てきた。
「いらっしゃい。今、理沙ねぇ、張り切っておしゃれしてるから、中に入って少し待ってて」
「お邪魔します」
玄関に入ると理沙の写真や家族写真が玄関に飾られていた。
「こっち来てお茶でも飲んで」
理沙のお母さんはそう言ってリビングへと歩いて行った。
ニ階から慌てたようにバタバタと歩く足音が聞こえてきた。
靴を脱いで上がろうとした時、ドカンッと何かが床に落ちたような大きな音がした。
あっ! もしかして階段から落ちた⁉︎
瞬間的にそう感じた俺は、急いで階段に向かう。案の定、彼女は階段から落ちていた。でも、思っていた以上に事態は深刻だった。
階段の上り口で横たわり、全く動かない。血は出てないようだけど、髪の毛で表情がよく見えない。俺はどうしたら良いか分からず、呆然とした。
あとから舞花が来て、立ち尽くす俺を壁へと突き飛ばすようにかき分け、理沙に駆け寄る。そして理沙の肩を叩きながら名前を呼んだ。
「理沙ちゃん! 理沙ちゃん、起きて!」
「理沙! 理沙!」
彼女はパッと目を開け、飛び起きた。頭に手を当てて辛そうな表情を見せたかと思うと、急にバランスを崩して倒れそうになった。俺は咄嗟に腕を伸ばし、彼女を支えた。
「すみません、ありがとうございます」
「理沙、大丈夫か?」
俺は彼女の顔を覗き込み、声をかけるが、彼女はボーッと俺を眺めるだけだった。
固まって動かない彼女に舞花が言った。
「理沙ちゃん、階段から落ちたんだよ。どこか痛くない?」
「あー、そうなんだ。ちょっと頭痛いかな」
彼女はそう言って頭を撫でていた。俺達の声を聞いた理沙のお母さんが、慌てた様子でリビングから出てきた。そして理沙に飛びついた。
「あー、理沙。大丈夫? 一応、病院行こう」
「お母さん、病院なんて大袈裟だよ」
「いや……、行った方が良い」
俺は真剣な表情で言った。どうしても理沙の言動に違和感を抱いてしまう。不安をぬぐいきれなくて、理沙に顔を近づけて質問した。
「俺が誰だか分かるか?」
「何言ってるの、お兄ちゃん? 理沙ちゃんがお兄ちゃんのこと分からないわけないじゃん」
「そうよ、大佑くん。そんなことをあり得ないわよ。ねぇ、理沙?」
舞花が笑いながら俺の腕を軽く叩いて言った。理沙のお母さんも、苦笑いしながら俺の言うことを否定した。それでも俺は話を続けた。
「いつもの理沙と違う。敬語で話すし、俺の名前も呼ばない」
「……」
「嘘だよね? 理沙ちゃん」
「理沙、そうなの?」
俺達は、理沙の答えを固唾を飲んで見守った。すると彼女はようやく口を開いた。
「私……、あなたが誰だか分からない。ピエロのお面をつけてるように見えてる。でも、不思議と表情は分かるの」
彼女の答えを聞いた理沙のお母さんは、膝から崩れ落ち、舞花は目を見開き、両手で口を塞いだ。
俺は、うつむいて理沙に背を向け、ジワジワと溢れ出すな涙を隠した。
何で、俺のことだけ分からないんだ? 今までずっとそばに居たのに、どうして忘れちゃうんだよ。
これまで一緒に過ごしてきた大事な時間が全部無くなり、俺一人だけが取り残されたような気がした。
今まで生きてきた中で、絶望という言葉が最もしっくりくる瞬間だった。
病院受診を促した後、俺と舞花は家に帰った。
今の俺は、まるで腐食した木の土台のようだ。ひとたび嵐が来れば、きっと何も支えられず崩れてしまうだろう……。
打ちひしがれていると、突然着信音が鳴った。それは相澤からだった。電話に出るとハイテンションの声が聞こえてきた。
「もしもし、言ってたパフェのお店って、HIYORI─ひより─って所だったよね⁉︎ もう着いたから先に入ってても良い?」
「ごめん……、今日は中止で」
「えっ、マジで!? 何か大ちゃん、声暗いけど、体調悪いの?」
「いや、俺じゃなくて……」
理沙の状態を伝え、相澤との電話を切った。
深いため息をつく俺の肩を、舞花は何も言わずにそっと撫でた。
家に帰ってからも、ひたすら理沙のことを考えていた。