翌朝、私は背中に羽が生えたように軽い足取りで、いつもの公園へと向かう。珍しく大ちゃんは来ていなかった。
いつも私より早いのに、どうしたんだろ?
心配になりながらも待つこと数分、大ちゃんが焦った様子で走ってきた。
いつもほど爽やかじゃない。寝癖があって、活気はない。顔色も悪く、制服のネクタイは曲がっている。
「ごっ……ごめん、待たせて」
「ううん、全然待ってないよ! それより顔色悪いけど、大丈夫?」
「えっ⁉︎ あぁ、ちょっと寝不足で」
「珍しいね。勉強頑張ってたの?」
「うん、まぁそんなとこ」
大ちゃんは、いつもキチッとしている。だから、たまにこういう姿を見られるとキュンとしちゃう。
……髪触りたいな。変態だと思われちゃうかな?
寝癖を少し気にする大ちゃんを見て、私はいつも以上にときめいていた。
「大ちゃん、ちょっと屈んで」
「えっ、こう?」
大ちゃんが私の方を向いて少し屈んだ。その隙に、彼の曲がっていたネクタイを真っ直ぐに直した。
髪には気安く触れないけど、ネクタイ曲がったままじゃ大ちゃんが恥かくからね。
でも緊張して、ネクタイを直すのに少し手間取った。
「はい、できたよ」
「あっ……ありがとう」
大ちゃんと見つめ合った時、新婚さんみたい……と、思った。
途端に恥ずかしくなって、誤魔化すためにスタスタと歩き出した。
その後、またぎこちない会話をして学校に到着した。
正門には何故か多くの生徒が集まっていた。しかも、見た目が派手な人やノリが良さそうな人達ばかり集まっている。
その人混みを通り抜け、校舎までの道を二人で歩いていると、正門の方がこれまでよりも賑やかとなった。
「何だろう?」
「さぁ、何だろ。もう校舎に入ろうか」
気にはなったが、大ちゃんが促すため、そのまま校舎へと入った。
教室へ入ると、目立つグループの男女数人が雑誌を見ながら話していた。そして、そのうちの一人が私を見て駆け寄ってきた。
「ねぇ、石田さん! このこと知ってたの⁉︎」
彼女はそう言いながら、私に雑誌を見せてきた。それは男の人達がたくさん載っている雑誌だった。
「このことって何ですか?」
「よく見てよ! ほらここ! 相澤くんじゃない⁉︎」
「……えっ! 本当だ」
「やっぱり知らなかったんだ。激似だなぁとは思ってたんだけど、まさか本当にうちの学校に居るなんて思わなくてさ」
空いた口が塞がらないとは、こういう時に使うものだと思った。まさか、相澤くんが雑誌のモデルさんだったなんて想像もしてなかった。確かにスタイル良いなぁとは思ってたけど……。
目立つグループの人達が、窓から正門の方を見て話し始めた。
「先輩達も気がついてるみたい。少しでも翔くんに近づこうと、正門でお出迎えするらしいよ。一躍人気者だね。石田さん、翔くんと仲良しみたいだから、目つけられないように気をつけた方が良いよ」
「そうそう! 特に女子はイジメとか酷そうだもんね」
「バカ! そんなこと言ったら、石田さん怯えちゃうでしょ。そんなに気にしない方が良いよ」
「……ありがとう。気をつける」
とは言ったものの、どうしたら良いんだろ? 相澤くんを避けたら良いのかな? 先輩達の前で仲良くしなければ良いのかな?
頭を悩ませていると、賑やかな声がだんだん近づいてきた。
きっと相澤くんと、それを取り巻く先輩達だろう。
そう思った時、教室のドアが開いた。案の定、相澤くんと先輩達だった。
「じゃあ先輩方、これから授業なんでまた」
廊下の先輩達に笑顔で手を振りながら見送る相澤くん。
振り返ると、うんざりしたような顔で自分の席に着いた。
「あー、疲れた。理沙ちゃん、俺を癒やして」
彼は自分の椅子に腰掛けてからクルリと向きを変え、私の机を彼の上半身が占領した。
私は困惑した様子で教室中を見渡すと、羨ましそうにする人や冷めた目で見る人達が居た。
「ごめん……、私トイレ行くね」
皆の目が気になり、逃げるように教室を出た。
トイレにこもっていると、他のクラスの子が入って来て、相澤くんの噂をし始めた。
「ねぇ、聞いた? 五組にモデルの翔が居るらしいよ」
「聞いた、聞いた! かっこいいよね」
「あー、でも見た目通りチャラ男らしいけど。いろんな子と遊んでるんだってさ。中には妊娠した子も居るって噂だよ」
「えっ、マジで⁉︎ まだ高一なのに、これからどうすんだろうね」
「ねぇ。ああいう最低男は、目の保養にするだけで、本気にならない方が良いよ」
「確かに言えてる! あー、どっかに真面目なイケメン転がってないかなぁ」
ギャハハと笑いながら、その子達は去って行った。
なんとも恐ろしい噂を聞いてしまった……。
相澤くんはどう見たって遊び人しか見えないよね。妊娠したって話も、あり得そうだし。どこまで本当なんだろう? 確かにノリは軽いけど、そんなに最低な人には思えないんだよな……。
私が教室に戻ると、相澤くんは目立つグループの人達と楽しそうに話していた。
思ってたより全然元気だ。私が仲良くしなくたって、相澤くんなら上手くやっていけるよね。
これで周りから目をつけられずに済むと思い、ホッとした。
その一方で、何故だか少し淋しさも感じた。
この日は相澤くんに振り回されることもなく、穏やかな日だった。そして昨日よりも、つまらない一日だった。
放課後、先生の仕事の手伝いをしていたら帰りが少し遅くなってしまった。西日が差し込む静かな教室は、私の淋しい気持ちを助長する。友達ができない孤独感、クラスで唯一話せる相澤くんにも必要とされなくなった淋しさ。一人、窓の外を見ながら声を出さずに泣いた。
誰も居ない教室には相澤くんの残り香だけがあった。
荷物を持って正門まで行くと、そこには大ちゃんが待っていた。
「何で⁉︎ 『 先に帰って』って連絡したのに」
「うん。でも、遅くなるなら尚のこと、一人じゃ危ないだろ」
私の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「えっ、どうしたの?」
「ごめんね。大ちゃんの優しさが心に染みて。自分を心配してくれる人がそばに居るって、幸せなことだなぁって感じたの」
「情緒不安定? 心配するに決まってんだろ! だって……、幼なじみだぞ」
彼はそう言って私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。それはまるで、飼い主が愛犬の頭を撫でるかのような撫で方だった。
大ちゃんへの気持ちが強まる日だった。