昔、誰かが言っていた。「初恋は、叶わないから美しいのだ」と。恋をしたことのない私には、よく分からなかった。
 でも最近、その意味が分かったような気がする。

 四月のある朝、真新しい制服に袖を通し、ピカピカの鞄に筆記用具を入れる。少しくたびれたテディベアのストラップに優しくキスをして、いつものように念じる。
 
 どうか今日こそは、彼に思いが届きますように……。

 この子は、五年前に好きな人からもらった初めてのプレゼント。
 テディとの出会いは、近所のゲームセンターだった。UFOキャッチャー内で退屈そうに寝っ転がっていたところを見て、何故だか運命を感じた。そして彼がとってくれた。しかも同時にニ匹も。
 思いがけず、彼とペアストラップを持つことができて、すごく嬉しかったなぁ。

 テディとの出会いを思い出しながら、まだ硬くて艶やかなローファーを履き、彼が待つ公園へと歩き出す。
 
 今日から私、石田理沙は高校生の仲間入りだ。
 暖かい陽の光を浴びながら、スキップするように歩く。ややくせ毛で肩より長い髪が、足の動きに合わせて飛び跳ねる。
 自宅を出て数分、住宅街の一画にある公園がいつもの待ち合わせスポット。小さな公園だが、そこに彼が居てくれるだけで、他のどんな所よりもキラキラ輝く。
 恋ってこういうもの?

 公園に近づくと、道端で立ちながら本を読む爽やかな青年が見えてきた。
 180cmぐらいの長身、中肉で、肌はこんがり日焼けしている。黒髪短髪でウェリントン型の黒縁メガネがよく似合っている。

 さすが、大ちゃん! 約束の時間より早いのに、もう来てる。制服に黒縁メガネ姿、なんと神々しい。あー、この爽やかな柑橘系の香り、好きなんだよねぇ。

 大ちゃんこと山井大佑は、幼稚園の頃からの付き合いだ。そして、私が五年片思いしている相手。
 私達はこれから、同じ高校に通うのだ。

 私が微笑むと、それに気がついた大ちゃんが不思議そうな顔をする。

「おはよう。朝から何でニヤニヤしてんの?」
「おはよう。……何でもないよ!」
「ふーん、じゃあ行こっか」
「うん」

 そうして、私と大ちゃんは高校へと歩き始めた。

 危ない、危ない。私の気持ちは秘密にしておかないと。
 だって大ちゃんが好きなのは、私の姉、真希ちゃんだから。
 私の気持ちを伝えたら、今の関係ではいられなくなる。だから言わずに秘めておこう、決めた。
 諦めればいいのに、そう簡単に諦められないの。それがまた辛いところだ。でも、それが片思いの醍醐味なんだとも思う。

 そんなことを考えながら、昨日のテレビ番組の話をする大ちゃんを見つめて笑い返す。 すると大ちゃんが急に吹き出した。

「プッハハハ! ……今、全然違うこと考えてたでしょう⁉︎」
「そんことないよ! 私はいつだって大ちゃんのこと考えてます!」
「いやいや、それ絶対に嘘だ!」
「嘘じゃないですよー」
「その言い方! 嘘としか思えないぞ」

 二人で戯れ合う、この感じが好きだ。この関係がずっと続いてほしい、そう願わずにはいられないのだ。

「もうすぐ着くね。何かドキドキしてきちゃった」
「……俺ら同じクラスになれるといいね」
「いや、絶対無理でしょ! だって成績順でクラス分けされるって聞いたよ」
「うん、知ってるよ」
「……それ嫌味⁉︎ 『俺は頭いいクラスだけど、お前はバカのクラス』って言いたいんでしょ⁉︎」
「そんなこと思ってないよ! 素直に同じクラスになれたらいいなぁ、と思っただけ。そんなに、ひがむなよ」
 
 彼が苦笑いしながら私の頭を撫でた時、思わずキュンとなった。それと同時に気持ちを隠さなきゃ、と焦った。
 ゴツゴツした大きな手を掴み、両頬を膨らませながら彼の顔を見上げた。

 「プッ! それじゃあ理沙じゃなくて、リスだよ!」
「リスになってません! 頭ポンポンとか子供扱いしないでよ」
「ごめんごめん、つい舞花にやる感じでやっちゃったよ」
「もう……」

 失笑する彼を見つめながら私は思った。

 舞ちゃんはいつも、こんなことされてるんだ。心底羨ましい。
 舞ちゃんとは、大ちゃんの3歳下の妹、舞花ちゃんのことだ。とっても素直で、可愛い女の子。
 私も舞ちゃんみたいに素直だったら、良かったのにと、これまでに何度思ったことか……。

 「好き」って伝えたら楽になるのかな? この関係がギクシャクしちゃうのは、今よりもっと辛いな。

 私は苦悩していた。大ちゃんには、拗ねているように見えたのだろう。申し訳なさそうな顔で謝罪をしてきた。

「マジでごめんね。リスって言ったのは『小動物みたいで可愛い』って意味だし。頭撫でたのは……すっ……」
「小動物みたいで可愛い……。頭撫でたのは?」
「すごい舞花っぽかったから……」
「私が舞ちゃんっぽい⁉︎ そんなに幼くないですけど……」
「あー、もう言葉って難しい。とりあえず、ごめん」
「もう良いよ。それより、早く行こう!」

 私の脳内にはDJが居るのではなかろうか? と思うほど、大ちゃんの「可愛い」が繰り返されている。だからそれ以外はどうでも良くなった。

 高校の正面玄関近くには、既に人集りができていた。
 どうやら掲示板に張り出された紙に、クラスと名前が書かれているようだ。喜ぶ人も居れば、悲しそうにしている人も居る。
 あり得ないだろうけど、大ちゃんと同じクラスになれたら、どれだけ幸せな日々を過ごせるだろうか……。

 私は、無意識にうちに胸の前で指を組んでいた。
 横を見ると、大ちゃんが掲示板に目を凝らしている。どんどん胸の高鳴りが大きくなる。
 
「あっ……、理沙は五組だ」
「五組か。それで大ちゃんは?」
「うーんと……、一組だってさ」
「一組ね。これが学力の差ってやつですか」
 
 私は立ち尽くし、横に居る大ちゃんの方にゆっくり顔を向けた。大ちゃんは苦笑しながら話し始めた。

「……まぁ同じ学校に居るんだし、困ったら呼んで。理沙のためなら、すぐ駆けつけるかさ!」

 サラッとそんな彼氏みたいなこと言うんだ。幼なじみどまりなのな……。

「ありがとう! さすが、幼なじみは頼もしいわ」
「そうだろ……」
「落ち込んでてもしょうがないよね。教室行こうか」
「だな!」

 そして私達は、それぞれの教室へと向かうのだった。