蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~

 男を見つめていた雪弥の碧眼が、途端に興味を失ったように力をなくした。「人形に興味はないよ」と冷ややかに告げたかと思うと、彼は砕かれていない拳を突き出す男の脇腹を蹴り上げた。

 肋骨が砕ける音がしたが、男は呻き声一つもらさなかった。ぐらりと崩れかかった身体を両足で踏ん張って持ちこたえる。力を制御していたとはいえ、心臓と肺に打撃を与えたはずの男が、唇から細い血を滴らせながらも身構える様子は雪弥を苛立たせた。

 煩わしい。

 雪弥の碧眼が淡く光り、強い殺気を帯びた。

 男は雪弥の脳天を打ち砕こうと左手を振り降ろしたが、不意に目標を見失って動きを鈍らせた。一瞬にして男の後ろに回りこんだ雪弥の手には、サイレンサーがついた銃が握られていた。

 一発、風を切る小さな音が上がった。後頭部から額へと銃弾を貫通させられた男は、窓ガラスに寄りかかるように崩れ落ちた。白い頬に一滴の赤い点を付着させた雪弥は、横目にそれを眺めながら銃を持った腕を降ろした。


 他に手近に襲ってくる者がないと確認し、コートを翻すと、銃をしまって先へと進んだ。サングラスの男が人体を弄られた肉体改造タイプであることを思いながら、ふと、白衣と医療用メスの暗殺者を思い出して、げんなりとした表情を浮かべる。


「つまり、二組織分の、二種類の用心棒がいるんだな……」

 この仕事をやっていると、自分たちの安全を確保し有望な下僕を作るため、日々そちらに力を入れている組織も多く目撃する。身体を強化させた部下や、肉体改造を過剰に加えたりも最近はある。

 その組織や作り手によって個性が出る事があるが、わざわざ返り血が目立つタイプの白衣はなぁ……と、なんとなく個人的には受け付けられないものがある。それらの主人の趣向をちらりと考えてしまうせいだろう。

「多分、学生を引き取りにきた組織側の連中、なんだろうなぁ」

 そう呟いた矢先、廊下の先からこちらを窺う敵意と殺気に気付いた。体中に手術痕のある白衣の連中とはあまり顔を会わせたくない気持ちが強いものの、出来るだけ瞬殺する方向で考え、気を引き締めた。

 そのとき、タイミング悪く胸ポケットの携帯電話が震えた。雪弥は「こんなに時に誰だよ」と思いつつ、コート下から携帯電話を取り出した。視線を注意深く正面に向けたまま、着信画面も確認せず小型無線マイクのついていない左耳へと押し当てる。

「はい、もしも――」
『なぜ私からの連絡をとらないのか、聞かせてもらおうか』

 もしもし、と言い掛けた雪弥の言葉を遮り、皮肉と嫌味たっぷりの声が強い口調でそう告げてきた。

『当主からの電話は取っておきながら、しかも自分から掛け直しておきながら私からの電話は堂々と無視か。きちんとした理由と言い訳を述べる時間をくれてやろう。兄である私は兄弟には寛容な男だ、三十字以内で答えろ』

 返す暇も与えない、相変わらずの話しっぷりに雪弥は頭を抱えた。

 よりによって、このタイミングで蒼慶かよ。
 蒼緋蔵家長男からの着信を取ったことに後悔を覚えながら、雪弥は引き攣りかけた口元から、諦めたように力を抜いた。その間にも、人体改造を受けているサングラスの男が二人、銃口を向けて奥から飛び出してきた。

 雪弥は先に発砲された一発をひらりとかわすと、取り出した銃の引き金を二回引いた。額の中心を撃ち抜かれた男たちは、やはり悲鳴一つ上げることなくどさりと床に倒れ込む。

 やはり生きた人形みたいだ、と思いつつ、雪弥は溜息をもらした。

「あのね、兄さん。僕は今仕事中でして――」
『貴様の意見など聞いていない』

 またこれかよ。

 雪弥は顔を顰めて携帯電話を離すと、忌々しい声を発するそれを横目に見やった。いっそこのまま切ってしまおうか、と考えながら携帯電話を持ち直そうとしたとき、右耳にはめた無線マイクから暁也の声が響いた。

『雪弥、お前んとこに赤いのが向かってんぞ!』
「ああ、うん、了解」
『誰と話している。貴様はいつもそうやって――』

 雪弥は敵が近づいてくる気配を感じ取り、携帯電話を耳から離した。「また始まったよ」と苦々しげに見降ろす受話器からは、口を挟めないほどのマシンガントークが流れている。

 雪弥はふと、今一番の解決策を思いついた。

 しばらく落ち着けそうにないし、兄さんにはそのまま話させよう。切ったらあとが怖いし、どうせあと数分間は喋り続けるだろう。

 雪弥は、通話中の携帯電話をそのまま胸ポケットに戻した。十数メートル先にある二階へと続く階段から、同じような容姿と体格にさせられた大男たちが下りてくるのが見えて、歩き出しながら、心臓と頭部に狙いを定めて銃を連射した。


 何人いるかなんて数えなかった。降りてくる数だけ引き金を引き続けていると、銃弾が半分以下になった低度で動く反応が階段から消えた。


 なんだ、案外少ないな。雪弥は歩き出しながら、右耳にそっと触れた。

「そっちはどう?」
『屋上口は平気さ。ただ三階に数が集まっているっつうか……』
『二階の奴らは動きが早くって、三階はとろいって感じ! えっと、その、だから俺らは大丈夫! 武器だってあるし、いざとなったら自分の身は守れるからさ』

 修一の陽気な声は掠れていた。しかし、すぐに暁也がトランシーバーを奪い取って『おい』と続ける。

『お前の方こそ、怪我したら承知しねぇぞ』

 ふと、その声が柔らかく耳をついた。

 雪弥は、何故かすぐに答えられなくて、少しの間を置いたあと、ただ「うん」と答えて手を離した。
 歩きながら彼は、修一からの報告にあった動きが早いという標的について、スーツ男よりもスピードがダントツにあった白衣野郎を思い返し、つい「きっとあいつ等だろうなぁ」と呟いてしまう。自称学者という李の情報を思い出すと、きっと人体実験用の人間を欲しがっているところのメンバーなのだろう。

 暗殺者に白衣なんて悪趣味だ、と雪弥はしみじみ思った。殺人を行うとき、返り血が目立つ白い服を着る連中の気が知れない。

 つまり、変態だ。

 雪弥はそう一言で結論付けた。大きな死体を四つ踏み越えて階段を上る。途中二階フロアから飛び降りてきた白衣の男がいたが、目も向けずに彼の顎下から銃弾を撃ち込んだ。

 脳天が吹き飛んだ男の身体がよろけるのを眺め、銃を持っていた右手で軽く払いのける。階段の壁に、男の身体が叩きつけられてめり込み、大砲を打ち込んだような風圧に髪をなびかせる雪弥の隣で、コンクリートが大きく凹んで押し潰れた。

 上部に広がる二階フロアから数人の足音を感じ、雪弥は軽々と跳躍して二階へと降り立った。銃を持った右手で舞い上がったネクタイをスーツの中へと戻す際、触れたシャツに赤が染みこんだ。

 足音と人の気配に向かって進み始め、雪弥はふと、屋上にいる少年たちが気になった。

 無線に出た修一も暁也も強がりを見せていたが、銃の経験は一度もないのだ。身を守るために持たせているとはいえ、初めて手にした武器で人間を撃つことは難しいように思われた。

「……大丈夫かなぁ」

 そのとき、不意に無線が繋がった。


『初めまして、ナンバー4。異名スナイパーの元ナンバー二十一です。屋上の子供たちは私にお任せ下さい』


 饒舌な口調だった。彼は『今作戦に置いての規律を破ってしまいましたが、お咎めを受けるべきでしょうか』と冗談交じりで、ひどく現場に慣れたように茶化し尋ねてくる。

 雪弥は笑いを含んで「いいや」と答えた。

「そちらも元上司の命でも受けているのだろう? こちらとしても助かるよ。二人の子供たちを宜しく、元ナンバー二十一」
『滅相もございません』

 紳士口調の流暢な声には、思い当たる人物があった。悟って可笑しくなり、雪弥は一人ふふっと笑みをこぼしてしまう。

 なるほどね、と彼が唇の端を引き上げたとき、二学年の教室を突き破った者たちがあった。跳躍するように凄まじい速度でやってくる白衣の男は、一斉にその数を七にまで増やす。天井や壁、ガラス窓や床に四肢を置いて跳躍する姿は、人間とは程遠いものだった。

 腕時計は十一時八分を指していた。

 雪弥は「やれやれ」と男たちに向き直る。

 さて、今度は一般人じゃない相手に腕慣らしと行きますか、と雪弥は銃をコートの下にしまった。白衣の男たちが両手に持ったメスは、窓から差し込む月明かりを受けて鋭利な刃先を光らせている。

 迫りくる男たちが、こちら目掛けて飛び込むように一斉に飛び上がる様子を、雪弥は明日の天気を伺うように見つめた。前髪の暗がりに、浮かんだ碧が淡く光る。

 それはすうっと瞳孔を細め、残酷な殺戮者の冷たさを纏った。
 画面上に浮かんでいた赤い人型が、次々と動かなくなっていく。動く人影に血生臭い惨劇を想像しかけるが、少年たちは首を振るようにしてそれを払いのけた。

 眩しいほどの月明かりが照らす屋上からは、学園敷地内を取り囲む奇妙な黒い柱と有刺鉄線が見えた。暁也と修一は、そこにすっと横切る白い面の人間を見たような気がして怖くなり、それ以降は、いつも昼食をとっている中央に腰を下ろして外の景色を見ないように努めていた。

 ノートパソコンとトランシーバーは目の前にあり、銃だけが死角に置かれている。

「まだ、あれからそんなに経ってないんだよな……」

 暁也が呟いた。時々、座っている床越しにわずかな振動が伝わって来る。明るい月が出た夜空を見上げると、美しい星空が広がっていた。

「腹、減ったな……」

 パソコンから距離を置いてあぐらをかいていた修一が、何気なく暁也の呟きに答えた。暁也の腹から虫の音が鳴ったのを聞き、自分だけではないのだと気付いて黙りこむ。

 動揺と緊張が落ち着いてきた成長期の二人は、ひどい空腹を覚えていた。先程嘔吐した修一も、すっかり食欲が戻っていたのだ。

「…………なぁ、雪弥さ、大学校舎からうちの保健室に乗りこんでたけど、あそこって通路ないよな?」
「…………ああ、ない」

 あのとき、一緒にノートパソコンの画面に表示された地図を覗きこんでいたことを思い出し、二人はしばらく黙りこんだ。数十秒が経ち、暁也がようやく「話を上手くそらされちまったよな」と結果を述べる。

 修一は、暁也が静かに怒りを募らせていることに気付き、後ろに腕を置いて楽にしていた上体を、前へと戻した。

「やっぱりあれさ、何かで破壊して、無理やり近道した感じがするんだよ」
「だろうな。一体何を使ったかは知らねぇが」
「バズーカ砲とかさ」
「そんなの持ってたか?」

 暁也が呆れ返った視線を投げて寄こした。空腹で体力もないのか、力のない表情からは疲れが浮かんでいるようにも見える。

 そのとき、はっとしたように修一がパソコン画面を覗きこんだ。ぎこちなく画面に触れ、「げっ」と声を上げて暁也を振り返った。

「暁也、やばい! 雪弥以外の奴がこっちに向かってる!」

 何人だ、と急くように言って膝を立てた暁也に、修一は「一人」と答えて唾を呑んだ。

 どうやら、二人が恐れていたことが、とうとう起こったようだった。雪弥に「大丈夫」と言った矢先だったが、襲撃されるかもしれないと予測した修一が「どうする」と暁也に意見を求めた。不安げな表情は、助けを呼んだ方がいいのかどうかを伺っている。
 暁也は答える代りに、恐怖を押し殺すと、背後に置かれていた銃を拾い上げた。想像していた以上にひどく重量感があり、テレビで見るように右手に持ち構えると腕が震えた。修一が「大丈夫かよ」と心配したが、暁也はそれを無視して両手に持ち直して立ち上がった。

 修一には撃てない、俺が撃たなきゃ。

 暁也はずしりと重い銃を、両手でしっかりと持って屋上扉へと向けた。真っ直ぐに扉へと狙いを固定しているはずが、銃口は震えて発砲先が定まらなかった。

「暁也、無理すんなよ。お前、めっちゃ顔色悪――」
「近づいてくる奴、どうなってる?」

 前方を睨みつけたまま、暁也は込み上げる恐怖を払いのけるように問う。

 早口で問われた修一は、慌てたようにパソコン画面へ目を走らせると、ぎょっとしたように飛び上がった。

「近づいてるッ、今、扉の前だ!」

 修一は叫んで、勢いよく暁也を振り返った。

 両手で持った銃をぶるぶると震わせた暁也は、緊張で全身を強張らせていた。瞬きもせず見開かれた瞳は、狙いが定まらない銃口から屋上扉を睨みつけている。


 重々しい足音が聞こえた次の瞬間、鍵の壊れている扉が乱暴に押し開けられた。


 月明かりの下、扉の上に頭部が届きそうなほどの大男が顔を覗かせた。盛りあがった頬骨と窪んだ目尻に、細いサングラスが埋まっている印象すら覚える大きく厳つい顔をしている。

 そのとき、男の視点が暁也たちへと定まる前に、鈍い音が空気を切り裂いた。

 屋上へと身を乗り出し掛けた男の頭部が、強い衝撃に後頭部を破裂させて、ぐらりと扉の奥に続く闇へ姿を消していった。崩れ落ちた際にそのまま階段を転がり落ちていったのか、転倒音が遠く離れていくのが聞こえた。

 呆気に取られて茫然と見つめる先で、扉がぎぃっと金属音を上げて、一人でに静かに閉まった。

「……暁也、お前、撃ったか?」
「撃ってねぇよ!」

 それに銃弾はあんなに威力ないはずじゃ、と言い掛けた暁也は、背後で足音を耳にしてギクリと身体を強張らせた。緊張が高まっていた彼は、反射的に振り返りながらそちらへと銃口を向ける。

 コンマ二秒遅れで同じように振り返った修一は、暁也と同様、そこにいた男の顔を見てはたと動きを止めた。


「やあ、二人とも。駄目だよ、無害な人間に銃口を向けちゃあ」


 撃ち返されても知らないよ、と冗談交じりで相手の男が陽気に笑む。

 そこにいたのは、三学年の数学教師であり、暁也や修一のクラスである三年四組の担任、矢部だった。普段は前髪でもっさりとしている目元も、後ろに撫で上げられて、そこから明るい茶色をした活気溢れる目が覗いている。

 彼の手には、スコープ付きの長い銃があった。その銃口にはサイレンサーらしき黒い筒が設置され、服装は昼間暁也たちが見たときと同じだった。違うことは、肩に鞄を掛けていることだろうか。

「え、矢部先生?」

 どうして、と続けようとした修一に構わず、暁也は銃口を向けたまま「敵か?」と鋭く問うた。教師にも共犯者がいると知っていたからである。
 矢部は、自分に向けられる銃口が震える様子をしばらく眺めていた。しかし、すぐ降参するように両手を上げると「味方だよ」と答えた。いつものぼそぼそ声はどこに行った、と二人が思うほど流暢な喋り方だった。

「初めからずっと見ていたんだけど、いや、お見事だよ」

 まぁ座って、と促され、暁也は渋々といった様子で修一の隣に腰を降ろした。

 矢部は暁也が素直に銃から手を離すのを見届けたあと、二人の近くに腰を降ろして鞄から黒い鉄の棒をいくつも取り出した。慣れた手つきでそれをあっという間に組み立て、自分の持っていた長い銃を設置する。

 映画のような素早い動きと、組み上がった土台に置かれた銃を見て、修一が感心と感動に瞳を輝かせた。

「先生、すげえな!」
「え? ああ、そうかい?」

 矢部は困惑しつつ笑みを浮かべた。「褒められるような事じゃないけどね」と続け、鞄からパンを取り出した。どれも、昼間売店で売られている菓子パンだった。

「ほら、食べなさい。腹が減ったろ?」
「おう!」

 即答してアンパンに飛びつく修一に、暁也が「食い物につられるなよ」と怪訝そうに言った。すると、矢部は「さあ、どうぞ」と彼にメロンパンを差し出した。

 暁也は空腹も限界に来ていたので、味方ではあるが素性の分からない矢部に「ありがとう」とぶっきらぼうに答えて、それを受け取った。すかさず袋を開けてかぶりつく。

 少年たちの隙をついた矢部が、ふと二人の間に長い上体を割り込ませて、トランシーバーを手に取った。パンが口に詰まって「あ」とも言えない少年組の前で、矢部は慣れた手つきでそれを口元に近づける。

「初めまして、ナンバー4。異名スナイパーの元ナンバー二十一です。屋上の子供たちは私にお任せ下さい。今作戦に置いての規律を破ってしまいましたが、お咎めを受けるべきでしょうか?」
『いいや、そちらも元上司の命でも受けているのだろう? こちらとしても助かるよ。二人の子供たちを宜しく、元ナンバー二十一』
「滅相もございません」

 話し終わると、矢部はトランシーバーを元の位置に戻した。

 癖のあるぼさぼさの髪から覗いている堀の深い瞳は、鋭利で知的な男を思わせた。普段生気のない髪だと思っていたが、ふんわりと盛りあがった頭髪からはポマードの香りが漂っていた。

「なぁ、先生たちって一体何なの?」

 修一は、唐突に思ったままにそう尋ねた。

 矢部は少し困ったように首を傾け、視線を泳がせる。

「ごめんねぇ、細かいことは言えないんだな、これが。はっきり言えることは、私は、今は普通の数学教師で、君たちの担任ってことかな」

 首の後ろへ手をやる矢部は、どこか面倒臭そうというような雰囲気があった。
 暁也が眉を顰めて「今はってことは、前は違ってたってことだろ」と無愛想にパンを頬張る。矢部は「鋭いね」と笑ったが、特に困った様子もなくけらけらと声を上げただけだった。

 先にパンを平らげた修一は、ノートパソコン画面へと目をやった。黄色い人影に、十近くの赤い人影がいっせいに飛びかかっているのを見て「雪弥ッ」と思わず本人に届かないのに声を上げてしまう。同じように画面を見た暁也も、緊急事態だと見て取り、もう少しでパンを詰まらせるところだった。

 しかし、二人の心配をよそに、赤い色は一瞬にして粉砕されて動かなくなり、中央に残った黄色い人影だけがゆらゆらと光っていた。

「「……どうなってんだ?」」

 顔を見合わせ、修一と暁也は声を揃えた。矢部が「仲がいいねぇ」と言うと、暁也が黙れと言わんばかりにぎろりと睨みつける。

 特に反応も返さないまま、矢部は続きを見るようにと言わんばかりに、画面を指差した。黄色い人影が幽霊のように画面上を滑ったかと思うと、気付くと三階部分に立っていて、赤い人影の動きを次々に止め始めていた。

「彼はとても強いからね、あと数分もかからないだろう」
「先生は行かないの?」
「私は、君たちのお守りさ」

 矢部は、呑気に答えてそのまま仰向けになった。豹変した矢部を信頼しきれない暁也は、顰め面を持ち上げるようにして担任教師を見やる。

「先生って、そっちが地か……?」
「まぁね」
「じゃあ、いつもそうやって喋ってくれよ。あんたの声、マジで聞き取りにくい」

 修一は「そうだよ」と言い暁也の言葉に賛同した。彼は「俺は特に授業とか聞いてないけど、帰りの連絡とか、ちゃんとしてくれないと困るよ」と、受験生でありながら授業放棄している胸を、堂々と申告するような発言をした。

「まいったね、こりゃ」

 矢部は可笑しそうに笑い、無造作に鞄へと手を伸ばして、外国製の煙草を一箱取り出した。横になったまま一本口にくわえ、ポケットからジッポライターを取り出して火をつける。

「教師が生徒の前で堂々と喫煙かよ」

 暁也は忌々しげに吐き出した。「校内禁煙だろ」と指摘する暁也の隣で、修一は「へえ、煙草吸うんだ」とゆらぎ広がる煙も平気な様子だった。
「時間外まで、矢部啓人を演じる義務はないよ」
「それって、絶対そうしなきゃいけないの? 本当に先生の声聞きづらいし、変な歩き方とか猫背とか、意味あるのか?」

 修一は、横になった矢部の顔を上から覗きこんで、不思議そうに尋ねた。

 暁也がじっと横目に見つめる中、矢部は修一の向こうに広がる星空を眺めていた。彼の口にくわえられた煙草は、撫でるような風に揺らいで上空へと登っていく。

 しばらく間を置いて、矢部が「……そうだねぇ」と口元に小さな笑みを浮かべた。


「一言で述べるのなら、そばにいたいから、かな」


 修一の顔に疑問符が浮かぶのを見ると、矢部は困ったように視線をそらした。言葉を選ぶように、口にくわえた煙草をもごもごとさせる。

「ん~、なんというか、ここにいるためにはそうでなくてはならない、という感じかな。口下手で身体が悪くて自信がない、本来の自分とは全く別の人間を演じる必要があるんだ。――そして、足を負傷したのも私でなければいけないんだ」
「ちッ、さっきから分かんねぇ事ばっか言いやがって。そんな悠長に寝てっと、真っ先に殺(や)られんのが落ちだぜ」

 暁也が愚痴ると、矢部は煙草をくわえたまま「やれやれ」というように笑んだ。一呼吸置いて、彼は断言するようにこう告げる。


「寝ていても殺せるよ」


 ぴたりと風が止んだ。

 その静けさに響いた台詞に、暁也と修一が目を合わせて口をつぐむ。

 暁也は、きょとんとした修一から先に目をそらした。悠々とした様子で煙を吐き出す矢部を睨みつけ、「おいコラ」と喧嘩を売るように声を掛ける。

「俺ぁ、お前が嫌いだ」
「私は好きだよ」

 ほぼ同時に言葉が上がった。暁也が仏頂面で鼻を鳴らす隣で、矢部を見つめていた修一が「俺、こっちの先生の方が好きだけどなぁ」とのんびりとした表情で言った。

 矢部は夜空を見上げたまま、懐かしむように目を細めた。口からゆっくり煙草を取り、煙を吐き出しながら二人の生徒にこう言い聞かせた。

「どうか、勘違いしないで欲しい。私と彼らが持っている『人を殺める技術』は、国家と人民を守るためのものなんだよ」

 その言葉のあと、遠くでくぐもるような銃声音が上がった。
 まるで人の気配を感じなかった。旧市街地から大通りを抜けた先は、街灯の明かりさえ見えない。

 途中、フロント部分を大破させている乗用車を通り過ぎた。そこには、月の青白い光に照らし出された人間の白い面がいくつか浮かび上がっており、それぞれ前車と後車でハンドルを握っていた澤部と阿利宮が「おわっ!?」と驚いた声を上げて、車体をぶれさせた。

 一瞬にして通り過ぎてしまったので、よくは分からなかった。それが先程見た面を付けた子供と同じ「エージェント」の人間であるらしいとだけは理解していて、一体あの事故車はなんだったんだろうな、という疑問だけが残った。

 藤村事務所へ強行突入した際の熱が残っていたので窓を開けていたが、やはり辺りは不気味なほど静まり返っていた。


 金島を含む七人の捜査員は、二台の車で白鴎学園前までやってきた。鈍く月明かりを反射する黒い芯柱と、張り巡らされた有刺鉄線を目に留めて、一同は絶句した。


 白い面の人間がちらりと彼らの姿を見やるが、特に興味を向けることもなくふいと視線をそらせた。面は違えど同じ服装をした彼らは、有刺鉄線の檻を更に取り囲むように、一定の距離を保って直立不動していた。伸縮性の黒いニットの上から着た防弾チョッキと銃の武装は、軍隊のような様だった。

 時々、有刺鉄線からは電流の光りが細く上がっていた。物騒な高圧電流の檻と武器も、それぞれの仕事を当然のように進めるナンバーズ組織も、金島たちの目には異様な光景に映った。学園内で殺戮が起こっていることを受け入れられない自分たちこそが、どこか間違っているのではないかと錯覚してしまうほどだ。

 不意に、悲鳴と怒号、銃声音が学園内から上がった。

 思わず足を止めた金島を、毅梨と阿利宮、彼の部下である三人の若手捜査員が振り返らないままに通り越した。一瞬歩みを送らせた毅梨が「答えてはくれないと思いますが、いろいろと話を伺ってきます」とだけ言葉を残していった。

「とんでもねぇな……」

 金島の後ろで、車に寄りかかった澤部が煙草の煙を吸い込んでぼやいた。

「日本にこんな組織があると知れたら、国中パニックになるだろうな……」

 澤部がもう一度深く煙を吸い込むと、金島の背中を見つめていた内田が、車体前方部分に腰を降ろした。立つのも億劫といった様子で溜息をもらし、だらしなく体勢を崩す。

「おいおい、この車凹ませたら、毅梨さんにあとで叱られっぞ」
「無駄に丈夫そうな車体なんで、大丈夫じゃないすか? 気になるのは、金島ジュニアとその同級生の安否っすよね」

 きっと金島さんが一番心配してる、と内田は語尾を濁した。

 そのとき、三人に声を掛ける者の姿があった。

「あと数分もしないうちに終わりますよ」

 澤部と内田、金島が揃って視線を投げかけた先で、黒いコートを着た長身の男が「どうも、こんばんは」とにこやかに挨拶をした。

 頭髪は白が目立ち、ふっくらとした顔にも、老いた年齢を窺わせる緩やかな深い皺が入っている。しかし、どこかぴんと伸びた背筋は若々しくもあり、体格は細身というよりは、現役の若手刑事のようにしっかりと鍛えられて引き締まっている感じもあった。