塀から身を起こしてそこに背をもたれ、雪弥は「なんですか」とぶっきらぼうに尋ね返した。その問いには「突然何なんですか」という素っ気なさが含まれていたが、電話越しにいる上司がそれを注意もせず、まるで今任務以上に大真面目な話を切り出すように沈黙を置くのも、かなり珍しいことである。

 もしやそれほど真剣な話なのだろうか。

 自然とそう身構えた雪弥に、彼は唐突にこう述べた。

『女子高生とは恋愛してみたか? 青春という味わいだ』
「は……? って、こんなときに何言ってんですかあんたは!」

 雪弥は一呼吸に言い切った。なんて上司だよ! と思わず振り返った際、勢いで掴んだ塀にひびか入った。

 ナンバー1は『よし、いつもの感じに戻ったな』とこちらが理解し難い独り言をすると、まるで、これでイケるとばかりに自信が戻った声色で悠々と続けた。

『とくにお勧めはピュアな一年せ――』
「んな事するわけないでしょうが!」

 雪弥は上司の言葉を遮った。言わせてなるものか、と反射的に思ったのだ。

 彼の手元から始まった塀のひび割れは、広がるようにその線を伸ばしていた。亀裂が入ったそこからコンクリートが欠け、ぱらりと落ちていく。ナンバー1は途中で火でもついたのか、電話越しに呼吸を荒くし興奮ままならい様子でまくしたててくる。

『こんなときだからこそ出来ることなのだぞ! しかも、お前にしか出来んことなのだ! 私には絶対潜入出来ない場所にいながら、お前という奴は……ッ』

 悔しそうに言葉を並べるナンバー1に、雪弥は怒りが込み上げた。

 口の端がぴくぴくと痙攣するのを感じ、とりつくろう間もなく表情が強張る。塀を掴んだ手に怒りが伝わり、ばきっと音をたててそこが砕け落ちた。

『まだ間に合うぞ、雪弥!』
「あんた最低だな!」

 雪弥が叫んだとき、ナンバー1の声を水音が遮った。コップ一杯分の水が打つような音だった。その現場の様子が目に浮かんだ雪弥は、思わず呆れ返って言葉も探せない。


 しばらく、双方が静まり返った。雪弥もナンバー1も発言がないまま、ただお互いの沈黙を聞きあう。ようやく静寂に響いたのは、『失礼致しました、ナンバー1』という冷ややかな女性秘書の声だった。


 そこでようやく、上司からわざとらしい咳払いが一つ上がり、雪弥は額を押さえて長い吐息と共に肩を落とした。

『現場指揮はお前に任せる。我々はお前からの作戦開始合図を待つが、合図を忘れてはいないな?』

 ナンバー1は上司振る口調だった。

 つい今しがたの失態をなかった事にするつもりらしい。恐らくは、先程までリザが席を外していたのだろう。電話を終えたあとの言い訳でも考えているらしいナンバー1の語尾は、胡散臭いほど明らかに上から目線である。

「……はいはい、忘れていませんよ」

 夜が降りる、という合図を雪弥は心の中で呟いた。