事務室の隣は職員室となっており、岡野はその向かいにある階段を進むと、二階へと上がり「校長室」と書かれた東側の扉を二回叩いた。返事もないまま茶色の質素な扉が開き、外観からは想像もつかないほど立派な校長室が姿を現す。


 黒いカーテンで窓が仕切られた室内は、弱々しい灯かりだけがつけられていた。中央に置かれた重量のあるテーブルと、向かい合った黒い革ソファの奥に、理事長兼校長の書斎机があった。

 岡野が無言で扉を締めると、その席に腰かけていた六十代前半の男性が、雪弥に微笑みかけた。少々薄くなった灰色の髪をしており、大きめのグレースーツを恰幅の良い身体に着こんでいて、その顔は写真で見た尾崎その人だった。

「はじめまして、ナンバー4。元、エージェントナンバー十三の尾崎と申します」

 心地よいテノールで尾崎が言った後、雪弥の後ろに控えていた岡野が、後方に手を伸ばして扉横に触れた。くぐもるように金属音が連続して起こり、雪弥は室内が完全に遮断されたことを理解した。

 つまりは、一見するとどんくさいようにも見える事務員の彼女もまた、尾崎の事情を知る関係者の一人であるらしい。雪弥はそう思いながら、初対面となる元エージェンの尾崎に挨拶をした。

「はじめまして、尾崎さん。ナンバー4の雪弥です」
「わざわざすみません、事は少々厄介な方へ転がっていましてね」

 語る尾崎の声は、童話を語り聞かせるような口調だが、微笑をたたえる瞳の奥には考えが読めない鋭さがあった。すっと歩き出した岡野へと大きな白い手を向け、「彼女は、元ナンバー六十二のメイです」と紹介した。

 岡野は、書斎机の横で踵を返すように雪弥を振り返ると、「突然呼び出して申し訳ありませんでした」と、先程までなかった滑らかで早い言葉を紡いだ。

 肩をすくめて応えた雪弥に、尾崎がふふっと笑みをこぼす。

「大丈夫、この部屋は室内で爆発が起ころうと外に音がもれません。四方に盗聴防止機器が設置されて、外界から完全に遮断されています」
「恐ろしい校長室ですね」

 雪弥は思わず本音をもらした。尾崎は「理事室としても使わせてもらっています。厚さ五十センチの超合金、窓も同じ厚みがある」と言って、穏やかに装われただけの瞳を雪弥に向けた。

「本部から音声通信を繋げてあります。設置機器の問題で、映像とまではいきませんが」
「いいえ、音声通信だけで結構ですよ」

 二人の会話が途切れた時、岡野が書斎机の上に置かれた小さな灰皿へと手を伸ばした。それがカチリとひねられて、金庫室の鍵が回って行くような音が三回上がり、不意に途切れる。

 そのとき、一つの音声信号が入った。

『雪弥、聞こえるか。こちらナンバー1、総本部オフィスからだ』
「聞こえてますよ。こちらは今、尾崎さんのオフィスです」
『急きょですまないが、事態が変わった。今回調査に当たった研究班の班長、キッシュと通信が繋がっている』