看護師の1日は忙しい。私の勤める病棟は、主に心臓に疾患を抱える患者が入院する循環器内科病棟だ。


 朝9時、夜勤者からの申し送りが終わったら、清拭などの清潔ケアを行う。2・3時間おきに排泄確認と体位変換を行い、その合間に受け持ち患者の検温や処置、点滴の投与などを行う。


 そうすると、もう昼時になり、昼食の配膳・下膳をする。看護師は数人ずつ交代で1時間休憩をとる。休憩が終わったら、様々な議題のカンファレンスを行う。その後は、午前中できなかった処置などをするのだ。


 その通常業務に加えて、もし緊急で入院患者が来るとなったら、書類の準備や医師の指示を確認するなど……。


 ここでは書ききれないほど、膨大な量の業務をこなす。想像以上にハードな仕事なのだ。しかも責任も重く、常に緊張感があるため身体的にも精神的にも疲労を感じる。
 

 夜勤者への申し送りが終わると、緊張という名のピンと張った糸がプツンっと途切れる。椅子に腰掛け、同僚と雑談をしながらパソコンで患者の状態を記録をすることも多々ある。
 

 あー、今日も疲れたなぁ……。
 

 私はパソコンの前で大きく背伸びをした。すると、横にいた後輩の佐藤さんが声をかけてきた。
 

 「金村さん、今日ご飯行きませんか?」
 

 えっ、面倒だな。明日休みだから本屋行きたいし……。
 

 「うーん、今日は疲れちゃったから遠慮しておこうかな……。ごめんね」


 「えー、残念。確かに、今日忙しかったから疲れましたよね。じゃあ、またお誘いします!」


 彼女は最初、悲しげな表情を見せたが、すぐに私に向かって微笑んだ。わがままを言うことなく、相手の気持ちに寄り添って話してくれる。しかも「またお誘いします!」って、なんて爽やかなんだ。


 さすが佐藤さん! 後輩の中で1番の素敵女子と言っても過言ではないだろう。素直でいい子だ。若いのに、しっかりしてるし。見た目も可愛い。顔だけじゃなく、ちょっとした仕草が、これまた可愛いんだよなぁ。具体的に何がそう思わせるんだろう?


 私は、彼女を見つめながらあれこれ考えた。そして、彼女から可愛くなる極意を学ぼうと決心した。


 「あっ、やっぱり行こうかな! 家に帰ってからご飯の準備するの面倒だし……。それに佐藤さんとゆっくりお喋りしたいし」


 「本当ですか⁉︎ すっごく嬉しいです! 金村さんとご飯行くの初めてなので、ドキドキしちゃいます」


 口元で両方の掌を合わせ、満面の笑みを浮かべる彼女を見て、私は思った。


 ドキドキしちゃうって……。仕草も発言も可愛いすぎる。私が男だったら、もう好きになるわ。


 そんな私と佐藤さんの会話を聞いていた他のスタッフが声をかけてきた。


 「金村が誘いになるなんて珍しい! じゃあ私も仲間にいーれて」


 ニコニコしながらそう話すのは、私の先輩の木下さんだ。彼女は普段とても真面目だが、飲み会の席では豹変する。超がつくほどお酒が好きで、まるで水を飲むかのようにゴクゴクと流し込む。そして、酔うと暑苦しいぐらいベタベタくっついてくる。これは非常に面倒なことになりそうだ……。


 そんなことを考えているうちに、どんどん人が集まり、いつしかナースステーションは大賑わいになっていた。


 うすうす気がついていたが、私の知る看護師の多くは、食事会……いや、飲み会が大好きだ──。


 「あっ、佐久間せーんせい! 今日これから皆で飲みに行くんですけど、一緒にどうですか⁉︎」


 偶然ナースステーションに現れた佐久間先生を、木下さんが誘う。佐久間先生とは、循環器内科の部長を務める偉い方だ。先生の素晴らしいところは、優秀であることを鼻にかけず、誰にでも親切、丁寧なところだ。そして──


 「おぉ、ずいぶん急だね。行きたいけど、今日は家内の誕生日だから早く帰らないと。悪いね。あっ、でも若いドクターに伝えておくから」


 そう言うと颯爽と去っていった。
 

 なんと、素晴らしい愛妻家! 奥さんは幸せ者だなぁ。羨ましい。この先、私の前にそんな人が現れたりしないかなぁ……。


 私は椅子に腰掛けたまま、佐久間先生の後ろ姿を見送る。そして、視線をパソコンに移すと、佐藤さんが言った。


 「佐久間先生の奥さん、愛されてて羨ましいですね」


 「──! 私も同じこと考えてたよ」


 思わず佐藤さんを見つめた。彼女もまた私を見つめ、にっこり笑う。そして彼女は、急に小声で話出した。


 「実はですね──、金村さんに相談があってご飯お誘いしたんです」


 「私に相談?」


 首をかしげて聞き返す私に、彼女は恥ずかしそうに微笑んで言うのだった。


 「あの……、安田先生のことなんです」


 私の胸の奥底でドクンと脈打つ。聞きたいような聞きたくないような不思議な気持ちになった。彼女を見つめながら小声で問いかけた。


 「安田先生がどうしたの……?」


 するとそこへ──、木下さんが来て、私たちを急かすように手拍子をしながら言った。


 「ほらほら、話してないで早く仕事終わらせてちょうだい! いつまで経っても、飲みに行けないでしょ」


 この人がいたら相談にのるどころじゃないだろうなぁっと私は思った。