とても晴れていたから、カーテンを買うのも絶好のタイミングで、死ぬのもベストタイミングだと思った。
「うん、今日だ」
死が、呼吸するのと同じぐらい、自分に自然とまとわりつくようになったのはいつからだろう。
紺色の制服に身を包み、飴色のローファーにつま先を滑らせる。
「いってきます」
きっと、これが人生で最後の「いってきます」だ。
そう思いながら、雲ひとつない空の下に身体を捧げた。
快晴。私──綿世三春の命日──の予定。
「よし、じゃあこのクラスの文化祭実行委員は瀬名と綿世で決定だな。二人とも、軽く抱負でも言ってくれ」
その予定が崩れ始めたのは、一限目のホームルームのことだった。
言い訳をするならば〝まさか選ばれるとは思っていなかった〟であり、今日は私の命日のはずだった。
突然教壇の前に立たされ、何を喋ったらいいかなんてこの数分で考えられるはずもなく、ただただ運が悪いとしか思うほかない。
容赦ない無理難題を、担任はニカっと笑って任せてくる。
高校二年、二か月後に迫った文化祭の委員に、まさか自分がこうして抜擢されてしまうなんて予想もしておらず、未だ無数の視線が突きつけられるこの現状でごくりと唾を飲む。
「がんばりまーす」
緊張で視線を泳がせていれば、隣からなんとも気怠そうな声が飛び出してくる。
「おい瀬名。もっとやる気を見せろ、やる気を」
「正当な選ばれ方じゃないからなぁ。先生の独断と偏見によって決めたでしょこれ」
「人聞きの悪い言い方をするな」
二人のやり取りにくすくすと笑いが起こる。選ばれることのなかったクラスメイトは、先程とは打って変わって気の緩んだ表情を浮かべている。
私もきっと、選ばれることがなければこんな顔をしていたのかもしれない。
「はい、綿世さんの番」
「えっ」
緊張と不安の中、瀬名くんから挨拶の順番が渡される。
分散していた視線は、集中的に私へと注がれ、心臓がどくどくといやな音を立てる。
「……あ、が、がんばります」
あまりの声の小ささに何人かが耳をこちらに向けたのが見えた。自分でも、声量の出なさは自覚している。けれどもこういう場面では、普段よりも声が喉に張り付くみたいに出ない。
がんばります、じゃないでしょ、私。
なに無責任な発言をしているのだろうと、どこかで俯瞰している私がいる。
「うん、頑張ってな二人とも」
担任の助け舟が合図となり、不揃いな拍手が送られる。ぱちぱち、と響く中で「ちっさ」とからかわれるような声が交じっていたのが聞こえ、思わず顔を上履きへと落とす。
こういうシーンが苦手だ。人前で言葉を発するということが、私にとっては苦痛でしかない。だから、これからこの場面が何度か繰り返されるなんて正直考えたくないというのが本音。
高校に上がり、中学にはなかった文化祭に心を躍らせた一年の秋。
模擬店を出店出来るのは二年生だけだと知り、先輩達が教室や廊下を飾っていく姿が羨ましくて、眩しく見えた。
一年ではまず文化祭がどういうものかを見学。三年にあがると、受験や就職の活動で忙しくなるため、二年生だけが出店を許される。
気の緩みやすい学年だとも言われているけれど、そんな時だからこそ心から行事が楽しめるようにというのがこの学校の風習。
だから他の高校よりも文化祭は力を入れるからか、準備は二学期に入ってすぐ始められる。
「まさか、綿世さんが選ばれるなんてね」
クラスの学級委員、香川さんは授業が終わるや否や席へと駆けつける。
「あ……うん、ほんとうに」
咄嗟に繕った笑みは、どうも上手く作れている気がしない。
どう笑っていたっけ。こんな時、どんな言葉を返せば正解なのかわからない。ぐるぐると、下手くそな笑みの下でぎこちなさを隠すことだけ考えていた。
「この一か月、毎週ってちょっと大変だよね」
準備期間は前半後半と分けられている。
前半の一か月は模擬店決め。後半は模擬店創作。特に模擬店決めに一か月時間をかけるのは、この学校ならではだと思う。
そして彼女が懸念したように、この一か月、毎週月曜日のホームルームは委員が教壇に立ち、生徒の意見を取り入れて模擬店を決めることになっていた。
それはつまり、私と瀬名くんに、このクラスの青春がかかっているといっても過言ではない。
死ねなくなったと、そう思った。
「多数決でもいいのにね。一回でパパっと決めちゃってさ」
「……うん、その方が楽、かな」
「変わってるよね、この学校」
クラスの団結力を高めるために、じっくりと準備期間に時間をかける。よくあるお化け屋敷やカフェなどを挙げ多数決で決めるのではなく、意味のあるものを形にして、その集大成として出店をする。それがこの学校のやり方。
そんな責任重大なポジションに、私は何故だか選ばれてしまった。
来週から、私はあの場所に立たなければならない。言葉を発さないといけない。
今日で終わりだと思えていたから、学校にも来れたのに。
憂鬱な月曜日の朝が、私にとって更に苦痛の時間へと変わってしまった。
「上手く決まるといいけどね」
「あ……そうだね」
もう、一対一での関わり方すら億劫になってしまった今、なんとか言葉を紡いでいくのに必死。こんな私がクラスメイトの前に立ってまとめていくなんてできっこないのに。
「琴音、次移動教室! 置いてくよ」
目の前の彼女が、クラスで派手な集団、渡辺さんに呼ばれる。
「あ、おっけー! すぐ行く!」
誰とでも仲良く出来てしまうような彼女は、このクラスの学級委員で、人気者で、いつも笑っていて。こうしてぼっちの私も、見過ごせないようなやさしい性格をしてる。
「ほら、綿世さんも行こ」
「……うん、ちょっとトイレ行ってから」
「そっか、うん。じゃあ先に行ってるね」
誘いを遠回しに断るような台詞。少しの沈黙のあとでも、彼女は笑っていた。気分を害しただろうに「早くおいでね」なんてやさしい言葉のオプションまでつけてしまう。
パタパタと走っていく背中を静かに見送りながら、窓の外を眺める。
真っ青で澄み切った空が広がっている。
鮮やかに引かれた飛行機雲の線が綺麗に残っていた。
どうして、私は生きているんだろう。
心がぎゅっと絞り取られるような感覚。生きている意味が、いつだって見いだせない。
机の中から文庫本を取り出し、ぱらっとめくる。
一人のお供はいつだって本だった。ありもしない世界に何度だって助けられた。だから、向き合いたくないことがあった時はすぐに本の世界に逃げ込む。
「ねぇ」
そんな時、普段滅多にかけられることのないトーンが降ってきた。
「まだいるなら、鍵、任せていい?」
窓から室内へと戻せば、私の席近くに立っていた瀬名くんと目が合う。片手には鍵がぶらさがっていて、時折キーホルダーとぶつかってカチカチ音を鳴らしている。
あたりを見渡せば教科書とノートのセットを片手に教室を出て行く数人の背中が見える。
すっかり次の授業が移動教室であることを忘れていた。若干の焦りを見せながらも出したばかりの本を戻しなんとか首を縦に振る。
「……あ、うん」
「そ」
朝聞いたばかりの気怠そうな声は、どこか飄々としていて掴みどころがない。それが瀬名くんの印象で、変わらない印象。
鍵を受け取ろうと手を差し出せば、すぐそこにあった鍵はひょいっと引っ込められる。瞬時に浮かんだハテナとともに顔を傾けていれば、
「やっぱ俺が閉めるよ、もう出るでしょ」
任せられると思っていた鍵当番は呆気なく訂正されてしまった。「え、……うん」なんてはっきりしない返事を打ちながら机の中から教科書を取り出す。
「選ばれたね」
「えっ」
「委員」
思わず会話の切口に驚きが滲む。
まさか続くとは思っていなくて、瞬きをぱちくりと繰り返し、何かを口にしなきゃと焦った挙句「あ、うん」と、さっきと同じ言葉を返してしまった。
「綿世さんってワンパターンだよね」
「え……」
「返し」
そして、今尚続く会話は、どこか皮肉めいたもののようなもので「あ、うん、とか、え、とか」なんて口真似をされる。
「声も小さいし」
「……ごめん」
「いや、別にいいと思うけど」
いいなら……いいなら放っておいてくれればいいのに。
そんな悪態は心の中で小さくついてみる。実際には言えない。そんな度胸がない。
「ねぇ、一個聞いていい?」
このタイミングで続いたのは、
「俺ら、〝まだ〟付き合ってる?」
どきっと。胸の軋む音が鈍く聞こえる。思い出される中学時代の記憶が、押し寄せる波のように降りかかってくる。
「……いや」
「そ」
噂が、——あのときの噂が、じりじりと浮き出てくる。
『瀬名と綿世って付き合ってるらしいぞ』
クラスメイトの男子が突然そんなことを言い出して、周りにいた友達に騒ぎ立てられて、そのうちの一人が瀬名くんのことが好きで、何故だか距離を取られて、ハブられて。
付き合ってなんかない。そもそも瀬名くんと喋った事実すらなかった。なのに、そんな噂が流れて。
嫌な、苦い、記憶。
人から避けられると、人との付き合いが急激に下手になっていく。
人の顔色ばかり伺って、心が開けなくなって、卑屈になっていて、そうなる発端だった、あの出来事。
消したいとさえ思っていたそれは、当時、当人同士での話し合いは一切なかった。瀬名くんが直接私に何か言ってくる訳ではなかったし、周りも時間が経つにつれて忘れていった。
私の心にだけ、小さくも深い傷跡を残して。
本当はどうだったか、真意を助かめる術もなくて、どうしたらいいかもわからなく、ただひっそりと過ごしていった中学時代。大切な友達もいなくなってしまったあの日々は、出来れば思い出したくはなかった。
「気まずい?」
そんな彼と、こうして目を合わせて話すなんて、あの出来事に触れるなんて、委員に選ばれるなんて。
「いや……瀬名くんこそ」
「なんで?」
「私とで気まずいんじゃないかなって」
「まあ、お互い様じゃない?」
ぐさっと。刺されたような感覚。
瀬名くんも気まずいと感じているらしい。それを隠すつもりもないみたいに話されるから、こっちがどう返したらいいかわからなくなる。顔が俯いていく。
「ほら、出るなら出て。チャイム鳴るよ」
「あ、……うん」
また同じ返し。瀬名くんが何を考えているかもわからないし、私も、返しのボキャブラリーのなさに嫌になる。全部が、嫌になってしまう。
瀬名冬也。
一言で彼を表すなら〝よくわからない人〟だった。
友達と輪になって話をしていても、時折一人だけどこか違う世界にいるような顔をしていた。それでも会話は成立しているし、それなりに友達の数も多いように見えて、人付き合いは上手い方だったのだと思う。
顔がそこそこ良く、女子からも〝気になる人は?〟といった類の質問によく名前が挙がっていた。
やさしい……のかどうかは不明だけれど、皆口を揃えて「ちょっと変わってるとこがいい」と言っていたのを思い出す。
きっとミステリアスとでも言いたかったのだろう。その言葉の方が彼にはしっくりくるような気がした。
男子特有の馬鹿騒ぎをするわけでもなく、一歩引いて全体を見ているような印象。
目立った発言をすることもなければ、特別何かが秀でていたわけでもなかった。
ただ、彼が纏っている独特な雰囲気が、人を惹きつけていたのだと思う。
だからこそ、彼と付き合ってるんじゃないかと噂になった時は酷く焦った。
そこには色々な条件が重なって、言いたいことも各方面にあったのに、何も言えなかった。
恋とか、そんなものはよくわからない。
周りが恋に頬を染める中、私は一人その場限りの笑みを作っていた。
笑ってることしか出来なくて、周りはそんなのお構い無しで自分の色恋事情を口にしていって。
〝好きとかよくわからないんだよね〟
そんな発言すら許されていないような雰囲気だった。
皆、恋をしていて当然だと言わんばかりの顔をしていた。
初恋すらまだな私にとって、中学時代のあの思い出は恋愛に良いイメージを持てなくなった要因の一つにもなった。
あのとき、瀬名くんがどう思っていたのかなんて知らないし、今更知ろうとも思わない。とにかく、あのときのようなことが二度と起こらないよう静かに、目立たないように過ごしていくしかない。
委員に選ばれて、その相手があの瀬名くんだったのは驚きだけれど、だからと言って私達に何か関係があるわけじゃない。
やっぱり、予定はこのままでいいかもしれない。
カーテンは黒に決めていた。見栄えが綺麗かなと思ったから。
でもできれば薄くて、ちゃんと首に引っかかるものではないとだめ。
「……意外と高いんだ。カーテンって」
インテリア用品の店に立ち寄り、好みのカーテンを物色したものの、すぐに買うには躊躇してしまう金額で断念した。
特別高いってことでもないけど、バイトもしていなければ、おこずかいだってない今の自分には、たとえ三千円代だとしても、簡単に財布を取り出すことはむずかしい。
どうせ死んだところでお金なんてなんの役にも立たなくなるのに。
カーテンは、買えなかった。
「じゃあ、一回目の話し合いはじめまーす」
一週間がこんなにも早く訪れるなんて。
嫌だ嫌だと思っていた月曜日は、呆気なくやってきてしまった。
逃げ出したくなる気持ちをぐっと抑えて、喉がカラカラになりながら教壇に立つ。私とは違い、隣では緊張を感じさせない瀬名くんの姿。
「候補ある人、適当にどーぞ」
ぷるぷると震える手に力をこめ、チョークを握る。進行係は必然的に瀬名くんになっていたので、記録係にまわる。
「メイド喫茶! これ一択!」「えー男子きもっ」「おい、きもってやめろよ」「お化け屋敷とかでよくね?」「オーソドックスなのってありなんだっけ?」「いいんじゃん? 別に?」「でも却下されるんじゃなかったっけ?」「えーでも、やりたかったらいいんでしょ?」
様々な意見が、十人十色としてあがってくるが、どれもこの場限りのもの。適当、その言葉がまさしく当てはまる。決まればなんでもいい、そんなのが空気感として伝わってくる。
「おーい、理由がちゃんとしてないと通らないからなー」
担任が見かねて教室隅から一言。その声に一度はしーんと静まり返るものの、
「でもさ、ぶっちゃっけなんでもよくね?」
真剣に意見を述べているのは、一体何人いるんだろうか。そもそも真剣に文化祭に取り組んでいる生徒はいるんだろうか。
ばらばらで、何の深みもないアイデアに黒板は未だまっさら。
ちらり、と瀬名くんの様子を後ろから伺えば、特に表情を変えることなく黙っていた。
「ねぇ、メイド喫茶にしようって。なっ、綿世さんもそれでいいっしょ?」
「えっ」
飛び交っていた矢が突然自分に降り注ぐ。耐えきれない視線と一緒に添えられるように。
「……っと」
声が、出ない。
こんなとき、話を振らないでほしい。何の決定権も持たない私に、名ばかりの委員ってだけの私に。
メイド喫茶、でもそれをする理由が見つかっていない。生徒の成長に繋がるのか、それがきちんと説明出来ないと、意見は通らない。
〝候補に挙げた理由を教えてください〟
そう言えればいいのに。そう一言、委員らしく言うだけでいいのに。
ギスギスした空気が無言として形になってる。緊張で背中の汗がつぅーと流れていく。何か、何か、言わないと、何か——。
「遠島、それは却下」
そのムードを切り裂くみたいに、瀬名くんの声がふっと入る。
「なんでだよ」
「じゃあ、メイド喫茶をしたい理由をきちんと言えるか? これをするから、俺らは成長出来るって、学校側に言えるか?」
敵を作りかねない彼の発言は、どこか棘を含んだように聞こえる。
「楽しいからでよくね?」
「よくねーよ。それ説明するの俺らなんだぞ。もっと委員を労わってくれよ、嫌々お前らに代わってこうして委員やってんだから」
「えー見たいじゃん。メイド服」
「変態かよ」
陰湿にも似ていた空間が変わる。無言の圧じゃなくて、緩んだものに。私が発言していたら、こんな和んだりはしない。もっと無言の時間が続いていたかもしれない。
成長ってなんだよな、なんて背中をのけぞった遠島くんの一言で、それ以降は何の意見もあがってくることはなかった。
成長。
改めて言葉にされると、どういうものなのかを深く理解出来ない。
身長が伸びたとか、好きとか愛のちがいがわかるようになったとか、そんな成長ではない。ここでは、心の成長が求められている。だから難しい。難しくて、避けたくなる。
成長がわかったところで、私にはなんの意味も持たない。
「綿世さんは?」
放課後。文化祭実行委員が集まる視聴覚室で、瀬名くんと肩を並べて座っていた。
「したいもの。出店したもの、ある?」
「あー、いや……」
月曜日。その日の放課後は、委員の集まりに出席しなければならない。各クラスが集まって「そっちのクラスはどう?」などと意見を交換しながら、被らないように、被ってもジャンルが違うように、調整をしていく。
「瀬名くんは……?」
「ない」
「……そう、だよね」
はっきりと否定的な言葉を使えるのは羨ましい。
対して私はあやふやな言葉しか使えない。どっちなのか、よくわからないような喋り方をしてしまう。
中学のことがあってからは敏感になり過ぎている。瀬名くんのようにはっきり言えたらなんて思うけど、羨むだけで変わろうとはしてない。願望だけ。いつもそう。
「ねえ」
「ん?」
「なんでこうもっと前に出ていかないの?」
がやがや、と賑わう教室内で、鋭い双眸が向けられていることに気付く。油断すると上履きを見てしまう癖があるが、今も俯いていたことに気付かされる。
「なんでって」
どうしてそんなことを言われているのだろうか。
「綿世さんって消極的過ぎない? 昔から」
「……そう、かな」
「今も、朝の話し合いだって、はっきりしないよね」
びしっと。明らかな棘は痛いところを刺してくる。小さな痛みがきりきりと走る。目をまた床へと、上履きへと、落としていく。
そんなの、自分が一番わかってて、でもどうも出来なくて、嫌だ嫌だと思うしかなくて、そう悩んでいることを知らない瀬名くんから、何故こうも言われなければいけないんだろうか。
「言いたいことは言えば?」
「……べつに」
そんなアドバイス、簡単にしないでほしい。出来たら、とっくにしてきた人生だった。
「あのときだって、ちゃんと否定してないから、仲間外れにされたんじゃないの?」
嫌な記憶が、触れられたくない過去が、土足で踏みにじられていくような感覚。感情が蠢いていくのがわかる。どくどく、と鼓動が激しく音を立てる。
「……よ」
「え?」
「……否定、したよ」
忘れてしまいたい中学時代。ちりちりと焼かれているような心の中で、あの日の痛みを思い出す。
──付き合ってる。
そんな噂が広まったとき、私の仲の良かった子が瀬名くんを好きだということを知っていた。男子生徒が茶化すようにニヤニヤしてるのを見て瞬間的にやばいと思った。何がやばいのか。
きっと、嫌われると思ったんだと思う。
仲良し四人組。その枠になんとか合わせてきた。
毎日愛想笑いばかり浮かべて、ハブられないようにしていくのに必死で、ただ相槌だけを打つような生活を送っていた。
一人になるのが怖くて、嫌われるのが怖くて、そうならないように好きでもない漫画読んで、ドラマ見て、雑誌買って、三人に合わすことだけを考えていたあの頃。
『莉子、あの、違うからね』
噂が広まって、すぐに否定しなければと動いた。三人が集まる席で違うよと伝えに行った。
『あ……ね、別にあれ本気にしてないし、ね?』
莉子は他二人に同意を求めるような視線を配っていた。回答はふわふわしていて、温度差が出来ていて”ああ、ここにはもういれてもらえないんだ”とすぐに察した。
それからは早かった。昼も、いつもは「食べよ」なんて毎日誘ってくれていたのに誘われなくなって、移動教室も先に行かれて、帰りも、先に行かれて。
目に見えるように避けられるようになってしまった。ただの噂で。
「……違うって、言いに行ったよ。でも」
信じてもらえなかった。どれだけ時間を共有したって一度出た違和感は消えない。棘のように刺さって、なかなか取れない。一度歪んでしまえばもう真っ直ぐに戻せない。
——あの日、私はただの噂に呑まれた。灰暗い闇の奥だけが、私の世界となった。
「……でも、信じてもらえなかったから」
「ふーん、あっそ」
人の闇に触れておきながら「あっそ」だけ。簡単にも片付けられてしまった。
「なに?」
「あ……いや」
その不満がどうやら顔に出てしまっていたらしい。思わず視線をぐっと下にもっていく。
彼は椅子をカタカタと前後に揺らしている。後ろに重心をおいて、ぐっと傾いては、またカタンと床に椅子の足を叩く。それを数回繰り返して、
「よかったじゃん」
そう何気ない顔で言う。