香川さんがあのとき何も言い返せなかったのは、桐原くんの事情を知ってのことだった。
「せっちゃんのランドセルもね、私が使ってたお古なの。私、かなり雑に使ってたから、ほんとボロボロで躊躇ったんだけど……でも、おじさんが〝買ってあげられないから〟って頭下げに私の家まで来たんだ」
 知っていて、何も言えなかった。遊んでられない、それはただの暴言でもなんでもなくて、心の奥にある悲痛な叫びだったのかもしれない。
「……そういうの、桐原も知ってるから、多分今は自分の家庭環境に変に負い目を感じてるっていうか。だから普通に学校に行けてる私とか、すごく腹立たしいと思う」
 無理して力なく笑う彼女の横顔が痛かった。
「でも、参加してほしいと思ったんだろ」
 今まで黙っていた瀬名くんが、静かにそう切り出した。
「文化祭、桐原の事情を知ってても参加してほしいと思ったから、俺らを連れて来たんじゃないの」
 私達がここにいる意味はほとんどない。何も言葉に出来なくて、何も役割を果たせなかった。
「……そうだね、ごめん。二人を利用するみたいで……私一人じゃ多分、桐原に会いに行けなかったから」
 そう言った香川さんの声は弱々しくて、桐原くんに向けていた威圧的な態度はどこかに消えていた。
 彼女は今日、何を思って彼の家に行ったんだろうか。
 きっと桐原くんは参加しない。そう決めつけていた私とは違って、参加しない理由を知っていながら彼女は彼に会いに行くと言った。
「……参加しないって言うのはわかってたけど、ごめんね、二人を巻き込んで」
 申し訳なさそうに眉を下げる彼女に、私は力いっぱい首を横に振る。
「ぜんぜん、そんなことっ」
 そんなことない。そんなことはない。
 巻き込まれたなんて思わない。香川さん一人がそれを背負いこむ必要なんてないのに。
「……桐原にもね、高校生活楽しんでもらいたいんだ。いっぱい、いっぱい苦労してるから。大変な思いしてるから、文化祭ぐらい楽しんでくれたらいいのにって……でもこれって私のわがままなんだよね」
 苦笑を滲ます彼女に私は何も言えなかった。
 そうさせてあげたいやさしさと、そう出来ない現実が絡み合って、何も知らない自分が何かを言葉に出来る力なんてなかった。
 だから首を横に振るしかない。精一杯、わがままなんかじゃない、と否定することしか、今は——。
「じゃあ、説得続ければいいじゃん」
 諦めモードが漂う中、瀬名くんはあっけらかんとした口調でそう言った。
「え……」
「参加させるよう説得するしかないだろうし。無理矢理連れてくるっていうのもガキじゃないんだから出来ないし。桐原が参加するように説得続けるしかないでしょ」
 なんとも簡単に言ってのけてしまう彼に躊躇いはあったものの、
「……そ、うだね。その通りかも」
 香川さんは瀬名くんの言葉を受け入れていた。「そうするしかないもんね」といつものように笑う香川さんがどこか印象的だった。