糸魚川が垣田を殴り掛かる寸前で、力強い声と同時に横から腕を掴まれた。間に入ってきた長身の男子生徒は、まるで極悪人のような鋭い目つきで垣田を睨みつけている。教室の入り口では艶のある黒髪を揺らし、ボストン眼鏡をかけ直して入ってきた生徒会長が糸魚川に向かって笑いかけた。

「君はそんなことをしてはいけない。今までの努力が台無しだよ、トイくん」
「と……どろき、せんぱい……?」
「元気なのはいいことだけど、朝が苦手な人がいるから争いごとは避けようね。特に半ちゃんは重度の低血圧だから」
「は、はんちゃん……?」
「オイ垣田」

 垣田が咄嗟に呼ばれた方へ顔を向けると、長身の男子生徒――改め半井が、いつになく低い声で脅すようにギラリと睨みつける。普段は身だしなみが整っている彼しか見たことがなかったためか、ボサボサの髪と着崩した制服姿では言われるまでわからないほど不良化していた。

「言ったよな? こうなる前に相談に乗ってやるって」
「ヒィ……ッ!」
「てめぇらもさっさと離れろ。やっていることは恐喝と暴力だ。……糸魚川も、こいつらと同じになる前に冷静になれ。お前は簡単に手を上げる奴じゃない」

 半井に怯え、糸魚川を抑えつけていた取り巻きたちが離れる。教室の外ではあの生徒会が介入するほどの騒ぎになっていることに驚いた生徒が物珍しさに集まってきた。周りだけではない、垣田や取り巻きたちだけでなく、糸魚川ですらこの状況を飲み込めず困惑していると、松田先生が二人に問う。

「轟木、これはどういうことだ? 生徒会がどうして……」
「い、糸井川ぁ! 先輩を引き込むなんてずるいぞ!」
「引き込む? 言いがかりも大概にしていただきたい。彼は生徒会に相談しに来てくれた生徒です。気にかけるのも必然でしょう?」

 柔らかい口調と言葉で説明するも、ほまれの目は笑っていない。それに気付いていないのか、垣田は更に声を荒げて彼女を前に抗議した。

「先輩たちは騙されているんですよ! 糸魚川がしていることは、生徒としてふさわしくない行動ばかりだ。男のくせにペンダントを身に着けて、自宅にも帰らず古い家屋に転がり込む。何より俺の机を漁っていたのが何よりも証明だ。こんな奴の味方をしたところで誰も得しない。生徒会の信用はガタ落ちですね! それもこれもやることすべてが無茶苦茶なアンタが、生徒会長でいること自体おかしいんじゃないんですか!」
「お前っ……!」

 糸魚川は、これ以上垣田の口を開かせてはならないと思った。

 三年連続で生徒会長というトップの座を守ってきた轟木ほまれが、入学して早々に当時の生徒会長の座を奪ったのは有名な話だ。その決め手となった理由の一つが、彼女の突飛で説得力のある演説だった。しかし、垣田がより強いヘイトスピーチで彼女を言い包めてしまえば、生徒会の支持は生徒どころか、教師陣からの信頼も失ってしまうだろう。だからこそ生徒会を叩き、あわよくば自分が生徒会長へと下剋上する機会を伺う垣田の貪欲さが滲み出ていた。

 しかし、一歩前に出たほまれは表情を一つも動かすことなかった。真っ直ぐ垣田を見据えたまま、一冊の手帳を取り出す。

「垣田くん、君は生徒手帳を受け取ったかな?」