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 その日はもう帰っていいと言われ、糸魚川は真っ直ぐ帰宅した。
 ここ最近はペンダントを探して完全下校時間まで居残っていたこともあって帰りが遅くなっていた。久しぶりに夕食ができる前に帰宅した彼を見て、母親代わりにあたる()()は驚いていたが、嬉しそうに出迎えてくれた。

「おかえりなさい。これからお夕飯を作るけど、オムライスとチャーハン、どっちがいいかしら?」
「極端な……卵の賞味期限が近いんですか?」
「期限はまだ大丈夫なんだけど、間違えて三パック買っちゃってたのよ。だから卵料理にしようと思って。そろそろお父さんも帰ってくるわ」

 海田家は市街地から少し離れた場所にある一軒家だ。都会育ちからしたら、古いだの怖いだの酷い言われような木造住宅だが、味のある木の柱や畳、何度も手作業で張り替えた障子も全部、糸魚川にとって最高の実家だった。

 表札に彼の名前が無いのは、自身に宛てた荷物や書類がほとんど届かないため、付け加える必要がないと話し合った結果だ。また、父親代わりにあたる(あき)()は区役所で働く公務員で、知代はスーパーでパートをしている。

「じゃあ、オムライスがいいです。バターライスの、いつものやつ」
「あら、バターライスでいいの?」
「はい。お父さんがケチャップ苦手だし。……手間じゃ、ないですか?」

 糸魚川がそう問うと、知代は「任せなさい!」と笑って準備を始めた。慣れた手つきでタマネギを刻む姿を横目に、糸魚川はずっと気になっていたことを聞いてみた。

「お母さん、どうして僕の名字を『糸魚川』のままにしたんですか?」

 引き取った当時の年齢を考えれば、養子縁組をしてもおかしくはない。それでも二人は彼を『海田』にはしなかった。

「そうね、法律とかいろいろあるからっていうのもあるけど、やっぱりご両親から引き継いだ名字と名前だもの。私たちの勝手で引き離すわけにいかないわ。それに名字が違っても、あなたは私たちの息子同然よ」

「…………」
「オムライス、すぐ作っちゃうからちょっと待っててね。着替えて戻ってくる頃にはスープまでできてるわよ」
「……それは早すぎるよ。着替えたら手伝うから」

 糸魚川は足早に自室に向かい、ドアを閉めた途端にその場に座り込んだ。

 知代があんなに悲しそうな顔をするのを初めて見た。軽い気持ちだったとはいえ、こんなに苦しい気持ちになるとは思わなかった。なんてことを聞いてしまったんだろうと後悔したと同時に、『息子同然』だと言われたことに安堵した。義務教育を終えた後に追い出されるのではないかと、酷く怯えていた頃を思い出せば、次第に涙が溢れてくる。

 二人は糸魚川が両親の家族写真が入ったロケットを身に着けていることを知っている。失くしたとなれば、きっと一緒に探すと言ってくれるだろう。

 だからこそ大事にしたくない。自分は名字は違えど、海田家の息子だ。だからあのロケットが見つからなかったとしても、これ以上後悔することはない。

 嗚咽をどうにかして飲み込んで、何食わぬ顔でリビングに戻る頃には、ホワイトソースがかかったオムライスが完成していた。知代に目が赤いことを指摘されると、糸魚川は何食わぬ顔で答える。

「タマネギが目に染みただけだよ」