高校生の、そのまた先の。
夢での、いまの私は、高校生の前に立つ私は、どんな顔をしているだろう。何をしているだろう。


他人の、自分以外の人の顔は見えるが、自分の顔だけは、鏡やカメラ、道具を使わないと決して見ることが出来ない。
自分自身が、一番わからないのだ。
ただ、昔誰かが言っていた。テレビだったか。
自分を一番わかっているのは、自分でなくてはならない。自分であるべきだと。


自分にしか見えない部分も、自分だから見えない部分もあるだろう。他人からの見え方と違うかも知れないし、他人にしか見えない部分もあるだろう。
けれど、それをわからないままにするのではなく、自分のこととして、知っておかなくてはならない。
そういうことだと、私は思う。


それに、時は平等だ。止まることなく、流れている。
立ち止まっていても、時が止まることは無い。
立ち止まっていても、考えていれば。
時が止まらない限り、何もしない、なんて出来ない。だから、変わらないことはない。


今と未来は別物で、よく似ていたとしても、それは変わっているのだ。
自分の理想に近づけて、良い方向に変われるかどうかは、自分の努力次第。


変わらないなんて有り得ないから、今、この時だけの自分の良さを、見つけてあげたい。
今、この時だけの自分を、受け入れられるように。
強くなろう。


美化した過去も、理想の未来も、ギャップとして自分を苦しめることがあると知った。


今の自分を受け入れることは、折り合いをつけるのとも、妥協するのとも、諦めるのとも違う。


変わらないものはないから。
今、この時だけの二度とない自分を、大切にすることなんだ。