シャンさんから攻撃を受けたヴェルジュさんは、崩れた家屋の中から立ち上がった。
 傷は深いように見えたけど、すでに治癒魔法を使って傷を塞いでいる。
 だから命に別状は無さそうで、襲撃隊の人たちは安堵した様子を見せていた。
 しかし依然としてシャンさんは怒りの目をヴェルジュさんに向けていて、緊迫した状況が続いている。

「ヴェル、ジュ……! ころ、す……!」

 なぜシャンさんはヴェルジュさんを攻撃したのか。
 その理由は定かではないが、明らかに普通の状態ではないことだけはわかる。
 目は血走り、口の端からは涎を垂れ流していて、不自然なくらい汗が滲んでいる。
 このような状態になっている人を、前にどこかで見たような……

『マロン……邪魔、者……! サチも、コロス……!』

 あの時と同じだ。
 星華祭で兄のマイスが暴走していた時と。
 確かあれは、魔素増幅薬で無理矢理に魔素を大きくしたことによる副作用が原因だったはず。
 どうしてシャンさんにも似たような症状が出ているのだろか?
 それに……

「シャン様の邪魔は、させない……!」

「全員ここで、根絶やしにする……!」

 シャンさんだけじゃない。
 彼が率いていたはずの南部襲撃隊の魔術師たちも、全員同じように血眼になってこちらに迫って来ていた。
 全員が魔素増幅薬の影響を受けている? でもどうしてそんなことに?
 南部襲撃隊の魔術師全員で一斉摂取でもしたのだろうか?
 例の薬の恐ろしさはすでに国家魔術師たちの間でも共有されているはずなのに、そんな命知らずなことを南部襲撃隊のみんなが……?

「ウ……ガアアアァァァ!!!」

「――っ!?」

 暴走している魔術師が咆哮すると、詠唱も無しに右手から巨大な火球が飛び出して来た。
 あまりに唐突のことに皆の反応が遅れる。
 魔法で相殺する隙もないと思った私は、皆の盾になるように咄嗟に前へと出た。
 私は【ひと時の平和(イージス・フリーデ)】の効果で、魔法を無効化することができる。
 最適なその判断のおかげで、北部襲撃隊に迫っていた火球は私の体に触れた瞬間、煙のように消え去った。
 改めて南部襲撃隊から明確な敵意を感じ取り、北部襲撃隊の間に疑惑の空気が迸る。

「ど、どうして南部襲撃隊の方たちが、あんな風に……」

 ミルや他の魔術師たちもひどく困惑している。
 ミストラルの兵士たちも状況を呑み込めておらず戸惑っている。
 この場にいる誰も、現状については何もわかっていなかった。
 ただ一つ明確なのは、このままだと暴走した南部襲撃隊の魔術師たちに、一方的に攻撃されてしまうということだけ。

「シャン兄! みんな! いったいどうしたっていうんだ! しっかりしてくれ!」

 ヴェルジュさんのその叫びも意味をなさず、むしろシャンさんの怒りを駆り立てることにしかならなかった。

「ヴェルジュ、殺す……! 王になるのは、この俺だッ!!!」

 シャンさんは火炎の長剣を振り上げると、ミストラルの兵士たちの間を横切ってヴェルジュさんに斬りかかった。
 同時に南部襲撃隊の魔術師たちも、北部襲撃隊やミストラルの兵士たちを狙って魔法を放ってくる。

「みんな! 暴走した仲間たちを止めるんだ! 今の彼らにはこっちの声が届いていない!」

 それを皮切りに、北部襲撃隊と南部襲撃隊の望まぬ戦いが始まってしまった。
 標的がミストラルの兵士から一転して、南部襲撃隊の魔術師たちに変わる。
 私たちは暴走状態に陥っている彼らを無力化するべく、口早に魔法詠唱を始めた。
 地下迷宮の第三層――居住層にて、魔術師たちの詠唱句と魔法が飛び交う。
 その中で北部襲撃隊の国家魔術師たちが、苦しそうな顔をしながら毒吐いていた。

「シャン派の奴ら、まさかこの機に乗じてヴェルジュ派の俺らを……!」

「いくらあいつらでもそこまでやんねえだろ! つーか明らかに様子がおかしいじゃねえか!」

 確かミルの話によれば、ヴェルジュさんとシャンさんはあまり良好とは言えない間柄だと聞いた。
 二人は国家魔術師の術師序列で一位と二位であり、また第一王子と第二王子の関係性でもある。
 そして過去に術師序列によって王位継承順位がひっくり返ったこともあるそうなので、シャンさんが一方的にヴェルジュさんを敵視しているとのことだ。
 加えて二人が抱いている価値観にも大きな違いがあり、国家魔術師の間でもヴェルジュ派とシャン派に分かれていると聞いたことがある。
 そのヴェルジュ派で固まった北部襲撃隊と、シャン派で固まった南部襲撃隊。
 作戦前から冷ややかな目を向けられていて、派閥間の仲も良好とは言えなさそうだったけど、いくらなんでも命懸けの作戦中にその問題を持って来ることはしないだろう。
 極度の興奮状態に陥っていることからも、上の層で何かがあったのだ。
 これじゃあ作戦どころじゃないし、早く南部襲撃隊の魔術師たちを鎮めないと。

「【賽は投げられた――神の導き――恨むなら己の天命を恨め】――【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】!」

 私の指先から蛍のような黄色い光が放たれて、暴走する国家魔術師の一人に被弾する。
 その人は全身が痺れたかのように身が強張り、力なく地面に倒れた。
 だが、拘束魔法で身動きを封じたはずの魔術師の体から、まるで噴水のように魔法が溢れ続けている。
 この事象も魔素増幅薬で暴走していたマイスと同じ。
 体内の魔素を無理矢理に肥大化させている影響で、魔素が詠唱式句を聞くことなく無作為に魔法を乱発させているのだ。
 他の暴走魔術師も、北部襲撃隊の一員たちによって地面に倒されているが、依然として体から魔法が暴発している。

「だったら……!」

 兄のマイスを鎮めた時と、同じ手を使わせてもらう。
ひと時の平和(イージス・フリーデ)】の効果で魔法を無効化しながら、倒れている魔術師の元に駆け寄ると、すかさずその体に触れた。

「【虚ろな昼下がり――雲間から覗く陽光――わらべを微睡みに誘え】――【憩いの子守唄(ウルーズ・シエスタ)】!」

 瞬間、私の右手に青白い光が迸る。
 その光は対象者の全身をじわりと包み込み、溢れ出ていた魔法をピタリと止めた。
 十万回に一回の確率で、対象者の魔素を眠らせることで魔法を使えなくする魔法――【憩いの子守唄(ウルーズ・シエスタ)】。
 拘束魔法で肉体の動きそのものを止めても意味がない。
 であれば体内の魔素を直接眠らせて、魔法それ自体を使えなくさせてしまえばいい。
 この魔法はまだ力の加減が上手くできなくて、魔素を眠らせる時間の調整ができないけれど、この際贅沢は言っていられない。

「溢れ出ていた魔法が、止まった……?」

「君、今の魔法は……」

「私が彼らの魔法を止めます! 代わりに動きを封じてください!」

 詳しく説明している暇もないためそう言ったが、北部襲撃隊の魔術師たちは即座に頷いて行動してくれた。
 理解が早いというより、状況判断能力が高くて助かる。
 これでとりあえずは暴走魔術師たちをある程度は抑え込めるはず。
 しかし普通に身動きを封じるよりも、手順が一つ増えてしまったので、かなり時間がかかりそうだ。
 そもそも相手は国家魔術師。普通に無力化するだけでも一苦労なのに、さらに手間が多くなって皆は苦しそうな顔をしている。
 すでに北部襲撃隊の魔術師たちの中にも、負傷者や魔素切れを起こす人も出てきていた。

「シャン様こそ、次代の国王に相応しいお方だ……!」

「そもそも貴様らヴェルジュ派の考え自体が間違っているのだ……!」

「魔力値がなくともその人間に価値はある? そんなのはただの綺麗事に過ぎない!」

 まるでシャンさんの言葉を代弁するかのように、南部襲撃隊の魔術師たちが声を上げている。
 暴走によって、魔法だけではなく、胸に抱えていた不満まで思わずこぼれ出ているようだった。
 これが、シャン派の国家魔術師たちの総意。

「魔力値のない人間など無価値な存在だ! 生かしておいたところで何の意味もない」

「だというのにミストラルの連中を生かして捕らえろだと? 無意味なことばかり言いやがって」

 そんな不満を魔法と共にこちらに放って来る。
 ミストラル側への被害も抑えるべく、それらを丁寧に捌きながら魔術師たちを無力化していると、再びシャンさんが咆哮しながらヴェルジュさんに斬りかかった。
 ヴェルジュさんは対抗して水の剣で応戦し、二人は鍔迫り合いになる。

「やはりヴェルジュは王たる資格を持ち合わせていない。真に王に相応しいのはこのシャン・ギャランだッ!」

 王座への執着を見せるシャンさんに、派閥の魔術師たちは呼応するように奇声を上げていた。
 暴走によって滲み出てしまった心根の声。
 今それに答えたところで意味はないと、誰もが理解しているはずだったが……

「どうして、そうやって決めつけるばかりなんだ……」

 シャン派の考えが納得できないヴェルジュさんは、反射的に返していた。

「魔力値なんてただの数字でしかない。たとえ魔法が使えなくても、その人を必要としている人、その人にしかできないことっていうものが必ずあるんだ」

 魔力値こそすべてだと考えているシャン派。
 その現状の価値観を否定しているヴェルジュ派。
 どちらの考えが正しいのかを押しつけ合うのが戦争なのだとしたら、本来戦うべきはミストラルではなく偏った考えを持っている魔術師の方だったのかもしれない。
 そんな魔術師たちがいるせいで、魔力値が低いことを理由に淘汰されている人たちが確かにいるから。

「だから俺は術師序列一位の魔術師として、今の歪んでいる価値観を変えたいって思っているんだ。魔力値なんかなくても、一人一人には価値があるって」

 その言葉がミストラルの兵士たちにも響いているのか、彼らは静かにヴェルジュさんの声に耳を傾けていた。
 魔力値なんかなくても、一人一人には価値がある。
 術師序列一位の魔術師からそんな言葉を聞けただけで、私自身もなんだか救われた気持ちにさせられた。

「……術師序列一位の魔術師として、か。つくづく忌々しい奴だ」

 しかしシャンさんはその考えが気に入らないらしく、舌打ち交じりに毒吐いている。
 そして鍔迫り合いをしているヴェルジュさんを押し返すと、再び炎剣を振り回しながら奇声を上げた。

「言葉だけじゃ正気に戻らないことはもうわかったよ。だからすまないけど、ここからは少しだけ乱暴になる」

 ヴェルジュさんの目が僅かに細められると、優しげだった彼の雰囲気が氷のように冷たくなった。

「【両手は塞がった――不可視の懐――抱え切れない重荷を背負え】――【秘密の入れ物(エスパース・ポッシュ)】」

 そう唱えると、ヴェルジュさんの右手にほのかに青白い光が宿る。
 刹那、彼は地面を鋭く蹴り、炎剣を振り回すシャンさんの懐に潜り込んだ。
 身体強化魔法によって極限にまで高められた俊敏性。
 それを生かし、シャンさんに肉薄したヴェルジュさんは、青白い光を宿した右手を彼の腹部に押し当てた。

 瞬間、シャンさんの姿が視界から消える。

「えっ……」

 一瞬の出来事に、私は思わず戦いの手を止めて固まってしまった。
 同じく周りで戦っている魔術師たちも、驚愕の光景を目の当たりにして目を剥いている。
 人が消えた。ということ自体はさほど驚くようなことではない。
 他人にかける転移魔法というものも存在しているので、それを使えばシャンさんをどこかに飛ばすことも可能だ。
 だが、ヴェルジュさんが今使ったのは、皆もよく知っている『格納魔法』だったはず。
 魔力で別空間を生成し、そこに荷物を納めることができるという生活魔法の一種――【秘密の入れ物(エスパース・ポッシュ)】。
 魔法の中では初歩の初歩とも言えるほど、馴染み深い魔法のはずだけど……

「シャ、シャン様が、消えた……?」

「なんで格納魔法で、人が……」

 そう、格納魔法はあくまで荷物を納める魔法だ。
 無生物の小さな荷物を少量納めるだけの魔法で、生物まで格納することはできないはず。
 それなのにどうしてその魔法で、シャンさんは姿を消してしまったんだろう……?

「あっ、多重詠唱(スペル・アンサンブル)……」

 詠唱魔法と無詠唱魔法を同時に発動させることで、魔法の融合を可能にする絶技。
 魔力値に恵まれなかったヴェルジュ・ギャランという存在が、術師序列一位として君臨している何よりの所以。
 普通に格納魔法を使っただけに見えたけれど、実際は別の魔法と融合させて特殊な魔法に変化させていたのか。
 例えば転移魔法と組み合わせたのなら、格納魔法で生成した別空間に他人を転移させることもできるかも。
 本来は溢れた手荷物を格納することくらいしか用途がなかった格納魔法も、転移魔法と融合させることで人を閉じ込める『監獄魔法』へと昇華させることができる。
 これなら暴走していて手が付けられない魔術師たちも、たった一手で無力化することができる。
 作り出した空間でいくら暴れられようが、被害はまったく出ないから。

「人体格納は対象者の肉体にどのような影響が出るか、まだ正確には検証ができていない。魔素消費も著しいからあまり使いたくはなかったけど……」

 そうぼやいたヴェルジュさんは、続け様に手近にいた暴走者に右手で触れた。
 瞬間、先刻のシャンさんと同様に姿が消失する。
 また格納魔法によって一人の暴走者が、別空間という監獄へと送られたのだ。
 その後、ヴェルジュさんは瞬くような手際で、暴走者を次々と別空間へ送り込んでいった。
 やがて第三層の居住層から、暴走者の姿が一人残らず消え去る。
 ヴェルジュさんの活躍により、先刻の慌ただしさとは打って変わって、この場に安らぎの静寂が訪れた。

「……すごい」

 暴走者一人一人に別空間を用意し、強制転移まで行ったヴェルジュさん。
 さすがに疲弊したように、額に汗を滲ませているけれど、そんな彼の尽力によって死傷者を出さずに済んだ。
 怪我人などは多いけれど、幸いなことに大事には至っていない。
 これが術師序列一位の実力。暴走した国家魔術師の集団を、たった一人で無力化する圧倒的な存在。
 そんなヴェルジュさんの言葉がミストラルの兵士たちの心を動かしたのか、彼らも知らず知らずのうちに武器を下ろしていた。
 皆が呆然と立ち尽くす中、ヴェルジュさんがこちらを振り返り、安堵の表情を見せてくれる。

「みんな、これでもう大丈……」

 刹那――
 赤い影が、私たちの視界を横切った。

「――っ!?」

 その影は尋常ならざる速さでヴェルジュさんに肉薄する。
 直後、凄まじい轟音と共に、彼に強烈な一打を浴びせた。
 そのあまりの威力に、衝撃波が突風となってこちらまで吹き荒れて、同時にヴェルジュさんの体が岩壁の方まで吹き飛ばされる。

「ヴェルジュさん!」

 術師序列一位の魔術師は、赤い影の一撃によって意識を失っていた。
 衝撃的な光景に、全員は言葉を失くして唖然としている。
 高位魔法の連続発動による疲労が、彼の体力を削っていたのは事実だ。
 そのせいで反応まで鈍っていたのだろうけど、だからと言って不意を突かれるほど術師序列一位は甘くない。
 だというのにたった一撃で、事実上最強の魔術師を完全に沈めてしまった。

「味方同士で争ってくれて手間が省けたわ。本当に魔術師っていう存在は愚かね」

 この場に衝撃をもたらした恐るべき赤い影は、ゆっくりと私たちの方を振り返る。
 その正体は、私やミルとさほど歳が変わらないように見える、幼なげな顔の赤髪の少女だった。
 黒の上衣に控えめなマント。丈の短い黒スカートと膝上まである靴下。
 どことなく魔術学園の制服に近しい、黒を基調とした身軽そうな格好をしている。
 その装いに包まれた体躯は華奢で、あの体のどこから先ほどの凄まじい一撃が飛び出してきたのかと疑問符が浮かぶほどだった。

「な、何者なんだ、あの子は……」

「ヴェルジュ様を、一撃で……」

 全員、その場から一歩も動くことができなかった。
 あのヴェルジュ・ギャランという超常的な存在を、たった一撃で無力化してしまった脅威。
 目の前で見せられた凄まじい怪力と速さは、一言で言えば“異常”だった。
 彼女はいったい……

「どう、して……」

 ……その時。
 ただ一人、ゆっくりと赤髪の少女に近づいていく人物がいた。
 とても悲しげな表情で、つぶらな碧眼を潤ませながら、赤髪の少女のことを見つめている“青髪の少女”。

「ミル……?」

 その少女は、私の相棒であるミルティーユ・グラッセだった。
 誰もが動揺して身動きができない状況で、唯一ミルだけがおもむろに前の方へと歩いて行く。

「どうして、ですか……」

 そして、ミルは……

 今にも泣き出してしまいそうな悲痛な叫び声で、赤髪の少女に問いかけた。



「どうしてここにいるんですか、プラムちゃん!」



 プラム、ちゃん……?
 そう呼ばれた少女は、ミルの叫びに対して、舌打ち交じりに毒吐いた。

「誰のせいだと思ってんのよ、この疫病神が」