幸運値999の私、【即死魔法】が絶対に成功するので世界最強です


「……フフッ」

 王都ブロッサム、北東地区にある廃教会の鐘塔。
 使われなくなったその鐘塔は、あまり注目されてはいないが、王都内で三番目に高い建造物になっている。
 そのため屋根からは王都のみならず、町の周辺までばっちりと見渡すことができた。
 そこに佇む影が一つ。

「なんだか申し訳ないですね。これほどの絶景を独り占めしてしまうなんて」

 反魔術結社ミストラルの頭領、アリメント・アリュメット。
 彼女は内通者として魔術学園に送り込んだヒィンベーレを使い、この場所に転移地点を設置していた。
 そして隠れ家の地下迷宮からこの場所に転移し、今は迫り来る魔獣の群れを眺めてほくそ笑んでいる。
 怒れる魔獣たちの呻き。心地いい人々の悲鳴。それらを掻き消すように響く戦いの轟音。
 甘美なその音色に耳を打たれながら、特等席でこの景色を独り占めするなどなんたる贅沢か。
 着実に魔術国家の中心となる王都が崩壊に近づいているのがわかる。
 それが自分の手で行われているのだという歓喜が湧いてくる。

「もう少しです、もう少しでこの魔法世界を……」

 心の底から憎い魔法世界を、終わらせることができる。
 そのためにアリメントは、同じ志を持つ者たちを集め、まだ小さかったミストラルという組織をここまで発展させてきたのだ。



 アリメント・アリュメットの過去を知る者は、組織の中に誰一人いない。
 彼女は元々、捨てられた子供だった。
 生家は片田舎に領地を持つ、名もほとんど知られていない貧しい貴族の家。
 不幸なことに長らく子宝にも恵まれず、そのような家にアリメントは誕生した。
 彼女は魔術国家の貴族の子女らしく、高い魔力値を保有していた。
 そのため家の者たちからは多大なる期待を寄せられて、没落の瀬戸際に立たされている家を救い出してくれる救世主として扱われるようになった。

 しかしアリメントは、生まれながらにして“魔素不全障害”の持ち主だった。
 正式な病名は『先天性魔素不全障害』。
 原因不明の症状で、生まれつき体内の魔素が機能していない状態を指す。
 魔素そのものは宿っているが、まるで深い眠りについているかのように魔素が反応を示さないのだ。
 式句を詠唱したとしても、声がまったく届かずに魔法が発動しない。
 過去に五人といない、世にも珍しい病の持ち主。
 アリメントは魔法世界の住人でありながら、魔法がまったく使えない隔絶された存在だった。

 アリメントが式句の詠唱ができる三歳になった時、家の者たちは初めて彼女の障害について知った。
 せっかく生まれた子供が、高い魔力値を保有しているのにもかかわらず、魔法を使えない。
 その事実に、家の者たちは絶望し、総出になって治療方法を探した。
 しかしいくら手を尽くしても治療の術は見つからず、やがて十歳になったアリメントは両親から怒りをぶつけられた。

『ここまで手を尽くしてやったのに魔法の一つも使えんのか!』

『もううちでは面倒を見切れないわ』

 元より病弱で病気に罹りがちだったアリメント。
 ただでさえ貧しい家を圧迫する存在だった彼女は、両親の怒りを買ってしまったことでついに家を追い出された。
 魔獣が蔓延る森の奥に捨てられ、存在そのものを揉み消されてしまう。
 自分の価値の無さに幼いながらも気が付いていたアリメントは、残酷なその運命を受け入れて死を待つことにした。
 そこに、一人の人物が手を差し伸べた。

『あらあら、そこで何をしているのですか?』

 人里離れた森に住む淑女、ヴィアンド・アリュメット。
 彼女は森で魔道具を自作して、町まで売りに行く魔道具職人だった。
 たまたまヴィアンドの工房の近くに捨てられたアリメントは、彼女に見つけてもらったことで保護されることになる。
 さらには事情を知って、しばらく滞在することまで許してくれた。
 アリメントにとってこの出会いが、その後の人生を大きく変えるものになる。

 ヴィアンドは誠実で優しい女性だった。
 包容力と母性に溢れた人物で、アリメントの境遇に深く同情もしてくれた。
 そんなヴィアンドに、アリメントはすぐに懐いた。
 ふわふわとした喋り方と、上品な言葉遣いにも憧れて、すぐに真似をし始めるようになった。
 ヴィアンドと過ごす日々が、息苦しかったあの家での出来事を少しずつ忘れさせてくれた。

 そしてアリメントはヴィアンドの工房で、初めて魔道具に触れることになった。
 魔法が使えない自分でも、まるで魔術師のように不思議な奇跡を起こすことができる道具。
 ヴィアンドの作る魔道具に、深く魅了された。
 魔法に憧れ、自分も魔法世界の住人になりたいと思っていたアリメントにとって、彼女の魔道具は希望の光そのものだった。

『ヴィアンドさん、わたくしにも魔道具の作り方を教えてください』

 そうしてアリメントは、ヴィアンドから魔道具の作り方を教わることになった。
 素材の取り方から製作過程の一つ一つまで。
 懇切丁寧に魔道具の作り方を教えてもらったアリメントは、見る間に魔道具製作の腕を上達させた。
 とにかく夢中だった。
 魔道具作りが楽しくて仕方がなかった。
 ヴィアンドにもっと褒めてもらいたくて、アリメントは休みなく知識と経験を蓄えていった。

 それから五年が経ち、十五歳になったアリメントに転機が訪れた。
 恩人のヴィアンドが、病気によって倒れた。
 元よりヴィアンドは、アリメントと同じく病弱でよく病気をしていた。
 アリメントはヴィアンドとの生活で次第に体が丈夫になったけれど、ヴィアンドはアリメント以上の病弱さだった。
 そして町の治療院で診てもらった結果、ヴィアンドの先は長くないとされた。

『気にしないでください。いつかはこうなると思っていましたので』

 ヴィアンドはまるで焦る様子はなく、自分の運命を素直に受け入れていた。
 アリメントについても、魔道具製作の基礎を叩き込んだので、自分がいなくなった後でも充分に生活ができるだろうと。
 しかしアリメントはその事実を直視することができなかった。
 ヴィアンドと離れ離れになりたくない。
 まだこの森の家で、二人で一緒に暮らしていたい。
 やがてそれができないことを悟ったアリメントは……

『それならばせめて、ヴィアンドさんの夢を代わりにわたくしが叶えてみせます』

 ヴィアンドは昔、アリメントに一つの夢を語ったことがある。

 “魔術師が戦わなくてもいい世界を作りたい”、と。

 今の国家はあまりにも魔術師に依存しすぎている。
 魔獣討伐のみならず戦争でも魔術師が兵器として使われるようになっている。
 年間、数え切れない魔術師たちが争いの犠牲になり、ヴィアンドも魔術師だった両親や知人を戦争にて亡くしている。
 だから、魔術師が傷付かなくてもいい世界を作りたいと、ヴィアンドは壮大な夢を抱いていた。

『そういった魔道具を開発すれば、魔術師が戦わなくてもいい世界を作れるのですよね』

 魔術師が兵器として使われているなら、それを魔道具で代用できるようにすればいい。
 例えば非魔術師でも魔獣を討伐できるようになる特殊な武器とか。
 例えば自動で魔獣を討伐してくれる完全自律型の魔道具とか。
 そういったものを作れば、魔術師だけが戦う必要がなくなり、彼らに頼りすぎている現状を正すことができる。
 他国ではすでに魔道具兵器の試作品の導入によって、魔術師の被害が軽減されているという報告もある。
 一方で魔道具兵器の導入による治安の悪化が危険視されて、本格的な導入は見送りにされたそうだ。

 であれば、より安全性に優れた魔道具兵器さえ開発できれば、魔術国家でも魔道具兵器の導入を検討してくれるかもしれない。

『アリメントちゃんに夢を背負わせてしまうのは、大変心苦しいですが、最後に一緒に何か作れたら、とてもいいですね』

 その日から、アリメントとヴィアンドの最後の共同製作が始まった。
 魔術師が戦わなくてもいい世界を実現するための夢の道具の。
 とにかくがむしゃらに色々なことを試した。
 安全機能の充実。
 安全性と実用性を兼ね備えた仕様の見直し。
 万民に受け入れてもらいやすいデザインの考案まで。

 おそらく一番突かれるだろう、魔道具兵器を持った一般市民の暴動の危険性について。
 こちらも人体の魔素と魔獣の魔素を見分けて、安全装置が自動で働くようにすることで対策を行った。
 人が人に対して兵器を向けても問題がないように設計し、その他にも突かそうな問題に対して徹底的に対策した。
 恩人のヴィアンドが、病気によって命を落とした後も、アリメントは意思を受け継いで魔道具製作を続けた。
 やがてついに、アリメントはヴィアンドの夢だった魔道具を完成させた。

『行って参ります、ヴィアンドさん』

 いよいよその魔道具兵器を、正式な場で発表する時となった。
 すんなり受け入れてもらえるとは思っていなかった。
 過去にも似たような発表を行い、導入を見送られたという実例がある。
 国家魔術師たちが魔道具兵器を毛嫌いしていることは、すでに重々承知しているから。
 しかしそれでも、今の魔術師に頼り切った現状を見直してくれるきっかけくらいにはなってくれたらいいと、彼女はそう思っていた。
 それがヴィアンドの夢である、魔術師が戦わなくてもいい世界――彼らだけが傷付く必要がない世界の実現に繋がるはずだと信じているから。
 そしてアリメントは、亡き恩人ヴィアンドとの努力の結晶を、国家魔術師たちの前で発表した。

『くだらんガラクタなど不要だ』

『…………はっ?』

 アリメントとヴィアンドが共同製作した魔道具は、当時の国家魔術師たちに一蹴された。
 魔道具など所詮、日常生活を少し潤すための生活器具に過ぎないと。
 道具は人間ほど確実ではない。
 安全装置が働かずに人が人を傷付ける可能性もある。
 改造して悪用する者も現れるかもしれない。
 言い出したらキリがないことを一方的に捲し立ててきて、試運転すらさせてもらえず、アリメントは追い払われてしまった。

 また日を改めて提案を持ちかけても、取り付く島もなく門前払いされてしまう。
 その度に変わる言い分。曖昧な不安要素と問題点の羅列。
 この時、アリメントは悟った。
 ようは奴らは、自分たちの“優位性”が脅かされることを恐れているだけなのだ。
 魔術師に頼り切った現状、それは言い換えれば魔術師が国を牛耳っていることに他ならない。
 この国では魔術師こそが至高の存在。
 奴らは非魔術師を守ることで優位性を獲得し、優越感に浸っているだけに過ぎないのだ。
 だからヴィアンドの魔道具と夢を否定した。
 魔道具兵器によって力を付けた非魔術師と、対等に並ばれることを嫌がって。

『魔法至上主義に取り憑かれた、愚か者たちではないですか……』

 なぜヴィアンドは、このような連中を守りたいと思ったのだろうか。
 こんな自分勝手な奴ら、いくら傷付いたところで自業自得ではないか。
 この一件を機に、アリメントは焦がれていた魔法世界を壊したいと思うようになった。
 ヴィアンドの夢を否定した連中が憎い。
 奴らが支配している魔術国家が憎い。

 何より、余命僅かのヴィアンドが命を吹き込むように作った魔道具を、嘲笑一つで一蹴されたことが……アリメントはどうしても許せなかった。



 王都の崩壊を目前に、アリメントは歓喜を隠し切れない。

「くだらないガラクタに苦しめられる気分はどうですか?」

 魔術師たちが、一方的に否定した魔道具によって苦しめられている光景。
 アリメントにとってこれほど愉快なものは他になかった。
 自分が始動した魔道具によって、魔獣の大群が町に押し寄せて来ている。
 これほどの芸当が魔術師程度の力に果たしてできるだろうか。
 やはり魔道具こそが世界を支える柱になる存在。
 愚かな魔術師どもに牛耳らせておくわけにはいかない。

「んっ?」

 その時、アリメントの視界に北側正門での戦いが映った。
 そこでは他の場所と比べて魔術師が優勢らしく、魔獣たちが軒並み倒されている。
 目を凝らして様子を窺うと、一人の魔術師が集団を先導するように健闘していた。

「情報にはなかったはずですが……」

 黄色いナイトキャップを被った金髪の少女。
 頭には謎のフクロウを乗せている。
 魔術学園の制服を着ていることから学園の生徒だとわかる。
 先ほど強烈な雷の柱で巨竜種を撃破されたのも驚いたが、それも彼女の仕業のようだ。
 学園の目ぼしい生徒たちの情報も、内通者の手によってこちらには渡ってきている。
 しかしあのような実力者がいることは報告されていない。

(確か青の差し色は、一年生でしたか。だとすれば情報が抜けていたとしても無理はありませんね)

 まだ入学から僅かの一年生は、二、三年生と比べて判断材料が少ない。
 よほど目立った生徒でなければ、情報が抜けてしまうのは致し方のないことだ。
 見ると、彼女は転移魔法によって他の門前の戦いにも参入し、魔獣の侵攻を食い止めていた。
 あの少女の魔素が無限に持つわけではないだろうが、この間に襲撃隊の国家魔術師たちが何人か戻って来てもおかしくない。
 それだけでこの規模の侵攻を完全に止められるとも思えないが、被害は確実に抑えられて期待外れの結果に終わってしまうだろう。
 それは納得ができない。
 魔術師たちには存分に苦しんでもらって、自分たちの愚かさを痛感してもらう必要がある。

「では、ここで最後のダメ押しと参りましょうか」

 アリメントは懐から、不気味な煙が入った瓶を取り出し、不敵な笑みと共にその蓋を取り外した。

 王都ブロッサムの門前での戦いは苛烈を極めていた。
 時間と共に増していく巨大魔獣。
 魔素消費と体力消耗によって疲弊する魔術師たち。
 状況は明らかに悪かったが、一人の少女と一羽のフクロウの健闘によって前線が支えられていた。

『ポワールちゃん、次は南門の方へ向かいましょう!』

「うん」

 ポワール・ミュールとマルベリー・マルムラード。
 この二人なくして、今の拮抗した状態は成立しない。
 彼女たちは戦闘開始から僅か十五分で、すでに多大なる功績を上げていた。
 東西南北それぞれの門前まで自由に行き来することができる転移門の設置。
 各戦場に身体強化魔法と継続治癒魔法の領域を展開。
 飛行魔法で高空から侵入を目論む魔獣たちを軒並み迎撃。
 土を媒体とした泥人形の傀儡を生成して各員の戦闘を補助。
 その他、随所に適した魔法を駆使して戦場を掌握し、一時劣勢に陥っていた魔術師陣営を優勢まで引き戻した。

「まだ学生服着てるってのに、なんて子だよ……」

「あの子が作ってくれたこの状況、絶対に無駄にはできねえぞ!」

 ポワールの活躍によって国家魔術師たちにも火がつき、陣営はますます魔獣を押し返していった。
 空を飛びながら、また一体の魔獣を上空で消し去ったポワールは、そこから改めて戦場を眺める。
 王都の東西南北の門前には、自分が築き上げた磐石な戦場が見える。
 そこで魔術師たちが奮闘しており、この優勢のきっかけを作ったマルベリーに対して今一度告げた。

「フクロウさん、鳥なのに、色んな魔法知っててすごいね」

『あの、ですから、私はフクロウではなく本来は人間で……』

 というマルベリーの主張が素通りしているかのように、ポワールは続ける。

「魔術学園に来て、ちゃんと訓練すれば、きっといい魔術師になれると思う」

『ですから! 私は本来は人間の魔術師で、魔術学園もとっくに卒業してますから!』

 いまだにただの賢いフクロウだと思われているマルベリーは、バサバサと翼を揺らして抗議の意思を示した。
 しかし称賛されるのが嬉しいのは事実なので、そちらは素直に受け取っておく。
 一方で、マルベリーもまた、ポワールに対して驚愕を覚えていた。

(ポワールちゃんの方こそ、本当にすごい)

 彼女の魔力値が規格外だということはすでにわかっていた。
 あれほどの落雷魔法を目の前で見せられたら誰だってそれはわかる。
 しかし魔力値だけでなく魔素量についても、ポワールは飛び抜けて多かった。
 魔素消費量が莫大な魔法を連発しても、いまだに枯渇する気配が見えない。
 知識不足という欠点さえ補うことができれば、いずれ術師序列上位に食い込めるほどの逸材。

(最近の若い子たちは……)

 自分の弟子の姿を脳裏に浮かべたマルベリーは、そう思わずにはいられなかった。
 その時、西の方から死霊種の魔獣の群れが迫って来るのが見える。

『さあ、次は西門の方へ参りましょう! 死霊種の魔法を一撃で倒せる魔法を知っていますので』

「うん」

 ポワールは飛行魔法の効果で近くの南門まで飛行し、設置していた転移門を使って一瞬で西門まで移動した。
 そして新たに現れた死霊種の魔獣たちを倒すため、飛行魔法で前線へと向かおうとする。
 その時……

「んっ?」

 ポツッ……ポツッ……
 ポワールの肩で、小さな水滴が弾けた。

「雨……?」

『そう、みたいですね』

 見上げると、空はいつの間にか曇天へと変わっていた。
 そこからパラパラとささやかな雨が降っていて、次第に勢いを増して魔術師たちを濡らしていく。
 同様に魔獣たちにも雨がかかり、鬱陶しそうに水を払っていた。
 こちらとしても雨は少し厄介だ。
 視界が遮られるせいで連携をしづらくなってしまう。
 遠方で戦っている仲間たちの様子も掴みづらくなるため、不利を被るのはどちらかと言えばこちら側だ。
 天候を操作できるのであればすぐに晴らしてしまいたいが、あの幸運娘のサチではあるまいし、無視できる範囲なので放っておいても構わないだろう。
 そう思ったマルベリーは、このまま前進するようにポワールに指示を送ろうとしたが……

『ちょ、ちょっと待ってくださいポワールちゃん!』

「えっ?」

 彼女の目に“奇怪な光景”が映り込んで、咄嗟にポワールを呼び止めた。

「どう、したの……?」

『ま、魔獣の様子が、何か変です』

 その返答を受けて、ポワールも遅れて魔獣たちの変化に気が付く。
 確かに前方に見える魔獣たちは、どこか様子がおかしかった。
 まるで苦しみ悶えているかのように、呻き声を上げながら体をふらつかせている。
 どうやら東西南北それぞれの門前でも同様の事象が発生しているらしい。

(弱っている? いえ、それとはなんだか違うような……)

 マルベリーは魔獣たちから不穏な気配を感じ取り、密かに冷や汗を滲ませた。
 一方で他の魔術師たちは、今こそが攻める絶好の機会だと確信する。
 原因は不明だが、今のうちに動きを止めている魔獣たちを一網打尽にできれば形勢はさらに優勢に傾く。
 同じくそう思った魔術師たちが、同時に魔獣たちに攻めかかっていくが……

「グオオォォォォォ!!!」

「――っ!?」

 唐突に、魔獣たちが一斉に咆哮した。
 直後、凄まじい勢いで魔術師たちに攻撃を仕掛け始める。

「こ、こいつら!」

「さっきよりも凶暴に――!」

 様子がおかしくなる前と比べて、明らかに魔獣たちの凶暴性が増していた。
 その緩急で隙を突かれた魔術師たちが、痛手を負うことになる。

(どうしていきなり、魔獣たちが……? いえ、今はそれよりも……!)

 その原因を考えるのは後回しにして、目の前の厄介を片付けることに専念する。
 マルベリーはすかさずポワールに詠唱式句を伝えた。

「【彷徨う亡霊――浄化の光――残された未練を断絶せよ】――【生者の聖域(ヴィヴァン・テール)】」

 瞬間、死霊種の魔獣たちが集っている場所に、光の円が展開された。
 死霊種の魔獣に対して特に効果的な光系統魔法。
 これが先ほどマルベリーが言っていた、『死霊種の魔法を一撃で倒せる魔法』である。
 逆に生き生きとした獣種の魔獣や無機質な傀儡種の魔獣たちには効果が薄く、人間に対してはまったくの無害となっている。
 そのため国家魔術師たちを巻き込んでも問題はないので、ポワールは光の円を最大まで拡張させた。
 死霊種の魔獣たちに浄化の光が注がれる。

「ヴゥオオオォォォォォ!!!」

 不気味な呻き声を轟かせながら、死霊種の魔獣たちはじわじわと体を溶かしていった。
 これでひとまず西側から迫って来ていた死霊種の群れは片付けられた。
 おそらく他の場所でも魔獣たちが凶暴化していると思うので、早く次の戦場に向かって手助けをしないと。
 しかし、想定外の事態が発生する。

「ヴゥオ! ヴゥオオオ!」

「――っ!?」

 死霊種の魔獣たちは、浄化の魔法を受けても消滅しなかった。
 どころかただ怒りを煽っただけのようで、ますます凶暴性を増している。

(一撃で倒せない!? いったいどうして?)

 この【生者の聖域(ヴィヴァン・テール)】の魔法は、マルベリーが実際に何度も使っている。
 咎人の森では様々な種族の魔獣が出没するため、死霊種の魔獣を駆除する時に重宝しているのだ。
 これで仕留められなかった死霊種の魔獣はいないのだが、ここにいる魔獣たちにはまるで効いていない。
 魔獣たちが、凶暴化に伴って“強くなっている”せい?
 いや、違う。強くなっているのは確かだが、原因はそれだけではない……

(ポワールちゃんの魔素が、“弱くなっている”……!?)

 見ると、他の魔術師たちも魔法の調子を崩していた。
 魔法が上手く発動しなかったり、威力が低下してしまったり……
 そういえば先ほどの【生者の聖域(ヴィヴァン・テール)】の光も、心なしか弱まっているように見えた。
 死霊種の魔獣たちを一撃で倒せなかったことから考えても、おそらくポワールの魔素は不調を起こしている。
 そして他の魔術師の魔素も。
 でもどうしていきなり……

「おい、これって……!」

「あぁ、間違いねえ! 情報にあった“魔獣の凶暴化”と“魔素の収縮”だ!」

「ミストラルの連中、ここで仕掛けて来やがった!」

 マルベリーは魔術師たちの毒吐きを聞いて、記憶の片隅を刺激される。
 確か政府の会議室にいる時に、内通者が吐いたという情報を密かに聞いた。

『じきに王都では凶暴化した魔獣たちが暴れ回り、弱まった魔術師たちが蹂躙される光景が映し出されることだろう』

 ただ魔獣侵攻を始動させるだけではなく、連中は魔獣たちの凶暴化と魔術師の弱体化も狙っていると。
 まさかこれが話に聞いていた凶暴化と弱体化?
 当然魔術師たちもそれについては警戒を怠っていなかったようだが、あまりにも前触れがなかったせいで事前に察知することができなかった。
 いったいどうやって魔獣の凶暴化と魔術師の弱体化を同時に、そして一斉に行ったというのだろう……?

「あっ、雨……」

『えっ?』

 ポワールが何かに気が付いたように声をこぼし、曇天を見上げながら続ける。

「雨、降ってから、みんなおかしくなった」

『た、確かに、この雨を浴びてから……』

 ポワールの言う通り、この異常な現象は雨が降ってから起きたものだ。
 まさかこの雨の中に、魔獣凶暴化と魔素収縮化の効果が含まれている?
 その可能性は非常に高い。
 それにこの雨は、魔術師側が優勢に傾いてから突如として降り出したものだ。
 この状況を面白くないと思った何者かが、意図的に引き起こしたものと見るのが自然だろう。 
 そう、ミストラルだったら、これくらいのことをしてきてももう驚かない。

 やがて不自然に雨が収まる。
 それらを全身にたっぷりと浴びた魔獣たちは咆哮を続ける。
 反対に魔術師たちは苦しそうな顔をする。
 今の雨一つで、完全に優勢と劣勢がひっくり返ってしまった。
 強くなった魔獣たちが、弱まった魔術師たちに牙を剥く。

「ヴゥオオオォォォ!!!」

 浄化魔法で倒し切れなかった死霊種の魔獣たちが、その耐久力を生かして特攻を仕掛けて来る。
 死屍型の魔獣が強靭な歯と顎で魔術師たちに噛みつく。
 巨人骸骨の魔獣が怪力によって魔術師たちを吹き飛ばす。
 幽霊型の魔獣が魔獣特性の冷気を放って魔術師たちを苦しめる。

「チク、ショウ……!」

「他のところから、どうにかして応援を……!」

「無理だ! 他の場所でも状況は同じだ!」

 その時、ポワールとマルベリーの元にも一匹の獣人型の魔獣が飛びかかって来た。
 死霊種の魔獣だけでなく、当然他のすべての種族の魔獣たちも凶暴化している。
 凄まじい勢いで迫って来る狼顔の獣人に、ポワールは咄嗟に右手を向けた。

「【敵はすぐそこにいる――紅蓮の猛火――一球となりて魔を撃ち抜け】――【燃える球体(フレイム・スフィア)】」

 扱いやすい単体討伐用の炎系統魔法――【燃える球体(フレイム・スフィア)】。
 初歩的な魔法の一つではあるが、それゆえに魔力値によって威力が左右されやすい。
 覚醒中のポワールの魔力値ならば、よほどの相性差がない限り一撃で倒すことができるだろう。
 だが……

「グガアッ!」

「――っ!?」

 獣人の魔獣は、ポワールの右手から放たれた火球を、まるで埃でも払うように掻き消した。
 凶暴化と弱体化の同時発動による実力の逆転。
 ポワールの魔法が、まったく効かなくなっている。
 獣人はその勢いのまま二人の元に肉薄し、大きな爪を振り上げた。
 刹那――

 ポワールは背中を向け、マルベリーを庇うように両腕に抱いた。

(えっ……?)

 獣人の爪が振り下ろされて、ポワールの華奢な背中に爪痕が刻み込まれる。
 その衝撃で、彼女の小さな体は後方に大きく飛ばされた。
 雨で濡れた草原を転がされ、体が泥と血に塗れる。
 やがておもむろに腕を開いたポワールは、その中のマルベリーが無事なことを確認して安堵の息を吐いた。

「フク、ロウさん……だい、じょうぶ?」

『ポ、ポワールちゃん、どうして……』

 ポワールの方が、とても無事だとは言えない姿をしていた。
 背中の傷は深いわけではない。
 しかし今の一撃で体力を大幅に削られたのは確か。
 彼女は傷というものにも慣れていないようなので、目の端には僅かに涙が滲んでいる。
 急いで治癒魔法の詠唱式句を……

 そう思っているマルベリーの耳に、不意に他の魔術師たちの悲鳴が聞こえてくる。
 前を見ると、殺伐とした戦場に魔術師たちの鮮血が散っていた。
 これが、反魔術結社ミストラルが計画していた、魔術国家破壊のための『大災害』。
 王都に集結させた魔獣たちを凶暴化させて、弱まった魔術師たちを蹂躙する悪魔の策略。
 このままでは、ここにいる魔術師だけではなく、王都の町とそこに住んでいる人々まで……

(そんなの、絶対にダメです……)

 過去に王都で起きた魔獣侵攻の悲劇が頭の中に蘇る。
 自分の体がここにあれば、と思わずにはいられない。
 賢者マルベリーの肉体がここにあれば、この魔獣侵攻を少しくらいは遅らせることができただろうから。

(サチちゃんが過ごしているこの町を……サチちゃんが大切にしている魔術学園を、絶対に壊させたくない!)

 愛弟子サチが、友達と楽しそうに笑う光景を脳裏に浮かべて、マルベリーは強くそう思った。

 と、その時――

【ダイジョウブ、ダヨ】

(えっ……?)

 頭の中に、何者かの声が静かに鳴り響く。
 人のものとはまた違う、鈴の音に似たような、声とも言えない不可思議な声。
 ただの音色のようにも聞こえるそれは、きちんと意味のある言葉としてマルベリーの脳内で変換された。
 この不思議な感覚を、マルベリーは知っている。
 この神秘的な声を、幼い頃から幾度となく聞いている。
 
 それは、魔導師という特別な存在だけが感じ取れるという……魔素の声だった。

 マルベリーが初めて魔素の声を聞いたのは、四歳の頃だった。
 厳密に言えば、それまでも自分の体内に宿されている魔素の声ははっきりと聞こえていた。
 しかし言葉の意味をちゃんと理解できるようになったのは四歳になってからである。
 初めに聞いた声は何だったろうかと疑問に思うけれど、確か他愛のないことだった気がする。
 魔素は、大抵は意味のないことばかりを延々と垂れ流し続けているから。

 今日は天気がいいねと呟く魔素がいたり……
 気に入っている歌を口ずさみ続ける魔素がいたり……
 意味もなくゲラゲラ笑い続ける魔素がいたり……
 時には体内の魔素同士で喧嘩を始めることもあった。
 それほどまでに魔素は一つ一つが個性的で、それらの声が四六時中聞こえる魔導師の苦労は筆舌に尽くし難い。
 それでも稀に、とても重要なことを教えてくれて、それで命を救われたこともある。

 マルベリーがまだ孤児院にいた頃、一度だけ枯れ井戸に落ちたことがある。
 周りの子たちと歳が離れていて馴染めず、一人で孤児院の庭の端で遊んでいる時のことだった。
 背が伸びて枯れ井戸の中を覗き込めるくらいになり、珍しいもの見たさに石積みの縁に身を乗り出したところ……
 手が滑って、そのまま井戸の中に転落してしまった。
 幸い、井戸はそこまで深くなく、地面には枯れ草や枯れ葉が敷き詰められていて怪我はしなかった。
 しかし幼いマルベリーが自力で脱出できるはずもなく、他の子たちや乳母たちにも気付いてもらえず閉じ込められることになった。

『たす、けて……』

 暗く、寒く、静かな場所に、たった一人で取り残される。
 幼い少女にとってこれ以上の恐怖と不安はなかった。
 声も外に届かず、一生このまま出られないのではないかと思っているその時……

 マルベリーの頭の中に、一つの声が鳴り響いた。

【ナカナイデ】

『えっ?』

 それは幾度となく聞いていた魔素の声。
 まるでマルベリーの涙に誘われたかのように現れた魔素は、彼女に救いの声を授けた。
 魔法の詠唱式句という、救いの声を。
 その時は風系統の跳躍魔法の式句を教えてもらい、枯れ井戸から脱出することができた。
 それからも度々、命が危険に晒された時や、重要な場面などで魔素が声を掛けてくれた。



 同じだ。
 この感覚は、あの時と同じ。
 魔素が救いの声を授けてくれる時の感覚。
 絶望的な状況に光を射してくれる時の感覚。

【アキラメ、ナイデ】

 マルベリーはその声を聞いて、焦燥していた気持ちが徐々に落ちついていった。
 同時に脳裏に大きな疑問符を浮かべる。
 窮地に立たされた今、その状況を案じて魔素が声を掛けてきてくれたのはわかる。
 今までも同じように、何度も危機を救ってくれたから。
 しかし今マルベリーは、本来の自分の肉体ではなく、フクロウのホゥホゥの体に魂を移している。
 この状態で魔素の声が聞こえたということは、これはホゥホゥの体内に宿された魔素の声?

【マダ、マケテナイヨ】

 マルベリーは初めて、自分のもの以外の魔素の声を聞いた。
 別の肉体に移っている時でも、その者の魔素の声はしっかり聞こえるのだ。
 改めて知ったその事実に驚愕を覚える。
 さらに、続く魔素の声にマルベリーはさらなる衝撃を受けることになった。

【コレ、ツカッテ】

 そう言って伝えてきたのは、魔法の詠唱式句だった。
 初めて聞いた魔法の式句。
 加えてその効果についても教えてくれて、マルベリーは人知れず息を呑んだ。

(こ、この魔法は――!)

 短く感じられた時間の中、それを最後にホゥホゥの魔素との会話は終わった。
 唐突に告げられた魔法の詠唱式句。
 それを頭の中で反芻させながら、マルベリーは不意にある話を思い出す。

 フクロウには、様々な言い伝えがあるという。
 神話において知恵の女神の聖鳥として登場することから、“知恵の象徴”として知られていたり……
 夜行性かつ眼鏡を掛けているような見た目で勉強家の印象があることから、“賢者の化身”として伝えられていたり……
 はたまた古くから畑の害虫駆除を行ってくれる益鳥であることから、“幸せを呼ぶ鳥”として認知されていたり……
 しかし国によっては、まったく違った象徴として扱われていることもあるという。

 それは、“死の象徴”。

 空想物や伝承では悪魔の化身として扱われることが多く、“死”を招く不吉な存在として知られている。
 そんなフクロウの中に眠る魔素が教えてくれた、一つの魔法。
 それは……

(この魔法なら確かに、この戦況だってひっくり返せるかもしれません。でも、この魔法を使える人なんて……)

 心当たりは、一応ある。
 けれど今、ここにその人物はいない。
 せっかくのこの魔法も持ち腐れになってしまうのだ。
 もしあの子が今ここにいれば、絶望的なこの状況だって打ち破れるかもしれないのに。

「グガアッ!」

 その時、先ほどポワールに攻撃を仕掛けて来た獣人が、再びこちらに迫って来た。
 傷付いて倒れているポワールが、まだ絶命していないことを察してまた爪を振り上げる。
 ポワールは、傷の痛みのせいで身動きが取れない。
 それでもマルベリーだけは守ろうと小さく蹲る。
 マルベリーは己の無力さを嘆いて心の中で叫びを上げる。
 刹那――

「【生か死か――死神の大鎌――ひと思いに敵の首を刈り取れ】」

 まるでこちらの願いを、たった今聞きつけたかのように……
 あるいは、こうなることがわかっていて、魔素が詠唱式句を伝えてきたかのように……

 マルベリーの目の前で、見慣れた銀色の髪が揺れた。



「【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】!」



 漆黒の波動が迸り、目の前から迫っていた獣人に浴びせられた。
 瞬間、獣人は糸の切れた操り人形のように倒れる。
 すでに事切れて生気を感じなくなった獣人を目にし、マルベリーはゆっくりと顔を上げた。

「……間に合ってよかった」

 銀色の髪につぶらな碧眼。
 整った童顔に華奢な体躯。
 青と白を基調とした魔術学園の制服もよく似合っており、見慣れたクローバーの髪飾りも微かに光る。
 自分と一緒にいた頃よりも、その背中がとても大きく見えて、マルベリーは感涙を禁じ得なかった。

「もう、大丈夫だよ」

 幸運の魔術師、サチ・マルムラードが、絶望の戦場に光を灯した。

「サ……チ……?」

 獣人に襲われそうになっているポワールを助けた後。
 サチはフクロウを抱えているポワールを丸ごと抱き上げて、後ろに飛び退った。
 ひとまずの安全を確保すると、ポワールを抱えたまま唇を走らせる。

「【涙に濡れた顔――見守る天使――この者に慈悲を与えよ】――【天使の気まぐれ(カプリス・チュール)】」

 白い光がポワールの体を包み込み、背中に付けられていた傷が一瞬にして完治した。
 超低確率で対象者のあらゆる傷を完治させる完全治癒魔法――【天使の気まぐれ(カプリス・チュール)】。
 それによって体が治ったポワールを地面に下ろすと、サチは労るような声で彼女に告げる。

「遅くなってごめん、ポワールさん」

「ううん。治してくれて、ありがと」

 そのやり取りを見ていたマルベリーは、二人が顔見知りだったことに驚愕を覚える。
 魔術学園の生徒で、しかも同じ一年生のようなので、何かしら接点があるかもしれないとは思っていたが……
 いったいどういう間柄なのか、もしかして親しい友達なのか、それらについて詳しく聞きたいのは山々ではあったが、今はそれよりも先にやることがあった。

『サ、サチちゃん!』

「んっ?」

 随分と久しく愛弟子の名を呼ぶ。
 それをなんだか嬉しく感じたが、対してサチは鈍い反応を示した。

「フクロウ? って、ホゥホゥさん……だよね? えっ、なんで喋ってるの?」

『あっ、その、確かにこの体はホゥホゥさんのものですけど、今は中身が入れ替わってまして……』

 その時、前方から魔獣の雄叫びと戦闘の衝撃音が聞こえてくる。
 サチは碧眼を鋭く細めて、戦場の前線に視線を向けた。

「ていうかごめんね、今はちょっと遊んであげてる時間はないの。思い出話だったらまた今度に……」

『いやですから違いますよサチちゃん! 私です! マルベリーです!』

「へっ?」

 細められたはずのサチの瞳が、きょとんと真ん丸く見開かれる。
 その目がゆっくりとマルベリーの方に向けられて、二人はじっと視線を交換した。

「マルベリー、さん……?」

『はい、そうですよ』

「……」

 たった一言の落ち着いた返事。
 サチにとってはそれだけで、確信に至るのに充分だった。
 その確信をさらに確かなものにするように、サチはフクロウのマルベリーをぎゅっと抱き上げる。

『サ、サチちゃん!?』

「え、えへへっ……! 本当だ、マルベリーさんだ」

 サチの目の端に、微かに涙が滲む。
 どうしてここにいるのか。どうしてフクロウの体になっているのか。
 など色々な疑問はあったけれど、まずは嬉しいという気持ちが先にやって来た。
 マルベリーも同じ気持ちを抱き、静かに綻ぶ。

『本当に今のだけで私ってわかったんですか』

「うん、マルベリーさん成分を注入できたからね。間違いないよ」

『そういえば旅に出る直前も、同じことしてましたね』

 サチを魔術学園に送り出した日のこと。
 サチが家を出て行く直前、最後にマルベリーの体に抱きついた。
 その時はいきなりのことで、マルベリーはかなり驚かされた。
 それ以上に恥ずかしさも大きくて、思わず赤面してしまったものだ。
 当時の記憶が脳裏に蘇ってきて、また恥ずかしい気持ちを少し思い出してしまう。
 そんなやり取りをしていると、ポワールがぼぉーっとした様子でサチを見ながら問いかけた。

「二人、知り合いだったの……?」

「うん、話すと少し長くなるんだけどね。ところでそっちもどうして一緒にいたの? 謎すぎる組み合わせなんだけど……? そもそもなんでマルベリーさんはホゥホゥさんの体に……」

『そ、それも話すと長くなるんですけど……』

 など疑問が渋滞している最中――

「グオオォォォ!」

「カカカッ!」

 死霊種の魔獣たちが、前線の方からこちらに向かって走って来ていた。
 その気配を感じ取り、サチとポワールが再び構える。

「って、長々と話してる暇はなかったね。ここからは私も一緒に戦うから、みんなで魔獣侵攻を止めよう」

 と、強く意気込むサチ。
 現状、魔術師たちは全員、魔素を弱らされていて、魔獣たちは凶暴化して強くなっている。
 しかしサチだけは魔素収縮の影響が関係ないため、心強い戦力が増えてくれたということだ。
 ただ、それでも魔獣侵攻を止められるかはわからない。
 ましてや被害者を出さずにこのまま乗り切るのは至難だろう。
 全員で生き延びられる可能性は、おそらくない。
 それほど逼迫した状況だということをサチも理解しているため、険しい顔つきで冷や汗を滲ませる。
 だが……

『サ、サチちゃん!』

「んっ?」

『その前に、試しにこの魔法を使ってもらえませんか?』

 マルベリーだけは希望を見出しているように、前のめりになってサチを呼び止めた。
 サチの動きが止まったのを見たマルベリーは、彼女の肩に止まりながらふと思う。
 そういえば前にも、同じようなことがあった気がする。
 初めてサチの確率魔法を見た時のこと。

『サ、サチちゃん、家の中に入る前に、試しにこれを唱えてもらえませんか?』

 咎人の森で暴虐の限りを尽くしていた森の主が、自宅の近くに現れた。
 その時、サチの幸運値に希望を見出したマルベリーは、彼女に“即死魔法”の詠唱式句を伝えたのだ。
 これはまるで、あの時の再現のようだと、マルベリーは密かにそんなことを思った。



――――



 魔獣侵攻開始からおよそ一時間。
 アリメント・アリュメットの視界には絶景が広がっていた。
 暴走する魔獣の群れ。
 苦しみ悶える魔術師たちの姿。
 絶望的な戦場は彼らの悲鳴と鮮血に満たされている。

「……見ておりますか、ヴィアンドさん」

 これこそが、アリメントが実現したかった光景。
 恩師のヴィアンドに捧げたいと思っていた美しき絵画だ。
 これを自分の手で完成させたという達成感と歓喜が沸々と湧いてくる。
 感涙が目の奥から止めどなく溢れてくる。
 と、その時……

「んっ?」

 完成された美しい絵画の中に、不意に一つの不純物を捉えた。
 廃教会の鐘楼の屋根からでもわかるほど異質なもの。
 一つの人影が、ふわふわと浮いて、戦場を一望できる上空まで浮上していた。
 目を凝らして見てみると、その者の姿が朧げながら確認できる。
 肩にフクロウを乗せている、銀色の髪の少女。

(あの子は……)

 アリメントは記憶の片隅をチクリと刺激される。
 確か先刻、地下迷宮に置き去りにしたはずの魔術師の少女だ。
 容姿から服装まで何もかも一致している。

(どうしてもうこの場所に……?)

 いくらなんでも早すぎる。
 あの場所からここまで、どれだけ急いでも数時間は掛かるはずだ。
 だというのに僅か一時間弱で、あの少女はここに来ている。
 瓜二つの双子でもいたのだろうか。
 それともこちらと同じように、王都のどこかに転移地点を設置していたのだろうか。
 いや、だとしてもあの場所から王都までの長距離移動を可能にする魔法なんか聞いたことがない。
 規格外の魔力値を有しているのなら話は別だが、該当するような生徒は魔術学園にはいなかったはず。

(また青の差し色。あの方も一年生ですか)

 新しい生徒が入って来てから半年ほど。
 内通者のヒィンベーレから目ぼしい生徒の情報はもらっていたが、一年生はいまだに調査不足である。
 そもそも経験が浅いことから、脅威になるような人物がいないと断定し、一年生に関してはそこまで深く調べさせてはいなかったのだ。
 特待生、名家生まれの子息令嬢、星華祭なる催しで各クラスの代表者を務めた生徒たち、とりあえずこの辺りの生徒は調べさせたが……

(あの生徒の情報は聞きませんでしたね。まあ、特別問題はないでしょう)

 どのような手を使ってここまで来たのかはわからないが、あの生徒一人が来たところでさしたる問題はないだろう。
 この混沌とした状況をたった一人で覆すことなど誰にもできるはずがないのだから。
 どうやら下にいる、先ほど確認した金髪少女に浮遊魔法を付与してもらっているらしく、眼下では彼女が銀髪少女に手の平を向けていた。

(何をしようと無駄なことです。そこから見えるのは希望ではなく、際限なく広がる圧倒的な絶望なのですから)

 きっと少女の目にもそう映っているはず。
 覆しようのない底知れぬ絶望が。
 傷付き倒れていく魔術師たちの姿が。
 ますます広がっていく悲鳴と鮮血の光景が。
 魔術師がどれだけ矮小で愚かな存在かということが。

「後悔してください。ご自分がどれだけ愚かで、間違った道に進んでしまったかということを」

 アリメントは嘲笑した。
 嘲笑を超えて高笑いまでした。
 誰も見ていないことをいいことに、大口まで開けて下品に笑った。

 そして魔術師たちの悲鳴を肴に、魔術国家の中心で笑い声を響かせた。



「アハハハハハハッ!!!」



 ――刹那。



「【終焉の時は来た――闇夜からの眼差し――その者の結末を見届けろ】」



 遠くに見える銀髪の少女の声が……
 確かに、アリメントの耳を打った。



「【悪魔の瞳(デッド・エンド)】!」



 瞬間――
 銀髪の少女の体から、おぞましい漆黒の波動が迸った。
 彼女の背後には、いるはずのない悪魔の幻影が浮かび上がり、周囲の空気が重たくなるのを感じる。
 思わず寒気まで覚えて体を震わせていると、アリメントの視界に目を疑う光景が映し出された。

「グオオォォォォォ!!!」

 王都の西側に集結している魔獣の群れ。
 その魔獣たちが一斉にして、雄叫びを上げながら苦しみ始めた。
 次いでバタバタと糸の切れた操り人形のように地面に倒れていく。
 一匹、また一匹と地に沈んでいき、周囲に立つ魔術師たちも何が起きているのか理解が追いついていなかった。
 そして、僅か十秒後のこと。

 気が付けば、視界に映っているすべての魔獣が…………死んでいた(・・・・・)

「…………はっ?」

 死んでいる。間違いなく死んでいる。
 ただ倒れただけではない。事切れて命が終わっているのがここからでもわかる。
 魔獣たちから、完全に生気が失われていた。

「な、何が、起こって……?」

 あれだけ多くの魔獣がいたのに。
 凶暴化して誰も手が付けられなくなっていたのに。
 その魔獣たちが、たった一瞬で、殺されてしまったというのか?
 しかも、それだけではない。
 西側の魔獣の群れだけではなく、北側に見える魔獣たちも同様に地面に倒れていった。

 そう、あの少女が軽く“一瞥”しただけで。

「や、めて……これ、以上は……!」

 少女は止まらず、そのまま東側、南側と視線を巡らせる。
 そして魔獣たちは彼女の視界に映った瞬間、急激に苦しみ始めて、次々と地面に倒された。
 やがて王都に迫っていたすべての魔獣が息絶え、絶望に満ちていたはずの戦場が静寂に包まれた。
 そこにはもう、魔術師たちの悲鳴はない。
 暴走する魔獣たちもいない。

 一瞬にして、魔獣侵攻が終演となった。

「…………」

 アリメントの頭は白一色で埋め尽くされる。
 この短い間にいったい何が起きたのか、まったく理解が追いつかない。
 いいや、本当は頭の奥底では状況を飲み込めている。
 しかしそれを認めたくなくて、我知らず思考を停止させているのだ。

(だって……)

 あれだけ時間を掛けて人と道具を揃えてきたのに……
 数々の苦労を乗り越えて計画を完成させたのに……
 長年待ち焦がれてようやく叶えることができたのに……

 その努力のすべてを、一瞬にして無にされてしまったのだから。



「今の気分はどう、悪の親玉さん」



「――っ!?」

 いつの間にだろうか。
 例の銀髪の少女が後ろに立って、邪悪な気配を放つ瞳をこちらに向けていた。

 戦場が静寂に包まれた後。
 私は無作為転移魔法の【我儘な呼び出し(アリアン・シフレ)】を使ってある場所まで転移した。
 地下迷宮で逃がしてしまったミストラルの頭領、アリメントの場所まで。
 おそらく近くでこの戦場を見ているだろうと思っていたが、まさかこんな廃教会の鐘楼の屋根から見ているとは思わなかった。
 奴は地下迷宮で見た時のような余裕を完全に失くして、愕然とした様子で固まっている。

「い、いったい、何をやったというのですか……」

「んっ?」

「せっかく呼び集めた魔獣たちに……わたくしたちの念願だった魔獣侵攻に、いったい何をしたというのですか!」

 灰色の長髪を振り乱しながら、怒りの眼差しをこちらに向けてくる。
 どうやら私のことについては知らないみたいだ。
 いや、もし私の情報を事前に仕入れていたとしても、今の一幕は理解ができないはずだ。
 わざわざ教えてあげる義理もなかったけれど、私は奴の戦意を削ぐためにあえて明かした。

「即死魔法」

「えっ……?」

「視界に捉えた害意ある敵を、百万回に一回の確率で即死させることができる“超広範囲”即死魔法。それで暴走している魔獣たちを一斉に即死させたのよ」

「……」

 単体を対象にした即死魔法――【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】。
 一定範囲の敵を殲滅する即死魔法――【地獄への大扉(ヘルズ・ゲート)】。
 さらにその上、視界に捉えた敵を一掃できる超広範囲の即死魔法――【悪魔の瞳(デッド・エンド)】。
 マルベリーさんが新しく魔素から聞いたというその即死魔法を、ついさっき私も教えてもらった。
 正直私も、【悪魔の知らせ(デス・ノーティス)】と【地獄への大扉(ヘルズ・ゲート)】だけでこの魔獣侵攻を食い止めるのは難しいと思っていた。
 いくら一撃で魔獣を倒せるからといって、西側だけではなく他の場所にも魔獣が集まっていて、さすがに数が多すぎると。
 だからマルベリーさんから新しい即死魔法の詠唱式句を聞けて本当によかった。
 おかげでこうして、すべての魔獣を一瞬で倒すことができた。

「ど、どうしてそんな魔法を成功させることができるのですか! 百万回に一回の確率だというのに、この一帯にいる魔獣たちすべてに成功させるなんて……」

 私のことを知らないアリメントは、いまだに険しい顔つきで混乱している。
 対して私は、これまで幾度となく口にしてきた台詞を、我知らず得意げになって告げた。

「幸運値999だから」

「えっ?」

「幸運値999の私は、即死魔法が絶対に成功するのよ」

 単体だろうが複数体だろうが関係ない。
 私が敵と判断した相手には確実に即死魔法が成功するようになっている。
 幸運値999の私は、どんな確率魔法も自分の都合のいいように成功させることができるのだ。

「私が殺したいって思った奴は、視界に入った瞬間に確実に死ぬ。それが幸運値999の私と、魔獣侵攻を終わらせた即死魔法――【悪魔の瞳(デッド・エンド)】の力よ」

「そ、そんなの、反則ではないですか……」

 立場が逆なら、私でもそう思っていたに違いない。
 見ただけで相手を殺せるなんて確かに反則的だから。

「やろうと思えばあんただって、この目一つで殺すことができる」

「……」

「でも、あんたは殺さない。死んで逃げるなんてことは絶対にさせない。自分がどんな罪を犯したのか、今一度よく理解させて、それでその罪を償わせてやる」

 それでその口から自白してもらう。
 今回の件だけじゃなく、十二年前の大災害を引き起こした真犯人だと。
 そうすればマルベリーさんの冤罪を晴らすことができるから。
 改めてアリメントを捕まえるために身構えた、その時……

「……フフッ、罪? 罪と仰いましたか?」

「……?」

「この歪んだ世界を変えようという志が、いったいどうして罪などと言われなければならないのですか?」

 さも正当なことをしていると言わんばかりの真面目な表情。
 自分が間違っているなんて微塵も思っていない。
 どころか私の方がおかしいと言うように、しまいにはこちらを心配するような目で見てきた。

「自らの優位性を維持するために、脅威となるものを一方的に否定するだけの愚かな魔術師。そんな者たちに支配されている魔術国家など、変えてしまった方がいいに決まっているではないですか」

 おそらくアリメントにも、何かしらの事情があるのだろう。
 今の言葉だけでもそれはわかる。
 その理由がどんなものかはわからないが、彼女からは強い執念のようなものを感じた。

「あなたはまだ幼いから知らないだけなのですよ。魔術師という存在がどれだけ矮小で、この国を汚してしまっているかということを。そのせいで、わたくしの大切な恩人の夢が……」

「……」

 まだ幼いから知らないだけ、か。
 確かに私はまだ、この世界のことを、この魔術国家のことをほとんど何も知らない。
 周りから見ればたかが十五、六の世間知らずな小娘で、頭だって別にいいわけじゃないから。
 でも……

「……知ってるよ」

「えっ?」

「私だって知ってるよ。今の魔術国家が……ううん、特定の魔術師たちが間違った価値観を持ってることを」

 アリメントは意外そうに目を大きく見開く。
 まさか私からこんな返しが来るとは思っていなかったのだろう。
 でも、私だって少しは知っている。
 ここに来るまでにたくさんの大人の事情を見せられたし、私自身だって苦しい思いを味わってきたのだから。

「私だって魔力値が低いせいで、魔術師の名家の実家で蔑まれてた。結局その家からも追い出されることになって、学園では魔力値が低い平民として見下されるようになった。そういう辛い思いを、私だってたくさんしてきたの」

 なぜだろう。
 別にアリメントに明かさなくてもいいことを、我知らず口からこぼしてしまう。
 さっさと奴を捕まえて連行してしまえば、それで済むはずなのに。
 いや、もしかしたら本当は、誰かに打ち明けたいと思っていたのかもしれない。
 私がずっと昔から抱いてきた、魔術国家に対する“違和感”について。

「そう、私だってたくさん苦しんできた。でもね、それ以上に私は、大切な恩人が罪人として扱われている現状が、何よりもおかしいって思ってるの」

「……おん、じん?」

 私は胸の内に抱えていた違和感を、アリメントに対して明かす。

「私を拾ってくれた恩人は、魔導師だからって理由で大災害の原因だって決めつけられた。そのせいで今は咎人の森に閉じ込められている。それ自体、初めから何かおかしいとは思ってたの。本当にそんな迷信だけで、国家絡みで人一人を森に幽閉なんてするかなって」

 魔導師が災いの源だと言われているのは確かなことだ。
 そして実際に大災害が起きれば、町にいた魔導師に少なからず懐疑的な目は集中することだろう。
 けど、本当にそれだけのことで、国家絡みで魔導師を幽閉したりするだろうか?
 だって、迷信はあくまで迷信だ。
 それにその迷信すらかなり古いもので、全員が全員それを信じているとは思えない。

「で、最近になってようやく気が付いた。これは単なる“嫉妬”だったんじゃないかって」

「嫉妬……?」

「あの人は本当にすごい人だから、たぶん“賢者”って呼ばれていた時期にたくさんの魔術師たちから嫉妬の目を向けられていたんだと思う。それで心ない魔術師たちは、大災害に乗じて、魔導師のあの人を犯人に仕立て上げたんだ。それが今になって、私もようやくわかった」

 地下迷宮での戦いで、偏った考えを持っている魔術師たちをたくさん見た。

『魔力値がなくともその人間に価値はある? そんなのはただの綺麗事に過ぎない!』

『魔力値のない人間など無価値な存在だ! 生かしておいたところで何の意味もない』

『だというのにミストラルの連中を生かして捕らえろだと? 無意味なことばかり言いやがって』

 魔力値を重視する魔法至上主義を徹底的に掲げていたシャン派の国家魔術師たち。
 あそこまで徹底していたのはきっと、第一王子のシャンさんが、第二王子のヴェルジュさんに王位を取られることを恐れていたからだ。
 シャンさんが術師序列で劣り、王位が危ぶまれていたから、魔力値こそが正しき指標だと主張することで彼の王位を守ろうとした。
 逆に言えば、そう主張することで魔力値の低いヴェルジュさんを陥れようとしていたのだ。
 きっとマルベリーさんも同じように、その実力を妬まれて多くの魔術師たちに陥れられたんだと思う。
 でなければ、みんながみんな古臭い伝承を信じて、何の証拠もないまま魔導師の幽閉を認めるはずがない。
 だからアリメントの、『自らの優位性を維持するために、脅威となるものを一方的に否定するだけの愚かな魔術師』という発言も、まったく理解できないわけじゃない。

「そういう間違った考えを持っている魔術師がいるのは、私だってよくないって思ってる。でもだからってそれで魔術師全員を否定して、色んな人を巻き込んで傷付けるのはもっと間違ってるよ!」

「……」

 中には善良な心を持った魔術師たちだってたくさんいる。
 それに加えて関係のない一般市民まで巻き込むような事件を引き起こすなんて、それこそ愚かな行いに他ならないだろう。

「そんなやり方じゃ、また別の人の憎しみを生むだけ。復讐の繰り返しどころか、新しい憎しみまで生まれるかもしれない。だからもうこんなことはやめて、大人しく投降して……アリメント・アリュメット」

 私は今一度身構えて、アリメントに鋭い視線を向ける。
 さらに投降の意思を促すために、説得するように続けた。

「それに今は術師序列一位のヴェルジュさんが、魔術国家を変えるために王を目指してる。だからあなたたちが戦う必要はもう……」

「……戦う必要は、ありますよ」

 アリメントは、先ほどとは打って変わって力ない様子で呟く。
 その姿からはどこか、故人を思うような悲しげな雰囲気を感じた。

「すみません。少しだけ、嘘を吐きました」

「……?」

「この歪んだ世界を変えようとしている、とは言いました。わたくし自身、魔法が使えないせいで蔑まれた経験があり、同じ境遇の方たちのためにも、魔法に対する価値観を変えられたらなとは思っています。けれど……」

 虚ろな目をこちらに向けて、感情のこもっていない笑みを血の気の薄い頬に浮かべた。

「それはあくまで、ただの建前なのです。わたくしの一番の目的は、魔術師という憎い存在を根絶やしにすることなのですよ」

「えっ?」

「大切な恩人を嘲笑ったあの愚かな魔術師たちが許せない。二度と同じような者が現れないように、魔法に縋っている者たちを根絶やしにしたい。そのためにわたくしは、同じ志を持つ者たちを集めて、魔獣侵攻を引き起こした。魔術師がいる限り、私が戦う理由が無くなることはないのですよ」

 大切な恩人を嘲笑った魔術師。
 そういう人たちが二度と現れないように、魔術師という存在を根絶やしにする。
 ミストラルの頭領であることから、強い使命感のようなものを抱いているかと思っていたけれど……
 彼女を突き動かしていたのは、たった一つの感情だけだったようだ。

 ようするにただの……“私恨”。

 魔術師が嫌いだから滅ぼしたい。原動力はただそれだけ。
 むしろ一番腑に落ちた。
 非魔術師たちの思いを背負っているとか、使命を果たそうとしているとか、そんな大それたものではなくて。
 ここにきてようやく、アリメント・アリュメットという人物が見えてきたような気がする。
 でも、共感したりはしない。
 ますます彼女のことを止めなければならないと、私はそう思った。

「結局、正しさの押し付け合いなんて、最後はこうするしかなくなるんですよね」

 アリメントは胸元から、一本の小さなナイフを取り出す。
 その刃先をこちらに向けるように構えて、また無感情な笑みを浮かべた。

「これが一番わかりやすい正しさの証明です。戦いこそ、己の考えを押し通すのに最適な、子供でも知っているわかりやすい手段なのですから」

 やっぱり、こうするしかなくなるんだ。
 半ば諦めたような気持ちで、私も身を構える。

「さあ、互いに正しさの証明をいたしましょう。名も知らぬ若き魔術師さん」

 そして私たちは、最後の戦いを始めた。
 先に動いたのはアリメント。
 廃教会の鐘楼の屋根を強く蹴り、雨に濡れた瓦の上を器用に駆けて来る。

 人間離れした身体能力。
 ミルの魔法を避けた時にも思ったけれど、おそらくアリメントもプラムと同様、肉体の改造を行っている。
 当然、事前に身体強化魔法を使っていた私は、アリメントのその動きに問題なく反応できた。
 至近距離で腹部に突き出されたナイフを、上体を捻って回避する。
 確かに速いけど、あのプラムほどじゃない。

「――っ!」

 アリメントは走った勢いのまま横を通り過ぎると、即座に切り返すように屋根を蹴飛ばす。
 横目にそれを見た私は、アリメントの攻撃から逃れるように、後方に飛び退きながら口を開いた。

「賽は投げられた」

 必死な顔のアリメントが迫る。
 感情のこもった刃が突き出される。
 私はその一撃一撃を躱しながら唇を動かし続ける。

「神の導き」

 言い間違いがないように。
 恩人に教えてもらった式句を丁寧に。
 私が魔術師として初めて魔法を使った時の思い出を胸に。

「恨むなら己の天命を恨め」

 アリメントが全力でナイフを振り上げて、虚ろな目から鋭い眼光を迸らせた。
 その気迫と共に、殺意のこもった刃を振り下ろしてくる。

「倒れなさい、愚かな魔術師!」

 怒りをあらわにするアリメントを目の前に見ながら……

 私は、右手を開いて唱えた。



「【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】!」



 瞬間、私の手の平から黄色い光が放たれた。
 大振りをしていたアリメントはそれを躱す余裕がなく、体の正面でこちらの魔法を受ける。
 その直後、光に被弾した彼女は、全身を麻痺させてゆっくりと倒れた。
 一万回に一回の確率で相手の身動きを封じることができる拘束魔法――【運命の悪戯(フォル・トゥーナ)】。
 私が魔術師として最初に覚えたその魔法により、反魔術結社ミストラルの首領は、完璧に拘束された。

「アリメント・アリュメット。あなたを今回の魔獣侵攻の首謀者として連行する。これまで犯してきた罪、しっかり償わせてやるから覚悟しなさい」

「……っ!」

 アリメントは、まるで付けていた仮面を外すように、今までとは打って変わって子供のように泣き出した。

 アリメントを拘束した後。
 私は彼女の身柄を抱えて、防衛隊が集まっている北門の前までやって来た。
 そこにはすでに多くの魔術師たちが集まっており、マルベリーさんとポワールさんの姿も見える。

「あっ、銀髪の子が帰って来たぞ!」

「あの子が、魔獣侵攻を止めた英雄……!」

「……えぇ、めっちゃ行きづらいんですけど」

 何やら妙に注目されている。
 まあそりゃ、あれだけ盛大に即死魔法で魔獣の大群を一掃したとなればこの注目も当然か。
 英雄なんて呼ばれるとむず痒いけど。
 私は居心地の悪さを感じながら、なんとかマルベリーさんたちの前まで辿り着いた。

『おかえりなさい、サチちゃん』

「うん、ただい……ま?」

 するとそこに、もう一人見知った人物の姿を見つける。
 貴族風の黒コーツに身を包んだ、整った顔立ちの爽やかな茶髪男性。

「遅れてしまってすまないね、サチ・マルムラード君」

「ヴェ、ヴェルジュさん!?」

 襲撃隊の指揮官を務めていた、術師序列一位のヴェルジュ・ギャランさんだった。
 一、二時間ほど前になるだろうか、ミストラルの隠れ家でプラムに不意打ちを受けて意識を失ったはず。

「体はもう大丈夫なんですか?」

「あぁ、傷なら治癒魔法で治したから問題はないよ。ただ、まだ少し意識がぼんやりするかな」

 無理もない。
 南部襲撃隊の暴走をほとんど一人で収束させて、その疲労の隙をプラムに突かれたのだから。
 ここまで早く意識を取り戻せるなんて驚きである。
 で、おそらく襲撃隊の他の魔術師たちから状況を聞いて、ここに駆けつけて来てくれたのかな。

「ず、随分と来るの速いですね。ミストラルの隠れ家から王都まで、だいぶ距離があるはずなのに」

「君がそれを言うのか……」

 ヴェルジュさんは呆れたように乾いた笑みを浮かべる。

多重詠唱(スペル・アンサンブル)で長距離転移魔法が使えるんだよ。王都くらいまでの距離なら、それで充分に行き来ができるから」

「それじゃあ襲撃隊の方は……?」

「他の魔術師たちに任せてある。俺がいなくてもミストラルの兵士たちの連行は滞りないからってさ。だからすぐに駆けつけられる俺だけ王都まで戻って来たんだ」

 魔獣侵攻が開始されたと聞いて心配だったから、とヴェルジュさんは言った。
 なら、私が隠れ家の方に戻る必要もないだろう。
 必要があればまた隠れ家の方に戻ろうと思っていたけど、どうやら滞りはないみたいだから。
 第三層で襲いかかって来たあの研究員たちも、操っていた魔獣を一掃した後に無事に拘束できたからね。

「でもまさか、君一人で魔獣侵攻を終わらせてしまうなんてね。さすがに驚かされたよ」

「いや、私一人ってわけじゃ……」

 そもそも私が来るまで魔獣侵攻を止めていたのは防衛隊の国家魔術師のみんなだし。
 そういえば南門の方には魔術学園の三年生の姿もまばらに見えた。
 みんながみんな防衛隊の一員として王都を守ってくれたから、町が壊滅せずに済んだのだと思う。
 魔獣を殲滅できたのだって、マルベリーさんの魔導師としての力があったからだし。
 そんなことを考えて、改めて今回の勝利がみんなのものだと実感を覚えていると、ヴェルジュさんが私が抱えている人を見て目を細めた。

「彼女が、ミストラルの頭領のアリメント・アリュメットか?」

「はい。居場所を特定して捕まえて来ました」

 瞬間、『おぉ』という驚きと感嘆が含まれた声が周囲で上がる。
 アリメントは現在、拘束魔法によって身動きを取ることができない。
 それに加えて今は泣き疲れたせいか静かに眠っている。

「何から何まで本当に助かる。今回の作戦の立役者は、間違いなく学生の君たちだな」

 すでにミルとかポワールさんの活躍も聞いているのだろう。
 思い返せば確かに学生たちの活躍が目覚ましいように思える。
 でも、各隊で尽力していた国家魔術師の人たちがいなければ、この活躍は成り立たなかった。

「それじゃあアリメントの身柄はこちらで預からせてもらう。彼女には聞きたいことが山ほどあるからな」

「はい、よろしくお願いします」

 私はアリメントの体をヴェルジュさんに託して、ようやくのことで肩の力を抜いた。
 あとはアリメントが罪を自白すれば、ミストラルの悪事のすべてが明かされる。
 それでようやく、マルベリーさんの冤罪も晴らされることになるのだ。

「…………いや」

 まだ確実にそうと決まったわけではないのか。
 大災害を引き起こした犯人は捕まえられたけれど、町の住人たちの不信感はいまだに拭えていない。
 アリメントが自白しても、魔導師が災いの元だと思い続ける人はきっといるはず。
 それもこれも十二年前に、心ない魔術師たちによって魔導師が大災害の源だと決めつけられたからだ。
 マルベリーさんを陥れようとする人は、昔ほどじゃないだろうけどまだ組織内にいるだろうし、念には念を入れて……

「あの、皆さん!」

「「「……?」」」

「一つお願いをしてもいいですか?」

 国家魔術師たちに注目されている好機を生かして、私は声を張り上げた。
 皆の視線がさらにこちらに集中する中、ヴェルジュさんが首を傾げる。

「んっ、なんだい改まって?」

「ヴェルジュさんにもお願いできたらと思うんですけど……」

 私はポワールさんのナイトキャップの上にとまっていたマルベリーさんを抱えて、お願いの内容を口にした。

「証言してもらえませんか?」

「証言? いったい何を?」

「魔導師マルベリーが……ここにいるフクロウが、みんなのために頑張って戦っていたって」

『サ、サチちゃん……』

 私のお願いを聞いて、周囲の魔術師たちの間にどよめきが走る。
 どうやらまだ、フクロウの正体については明かしていなかったみたいだ。

「ま、魔導師マルベリーだと?」

「本当にこのフクロウが、魔導師マルベリーなのか?」

「ど、どうして森を抜けて……」

『そそ、それにはちょっとした事情がありまして……!』

 それについては私も知らないけれど、ヴェルジュさんがもっともな意見を言ってくれた。

「この際、それについて咎める必要はないだろう。このフクロウの活躍の程は、すでに多くの者たちから聞いている。フクロウの助力がなければ、今頃戦線は崩壊して町への侵攻を許していただろうとな」

 そう、フクロウの体を借りて咎人の森を抜け出したことなんて、今回の活躍で完全に帳消しになると思う。
 どころか称賛というおつりまでもらってもいいほどだ。
 どうしてホゥホゥさんの体を借りてまで抜け出したのかは、少し気になるけれど。

「だから証言の方も当然させてもらうよ。彼女がいたからこそ、大きな被害を出さずに済んだってね。でもどうして改めてそんなことを?」

「マルベリーさんは私の師匠なんです。私はマルベリーさんの冤罪を晴らして、咎人の森から出してあげるためにここまで戦ってきました。だからマルベリーさんは悪い人じゃないってことを、町の人たちに伝えてほしいんです」

 災いを引き寄せる悪い存在ではなく、町を守ってくれた英雄の一人。
 その事実をみんなの口から伝えてもらうことで、咎人の森からの解放をより確実なものにする。

「そういえば君の姓は、魔導師マルベリーと同じものだったね。まさか彼女が君の師匠だったとは」

「マルベリーさんは今も、あの薄暗い静かな森で孤独な思いをしています。もうこれ以上、マルベリーさんに寂しい思いはさせたくありません」

 だからマルベリーさんを助けるために協力してほしいと続けようとすると……

「まず一つ言っておくと、魔導師マルベリーだったら、ミストラル側から大災害を引き起こした証拠を得られたら解放するように、すでに俺の部下たちが段取りを進めているはずだよ」

「えっ、そうなんですか?」

 全然知らなかった。
 というか国家魔術師たちは、正直マルベリーさんのこととかすっかり忘れていそうだと思った。
 でも、ちゃんとマルベリーさんのことを考えてくれていたようでなんだか嬉しい。

「でも、確かにそれだけだと少し不安が残るね。アリメントから自白が取れても、それでも迷信を信じる者たちは少なからずいるだろうから」

「はい。なので、やっぱりヴェルジュさんとか他の有力者たちから直接証言してもらった方が確実かと……」

「まあ下手をしたら、咎人の森から戻って来た彼女を非難する声も上がるかもしれない。だから王都を守るのに貢献したという実績を示すことで、魔導師が無害どころか有益であることを強く主張した方がいいかもしれないな」

 それに敵は国家魔術師側にも存在している。
 十二年前ほどじゃないだろうけど、きっとまだマルベリーさんを陥れようっていう人はいるはずだから。
 ここで住人たちの信用を完璧に勝ち取っておけば、咎人の森からの解放がより確実になるはず。

「よし、それじゃあさっそくそれを伝えに行こうか」

「えっ、さっそく?」

「ちょうど今は、住人たちが魔術学園に避難しているんだよ。君の師匠の無実を証明するなら、今が最大の好機じゃないかな」

「……」

 私は抱えているマルベリーさんと目を合わせる。
 町の人たちが今、魔術学園に避難している。
 確かに今が、最大の好機。
 そこなら多くの住人たちに、マルベリーさんの無実を主張することができる。

「俺たちも手伝うぞ」

「魔導師マルベリーが力を貸してくれたおかげで、町を守れたってな」

「私も、フクロウさんのこと、みんなに伝える」

『皆さん……』

 マルベリーさんはフクロウの顔を僅かに俯けて、微かに体を震わせていた。
 歓喜を示す彼女を見ながら、ヴェルジュさんが申し訳なさそうに言う。

「すまないね。本来であれば、もっと早く出してあげるべきだった。でも俺一人の力じゃ、住人たちの意識まで変えることはできなかったから。そもそも当時、俺にもっと力があれば決定を覆すこともできたんだけど」

「マルベリーさんの幽閉に対して、当時の魔術師たちは肯定的だったんですか?」

「俺も国家魔術師になって日が浅い時だったから、詳しくは知らないんだけど、魔導師幽閉は上の魔術師たちの総意で決まったものらしいんだ。住人たちの間に走った不安を拭うために、致し方ない犠牲だってね。まあ、彼女を妬む者たちが多かったのも理由の一つだと思うけど」

「……」

 大災害に見舞われて、混乱の渦に陥った町と住人。
 その状況を解決するためには、原因を明らかにするしかなかったのだろう。
 そこで白羽の矢が立ったのが、災いの元という伝承があった魔導師のマルベリーさん。
 ついでに才能ある彼女を封じることができれば僥倖。やはり当時の国家魔術師たちはそう考えたみたいだ。

「実際、当時の住人たちの不安の声は相当大きかったからね。加えて政府側は魔導師を囲うことによって、彼女の力を利用することができる」

「あっ、そっか。そういえばマルベリーさん、新しい魔法の詠唱式句をホゥホゥさんを通じて伝えてたもんね」

『それが政府との契約でしたから……』

 外界との手紙のやり取りを許可してもらう代わりに、政府に色々な報告をしていた。
 その一つに、新しく魔素から聞き出した“詠唱式句”も含まれていた気がする。
 確かにその話を聞いた時から、上手く利用されているような気配は感じていたけど……

「でも今ならきっと、住人たちの意識を変えられるはず。ここには多くの証人たちもいることだし、大災害を引き起こした真犯人まで見つかっているんだから。魔導師は悪い存在じゃないってわかってもらえるはずだよ」

「はい」

 そう、これでようやくマルベリーさんは自由になれるんだ。
 もうどこにも閉じ込められることなく、誰にも縛られることもない。
 私は改めて辺りを見渡して、みんなに頭を下げた。

「マルベリーさんを助けるために、皆さんの声を貸してください」

 その声に、防衛隊として戦ってくれた魔術師たちは、心強い返事をしてくれた。
 それを受けて、抱えているマルベリーさんは再び嬉しさを隠すように俯いてしまう。
 そしてさっそく、数人の国家魔術師たちと一緒に魔術学園に向かうことになった。
 残りの防衛隊の人たちに後片付けや警戒を任せて、学園への道を踏み出そうとしたその時――

「――っ!?」

 唐突に足に力が入らなくなり、思わず膝を突いてしまった。
 遅れて自覚する極度の疲労感。
 頭がぼんやりとして、額には脂汗が滲み、息も次第に荒々しくなっていく。

『サ、サチちゃん? 大丈夫ですか?』

「さすがに、ちょっと疲れてきたかも。でも、大丈夫……」

 私はマルベリーさんにぎこちない笑みを見せて、ゆっくりと立ち上がった。
 ここまで休みなく戦い続けてきた。
 何度も強烈な緊張感を味わって精神をすり減らしてきた。
 体力にも自信がある方ではないので、いつ倒れてもおかしくない状況だったのだ。
 でも、今ここで倒れるわけにはいかない。
 あと少しで、私が叶えたいと思っていた夢を……マルベリーさんを自由にしてあげるという夢を、実現させることができるんだから。

 もうちょっとだぞ。頑張れサチ。

 魔術学園に辿り着くと、そこには厳重に魔法結界が張られていた。
 おそらく学園長さんの魔法によるものだと思う。
 魔獣だけを阻む結界で、中に入ってみるとそこには王都の住人たちがいた。

「お母さん、まだお家に帰れないの?」

「もう大丈夫だってさ。怖い魔獣たちは、魔術師さんたちが倒してくれたから」

 大きな校庭に集められている住人たちは、それぞれ安堵したような表情をしている。
 どうやら政府側から魔獣侵攻が止まったことが伝えられたようで、みんな安心して学園から出ようとしていた。
 そこに、ヴェルジュさんが大声で呼びかける。

「少し待っていただいてもよろしいですか?」

「えっ、あれって……」

「術師序列一位のヴェルジュ・ギャランだ」

「もしかして、ヴェルジュ様が大災害を止めてくれたの……?」

 さすがは有名人のヴェルジュさん。
 たった一声で住人たちの視線を釘付けにして、彼らの足と声を一瞬で止めた。
 突如として校庭が静寂に包まれると、不意に聞き覚えのある声が脳内で響く。

『ヴェ、ヴェルジュ・ギャラン? なぜお主が学園におるんじゃ? 魔獣侵攻はもう止まったと……』

「アナナス学園長、少しこの場をお借りしてもよろしいでしょうか? 町の住人の方々に、お伝えしたいことがありまして」

 いきなり校庭に姿を現したヴェルジュさんに驚いて、学園長さんが交信してきたらしい。
 それに対してヴェルジュさんがお願いをすると、学園長さんはやや戸惑いながらも『構わんぞ』と了承してくれた。
 皆の視線がより一層集まる中、ヴェルジュさんが傍らにあった朝礼台にのぼって声を上げる。

「今回の災害の件で、住人の皆様にご報告したいことがございます」

 そう切り出したヴェルジュさんは、魔獣侵攻の計画阻止について明かし始めた。
 反魔術結社ミストラルが仕組んでいた計画のこと。
 それを防ぐために戦った国家魔術師たちのこと。
 つい先ほどその魔獣侵攻を食い止めて町を守ったこと。
 ここにいるアリメントがその元凶で、この通り確かに捕縛したことを。
 最後にヴェルジュさんは私の方に視線を振り、話す機会を与えてくれた。

「迫り来る魔獣を討ち倒し、町を守った最大の功労者は彼女です! どうか少し、彼女の話も聞いていただけないでしょうか!」

「……」

 その声を受けて、私もマルベリーさんを抱えながら朝礼台の上に立つ。
 途端、ピリピリと感じる多くの住人たちの視線。
 戦いとはまた違った緊張感が私の精神を刺激してくる。
 これだけ多くの見知らぬ人たちに注目されるのは、星華祭で活躍した時以来だろうか。
 でもそれはあくまで競技中の姿を見られたというだけで、視線を集めながら発言するのはこれが初めて。
 自ずと手が震えてくる。声が喉に引っかかる。
 それでも私は、懸命に声を張り上げる。
 これが、私が一番望んでいた状況じゃないか。

「皆さん初めまして、私の名前はサチと言います。突然のことで困惑している方も多いとは思うんですけど、どうか一つだけ聞いていただきたいことがあるんです」

『……』

 マルベリーさんは私の腕の中で、体を縮こまらせる。
 これからどのような反応をされるか不安に思っているのだろう。
 私も同じ気持ちだけど、当人のマルベリーさんはもっと大きな不安を抱えているはずだ。
 そして私はいよいよ、ずっとみんなに言いたかったことを、精一杯の声で伝えた。

「ヴェルジュさんからも話があった通り、魔獣侵攻はすべて、反魔術結社ミストラルの仕業です! 十二年前の大災害の時も同じようにして、ミストラルが魔獣侵攻を引き起こしました! それなのに今、大災害の原因だと疑われて、咎人の森という場所に幽閉されている魔導師がいます!」

 住人たちの方から息を呑む気配を感じる。
 大人たちだけではなく、幼い子供たちも魔導師を知っているのかそれらしい反応を示す。
 あまり好意的ではない様子を見るに、やはりみんなは魔導師に対して悪い印象を持っているようだ。
 だから私が、その認識を変える。

「その魔導師は、森に捨てられていた私を拾ってくれた。大切に育ててくれた。優しく魔法を教えてくれた。あの人と一緒にいて災いに巻き込まれたことなんて一度もない。魔導師が災害を引き寄せるなんていうのは、ただの思い込みなんです!」

 とは言うが、住人たちはいまだに疑心に思っているようで訝しい目をこちらに向けてくる。
 あくまで今のは私の主観の話だから。
 それにずっと前から抱いていた悪い印象を、いきなり変えろと言うのも無茶である。
 だからこそ私は、実績を示すために、胸に抱えていたマルベリーさんを掲げて続けた。

「むしろ町やみんなを守るために一緒に戦ってくれました。彼女は今、このフクロウの体に入っていて、魔法が使えない体でも必死に手を貸してくれました。この人がいなかったら魔獣侵攻を止めることはできていなかったんです」

 住人たちは戸惑ったようにざわつく。
 突然そんなことを言われて、すぐに飲み込める人はまずいない。
 それを見かねて、ヴェルジュさんが口添えしてくれた。

「この子の言うことはすべて事実だ。魔導師マルベリーの魂は今、このフクロウの中にある。そして彼女は窮地に立たされていた防衛隊を救い、町を守ってくれたんだ」

 次いで他の国家魔術師たちも、傍らで口々にマルベリーさんの活躍を伝えてくれる。
 魔法が使えない中でも、その知識を使って防衛隊をサポートしてくれたことを。
 見たことない魔法の数々で魔獣侵攻を食い止めてくれたことを。
 それがひとしきり済むと、校庭が何度目かの静寂に包まれる。
 これでも足りないかと思った私は、最後に頭を下げて住人のみんなにお願いをした。

「お願いします。マルベリーさんのことを、どうか受け入れてあげてください。彼女がみんなのために戦ったことを、認めてあげてください……」

 ……伝えられることは、もうすべて伝えた。
 あとはみんなが信じてくれるかどうかだけである。
 正直まだ、アリメントから確かな自白も取れていないし、急ぎすぎてしまった感はある。
 でも、今ここが町の人たちの意識を変えるのに一番の時と場所だと思ったんだ。
 魔導師は悪という風潮を、一気に覆すことができる最大の好機。
 静けさに覆われた空間で、私はただ祈りながら頭を下げ続ける。
 瞬間――

 校庭に、揺れんばかりの拍手が湧き上がった。

「……」

 顔を上げて辺りを窺うと、町の人たちはこちらに向けて拍手を送ってきている。
 より厳密に言えば、私が抱えているフクロウのマルベリーさんに向けて。
 これは……

『信じて、もらえたんでしょうか……?』

「た、たぶん……」

 その問いかけに頷きを返すかのように、さらに拍手の勢いが増す。
 加えて口々に、マルベリーさんに対してお礼の声が投げかけられた。

「町を守ってくれてありがとう!」

「魔獣侵攻を止めるなんて本当にすごいわ!」

 マルベリーさんは呆然とした様子で辺りを見渡している。
 魔導師に対して悪い印象を抱いている人は、もうまったく見受けられない。
 ……成功した。
 私と国家魔術師の人たちの説得により、町の人たちの意識を変えることができたんだ。
 おそらくその一番の要因となったのは、術師序列一位のヴェルジュさんがいてくれたからだろう。
 この王都で最も人望が厚いと言っても過言ではないこの人に、口添えをしてもらったから信じてもらえたんだ。
 これでもう、大丈夫だ。

 それがわかって緊張の糸が切れたのか、一気に疲れが押し寄せて来る。
 思わずそのまま朝礼台の上で倒れ込んでしまいそうになるが、なんとか気力を振り絞って堪えた。
 その後、町の人たちにお礼の言葉を返した後、その場をヴェルジュさんに任せる。
 そして私はマルベリーさんを連れて台上から下りると、なけなしの体力で校庭の端にあったベンチに座り込んだ。
 ほとんど倒れ込むような形になり、そこでいよいよ私の体力が尽きてしまう。
 指先一つを動かすのもままならず、私はマルベリーさんを抱えたまま意識を手放した。



 それから、どれくらいの時間が経っただろうか。
 自分としてはあまり時間が経っていない感覚。
 それこそ目を閉じて十秒後に目を開けたような感じだ。
 でも、私の目の前に広がったのは……

「う、うぅん……」

 直前まで見ていたはずの校庭の景色ではない。
 真っ白な天井と室内の空気が、私のことを出迎えた。
 ここはいったいどこだろう?
 なんだか微かに見覚えがある気がする。
 でも具体的にどこか思い出せないし、何より意識がまだぼんやりとしている。
 そもそもベンチに座っていたはずが、今はベッドに寝かされていた。
 いったいここがどこなのか確かめるために、鉛のように重たく感じる体を起こそうとした瞬間――

「部屋の片付けもしませんし、脱いだ服は放りっぱなしで、本当にいつも困っちゃうんですよ」

『ふふっ、学生寮でもそんな感じなんですか』

「……んっ?」

 何やら楽しげに会話する声が聞こえてきた。
 どちらも耳に馴染みのある声。
 それを確かめるために体を起こすと、私が寝ているベッドの近くには……

「あっ、サチさん!」

『よかった。体調は大丈夫そうですか?』

「ミルと、マルベリーさん……?」

 青色の髪の少女とフクロウがいた。

 ベッドの脇で椅子に座るミル。
 そのミルの近くで簡易的な止まり木に止まっているマルベリーさん。
 どうやら先ほどの話し声は二人のものだったようだ。
 と、そこまで確認した後で、私はおもむろに辺りを見渡す。

 左右の壁に四つずつベッドがある大部屋。
 ベッドの間にはそれぞれ仕切り用のカーテンがあり、部屋の端には何かしらの薬品などが入った棚も置かれている。
 他にも背や体重を測る器具や、応接用の椅子と机も一式見えて、その景色に記憶を刺激されながら私は呟いた。

「ここは……」

「魔術学園の保健室ですよ。担当のポム先生は用事でいませんけど」

 あぁ、そうだ。
 ここは前にも一度訪れたことがある保健室だ。
 パッと思い出せなかったのは、いまだに頭がぼんやりしているせいだろうか。
 怪我をしたマロンさんの様子を見に来たのは、つい最近の出来事だというのに。
 と考えているのを見抜いてきたかのように、ミルがさらに続ける。

「つい昨日まではマロンさんもここで静養していたんですけど、体調が回復したので寮に戻ることになったんですよ」

「つい、昨日……?」

 その聞き捨てならない情報に、私は思わず前のめりになって問いかける。

「わ、私って、いったいどのくらい……!」

『丸二日ですよ』

 その問いに、ミルに代わってマルベリーさんが答えてくれた。
 丸二日。
 あれからそんなに時間が経っていたのか。
 正直自分としては、ついさっき目を閉じて今開けたくらいの感覚なんだけど。
 でも確かに校庭のベンチから場所が変わっているし、ミルもこうして学園に帰って来ている。
 私、そんなに眠っていたんだ。

『あの後、サチちゃんは校庭のベンチで意識を失ってしまったんです。そのサチちゃんをポワールちゃんが抱えて、保健室まで運んでくれたんですよ』

「ポ、ポワールさんが……?」

 あの小さな体のどこにそんな力が……
 と一瞬だけ疑問に思うが、身体強化魔法を使ったのだとすぐに気が付く。
 そんな彼女の姿はここにはないようで、すぐにそのお礼を伝えることはできそうになかった。

『保健室のポム先生は、ただの疲れが原因だと仰っていました。長く気を張り詰めていたため、精神的に摩耗して眠ってしまったのではないかと』

「ははっ、疲れてるのは自覚してたけど、まさか丸二日寝込むほどだったなんて……」

 それほどまでに緊張していたということだろう。
 それも無理はないか。
 だって絶対に失敗できない場面の連続だったから。
 ミストラルの隠れ家で兵士たちと戦ったり、その主であるアリメントと直接対決したり。
 最後にはマルベリーさんの冤罪を晴らすために、町の人たちの前で声だって張り上げたんだから。

「私もつい先ほど学園まで戻って来て、サチさんが寝込んでいると聞いて驚いて飛んで来たんですよ。あのサチさんが意識を失ったなんて信じられなくて」

「私をなんだと思ってるの。私だって普通の女の子なんだから、倒れたりすることだって当然あるよ」

 ミルはよくよく、私のことを過大に評価しがちだ。
 少し特殊な人間であることは自覚しているけれど、体力知らずの化け物ってわけじゃないんだから。
 そんな会話をしているうちに、次第にぼんやりとした意識が覚醒に近づいてきた。
 次いで私は遅まきながら、事件のその後について尋ねる。

「ミルがここにいるなら聞く必要ないと思うけど、ミストラルの人たちはどうなったの?」

「全員無事に連行して、今は国家魔術師さんたちの元に捕らえられていますよ。今後の処罰について政府や教会と色々と話しているみたいです」

 続けてミルは、事件後の諸々の話をまとめて教えてくれた。
 地下迷宮で研究員たちを拘束した後、第五層の研究層で大災害計画の証拠を収集したこと。
 暴走したシャン・ギャランとシャン派の国家魔術師たちが、現在治療中ということ。
 それらも押収した魔道具を解析することで治療方法が判明するということ。
 その他にも私の兄を含めた暴走者たちの治療も、魔道具解析によって本格的に進められるとのことで、反魔術結社ミストラルが起こした事件の数々は緩やかにだが解決に向かっているとのことだった。

「ヴェルジュさんも本格的に王様を目指すと宣言して、二度とミストラルのような反乱因子が現れないように魔術国家の考え方を変えていくと国民たちに発表していましたよ」

「何はともあれ、これでひとまずは一件落着ってことだね。もちろん目に見えない問題はまだまだ山積みなんだろうけど」

「それは国家魔術師の皆さんにお任せしましょう。私たちの出番はこれで終わりですから」

 改めてミルからその言葉を聞いて、私はようやく肩に乗っていた鉛のような荷が下りる。
 けれど、ミルはいまだに複雑そうな顔でこう呟いた。

「まあ、私はまだプラムちゃんの処罰が決まるまでは、気が休まりそうにありませんけど」

「……なんとか酌量してもらえたらいいんだけどね」

 プラムが国家魔術師たちに与えた傷はかなり深いものだ。
 一応治療の目処は経っているけれど、それも魔道具解析の成否によって雲行きは変わる。
 それ以前に多くの優秀な国家魔術師たちに危害を加えた時点で、当然死罪は免れないだろう。
 だからミルはあの手この手で有力者たちにも口添えしてもらって、彼女の酌量を求めたらしい。
 その決定が正式に下るまでは、ミルの心は休まらないということだ。
 事情や年齢を考慮して、処罰が軽くなればいいけれど、こちらはあとは祈るばかりである。
 マルベリーさんもあらかたの事情をすでに聞いているらしく、ミルのことを優しげに見守っていた。
 と、そこで私は、遅まきながら気が付く。

「そういえば二人のこと紹介し忘れてたね。って、これもたぶん今さら必要ないと思うけど……」

 そう言いつつも、私は二人の間に挟まるように両者を紹介する。

「この子が私の相棒でルームメイトのミル。で、こっちが今はフクロウの体に入ってるけど、私の師匠で大切な家族のマルベリーさんだよ」

「もう知ってますよ」
『もう知ってますよ』

 私の紹介に対し、二人は見事に声を重ねた。
 まあ、私が寝ている間にすでに色々と話し込んだみたいだし、今さら紹介とか意味なかったか。

『今回の一件について把握し切れていないことなど多かったので、襲撃隊の様子などミルちゃんから色々と聞いたんですよ』

「その時にお互いのことも話して、あとはサチさんのことについてもたくさんお話ししました」

「私のことについてって、どうせ私のだらしないところを話して盛り上がってただけでしょ」

「自覚してるなら直してくださいよ」
『自覚してるなら直してくださいよ』

 と、二人は再び声を重ねる。
 それを恥ずかしく思ったのか、ミルとマルベリーさんは気まずそうに顔を俯けてしまった。
 なんだこのシンクロ率は。

「もう私よりも息ぴったりじゃん。まあ、二人はなんとなく気が合うような気がしてたから、いつか絶対に会わせてみたいなって思ってたんだ」

「そういえばお師匠さんの話をする度に、そう言ってましたもんね」

 純粋に私の親友と師匠だから、二人には親しくしてもらいたいと思っていた。
 それ以外にもまあ、二人を会わせたらどんな化学反応が起きるのか期待していた節もある。

「けどまさか、私のだらしない話題で盛り上がっちゃうなんてとんだ誤算だよ。なんで私の周りってしっかりした人が多いんだか」

『確かにミルちゃんは、昔の私に少し似ている気がしますね。こういう子がサチちゃんの隣にいてくれると、師匠としてはとても安心ですよ』

「似てる……?」

 確かに仕草や口調、大人しげな雰囲気は近しいものを感じるけど……
 私は椅子に腰掛けているミルの体(具体的には首と腹部の間)に目を止めて、ふむと首を傾げた。

「似てる、かな……?」

「どこ見て言ってるんですか!」
『どこ見て言ってるんですか!』

 二人に呆れた目を向けられてしまう。
 いやだって、二人には明らかに天と地ほど違う点があるから。
 むしろ身体的な特徴については、マロンさんの方が似てるかも。

「と、というか、マルベリーさんって、その……そんなにすごいんですか?」

「覚悟しといた方がいいよ。びっくりしすぎて気ぃ失わないように」

『変に誇張しないでくださいサチちゃん!』

 マルベリーさんは羽をバサバサと揺らして怒っている感じを示す。
 まあ、どうせすぐにちゃんとした体でまた会えるだろうし、ミルには実際に見てもらった方が早いよね。
 と、そんな話をしてから思い出す。

「そういえばマルベリーさんの処遇についてはどうなったの? 咎人の森に張られてる結界とか、解いてもらえることになったのかな?」

『ミストラルの頭領、アリメント・アリュメットから正式に自白が取れましたので、じきに結界魔法が解かれるそうですよ。まあ色々と政府側で揉めたみたいですけど、そこはヴェルジュ・ギャランさんが手を回して融通を利かせてくれたみたいです』

 おぉ、それならよかった。
 にしてもやっぱり、まだ魔導師を危険視する人は少なからずいるのか。
 まあおそらくシャン派の人間が反対したんじゃないかなって思うけど。
 ヴェルジュさんのみでなく、魔導師マルベリーまで正式に国家魔術師として戻って来たら、より術師序列が危ぶまれることになる。
 下手をしたら二人に抜かれて、術師序列三位という威厳も何もない状況になってしまうのだ。
 そうなればますます王位継承の話が危うくなるから、シャン派が不満げな反応を示したってところじゃないかな。
 しかしそれらの些細な抵抗も、ヴェルジュさんによって押し潰されたらしい。
 結果、少しでも早くマルベリーさんが咎人の森から解放されるよう、手を回してくれるとのことだ。

「これでようやく、マルベリーさんは自由になれるんだね。本当によかった」

 その嬉しさがじわじわと込み上げてくる。
 まるで自分のことのように喜びを噛み締めていると、マルベリーさんが感慨深そうに言った。

『それもこれも全部、サチちゃんのおかげです。ずっと出られないと思っていたあの牢獄から出してくれたのは、他でもないあなたなんですよ』

「いや、私はそんなに大したことは……」

 マルベリーさんへの恩返しをするために、咎人の森から解放してあげたいと思った。
 それ自体は叶えることができたけど、なんだか自分の想像していた形とは少し違う気がする。
 結局色々な人の力を借りて成し遂げたから、あまり自分が助けたという実感はないんだよね。
 しかしマルベリーさんは、そうは思っていないようだ。

『サチちゃんは自分で語っていたことを実現させたんですよ。世界最強の魔術師になって、みんなを説得する。誰にも止められなかった魔獣侵攻を見事終わらせて、その実力を示すことができたから、みんなに信じてもらうことができたんです』

「……」

 世界最強の魔術師。
 今にして思うと、我ながら大それたことを言ってしまったものだ。
 定義も曖昧だし、それほどすごい魔術師になれたという感じもしないし。
 それでもみんなに実力を認めてもらえたのは確かで、そのおかげで私の言葉を信じてもらえた。

『世界で一番強い魔術師になれば、さすがにみんなも私の声を無視できなくなる。それできっと最強の魔術師の言うことなら間違いないって思ってくれるはずだよ』

 私は、あの時マルベリーさんに語った夢を、実現させることができたんだ。
 マルベリーさんは改まった様子で体の正面を向けてくる。
 瞬間、ぼんやりとマルベリーさんの姿がフクロウの背後に映って、その彼女が満面の笑みを浮かべた気がした。

『私のことを助けてくれて、本当にありがとうございます、サチちゃん。あなたは私の、世界でたった一人の自慢の弟子です』

「……えへへっ」

 改めてそんなことを言われるとさすがに恥ずかしいなぁ。
 でも、マルベリーさんの喜ぶ姿が見られてよかったと思う。
 次いで私は、照れ隠しをするようにあることを提案した。

「じゃあ後は咎人の森の結界が解けるまで待ってるだけだね。それまで町にいて、私たちと一緒にどっか遊びに行こうよ」

『いいえ、そろそろホゥホゥさんに体をお返ししなければなりませんから。もう随分と長いこと、この体をお借りしていますし』

「サチさんが無事に目を覚ますのを見届けたら、元の肉体に戻らせてもらうってずっと言ってたんですよ」

 なんだ、そうだったのか。
 まあ話に聞く限り、今はホゥホゥさんから肉体の主導権を譲ってもらっている状態らしいからね。
 確かに長居は無用だろう。ホゥホゥさんにも用事があるだろうし。
 そこで私は遅まきながら、ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。

「そういえばずっと聞きたかったんだけど、どうしてホゥホゥさんの体を借りてまで町に来てたの?」

『い、いやまあ、それはその……』

 マルベリーさんは恥ずかしがるように視線を泳がせる。
 その様子を見て、私は天啓を授かるかのごとく悟った。

「なになにー? もしかしてマルベリーさん寂しかったのぉ?」

『うっ……』

 図星、と言わんばかりの強張った表情。
 前にも似たようなやり取りがあったなと密かに思う。
 けど今はミルも見ていて、クスッと静かに微笑んでいた。
 ていうかマルベリーさんがわざわざ脱走を試みる理由なんて、それくらいしか思いつかないからね。
 するとマルベリーさんは拗ねたようにそっぽを向いた。

『夏休みに帰って来なかった親不孝なサチちゃんが、学園でどういう生活を送っているのか気になりましたので。星華祭の見学ついでに見に来たまでのことですよ』

「そ、それについては手紙で謝ったじゃん! 私も夏休みは色々と忙しかったんだよぉ」

 まあ、ようは授業参観ってことね。
 夏休みに帰省しなかったから、今の私の状況が気になって見学に来たと。
 魂だけって言っても、森から脱走する形になってどんな罰則を受けるかもわからないってのに、よくやるなぁ。

「えっ? ていうことは、マルベリーさんずっと私のこと見てたってこと?」

『授業風景などは見学できませんでしたけど、星華祭の開催には間に合いましたので。二日目の途中辺りから活躍を見させてもらっていましたよ』

「……見てたなら、声かけてくれたらよかったのに」

 恥ずかしいような嬉しいような、なんとも言えない気持ちになる。
 これが授業参観で親が見に来る感覚なのか。
 そんな話をしていると、不意に保健室の扉が開かれた。
 いったい誰が来たのだろうと目を向けると、そこには……

「おぉ、サチ。目ぇ覚ましたのか」

「あっ、ポム先生」

 一本に結んだ真っ赤な長髪と白衣が特徴的な、保健室の先生であるポム先生がいた。
 用事で出払っていると聞いたが、今帰って来たらしい。
 するとポム先生は、私の顔を見るや盛大なため息を吐き出した。

「ったくよ、町を救った英雄様がこんなとこで寝やがって、面白半分で見に来る連中が多くて追っ払うのも一苦労なんだぞ」

「な、なんかすみません」

 自分の知らないところで先生に迷惑をかけてしまっていたみたいで申し訳がない。
 まあ、ポム先生くらい迫力がある人なら、簡単に追い払えただろうけど。

「まあ、んなこと今はいいとして、一つ知らせを持って来てやったぞ」

「知らせ?」

 いったいなんだろうとミルとマルベリーさんも首を傾げる。
 どうやらポム先生はその知らせを受け取るために、外に出払っていたようだ。

「魔導師が幽閉されてるっていう森の結界、ついさっき正式に解かれたらしい。っつーことを、国家魔術師の連中が学園まで伝えに来たんだ。代わりに魔導師に言っといてくれってな」

「……」

 森の結界が、正式に解かれた。
 私は思わずマルベリーさんと顔を見合わせる。
 これでもう、マルベリーさんを縛り付けるものは何も無くなったということだ。
 マルベリーさんは、ようやくあの咎人の森から、外の世界に出ることができる。
 その嬉しさを噛み締めながら、私は自分の体を見下ろしてマルベリーさんに伝えた。

「ごめん、お出迎えはできそうにないや」

『いいですよ。安静にして待っていてください。それまでサチちゃんのこと、どうかよろしくお願いしますね、ミルちゃん』

「はい、任せてください!」

 本当なら今すぐにマルベリーさんのところに転移して、咎人の森から出るところを見届けてあげたかったけど。
 この疲れ切った体では仕方がない。
 私はゆっくりと、マルベリーさんのことを待つとしよう。

『それじゃあサチちゃん、私は帰りますね。それでまたすぐに、この町でお会いしましょう』

「……うん」

 少しの間の別れ。それが今はとても寂しく感じる。
 マルベリーさんも同じ気持ちなのか、名残惜しそうな顔でこちらを見つめていた。

「……ねえ、マルベリーさん」

『……?』

 そして私は、マルベリーさんの意識が帰ってしまう直前に……

 密かに気になっていたことを、今さらになって問いかけた。



――――



 ゆっくりと目を開けると、そこは見慣れた家の中だった。
 サチとの思い出が一杯に詰まった森の家。
 無事に元の肉体に戻れたことに、マルベリーは安堵する。
 自分の魂が不在の間、仮の魂に生活を任せていたが、そちらも問題はなかったようで体調は良好だった。
 先ほどまでの騒がしさから一転、唐突な静けさに包まれたため、マルベリーは寂しさを胸に抱く。

 それからやや遅れて、咎人の森の結界が解かれたのだと思い出した。
 マルベリーは思わず羽を動かすように腕を構えてしまうが、今はフクロウの姿ではなかったと恥ずかしさを味わう。
 久しく自分の足を動かして家を飛び出すと、そのまま森の出口に向けて一直線に走って行った。
 遭遇する魔獣たちを魔法で倒しながら、見慣れた森を一気に駆け抜ける。
 やがて辿り着いたのは、口を開けるように佇む木々に挟まれた森の出口。
 ここにはいつもなら、国家魔術師たちによって張られた不可視の結界がある。

「……」

 マルベリーは恐る恐る手を伸ばす。
 薄暗い森の中から、光が差す外の世界へ指先を伸ばす。
 すると、マルベリーの指先は何にも阻まれることなく、外の空気と暖かい日差しに触れることができた。
 結界が張られていた時は、森と外の境界でそれが作動して、軽く体を弾かれていたのに。

「本当に、結界が……」

 今度はゆっくりと足も出す。
 外の世界の地面をぐっと強く踏みしめる。
 そこでようやく、自分が自由の身になれたのだとマルベリーは自覚した。
 もう、森に囚われることはないんだ。
 人のいる町に立ち入ってもいいんだ。
 これ以上寂しい思いをすることも、もうなくなったんだ。
 それもこれもすべて、あの幸運の少女サチのおかげ。

『咎人の森から出られたら、まず最初に何がしたい?』

 元の肉体に帰って来る直前、サチから問いかけられたこと。
 その答えは、ずっと前から決まっていて、マルベリーは涙を流しながら呟いた。

「あなたに会って、力一杯抱きしめたいです……!」

 魔導師マルベリー・マルムラードは、転移魔法を使うことも忘れて……

 愛する家族が待つ町に向けて、懸命に走り出した。

 マルベリーさんが咎人の森から解放されて、早くも一週間が経過した。
 この短い間に、色々なことがあった。
 まず、捕まえていたミストラルの兵士たちの処罰が決まった。
 全員死罪は免れて、労役場での強制労働となったらしい。
 魔道具製作に慣れた者も多いため、主に魔道具製作の作業をすることになったそうだ。
 ミストラルでは害悪な魔道具を作っていたが、今度は善良なものを作らされるというのは皮肉が効いている。
 プラムもどうやら他の兵士たちと同じ処罰になるらしく、それを知ってようやくミルは気持ちを落ち着かせていた。

 組織の頭領のアリメントについても、別の労役場で厳重監視の中、特に重い強制労働を課したらしい。
 精神矯正のカウンセリングなども並行して行っていくとのことで、その経過いかんでは刑期も伸びてしまうらしい。
 自業自得と言えば自業自得ではある。
 魔法によって強制的に精神操作を受けなかっただけでもマシだと思ってもらおう。

 そしてミストラルの魔道具によって暴走していた者たちについて。
 魔道具解析が順調に進んだことで、暴走者たちの治療の目処も無事に立ったらしい。
 シャン・ギャランさんと襲撃隊にいたシャン派の魔術師たちも、じきに暴走状態から解放されるそうだ。

 あと、魔獣侵攻の阻止に貢献した国家魔術師たち全員に特別賞与が渡されたり……
 ヴェルジュさんが王位継承に向けて本格的に動き出したり……
 それによって政府や国家魔術師間で色々といざこざが起きたり……
 魔法至上主義を掲げる古い思想の魔術師たちとヴェルジュ派がぶつかったり……
 これから魔術国家の常識や体制が変わっていくような、そんな風が王国に吹いていた。



 一方、私たちはと言うと……
 いつもと変わらず魔術学園にて、勉学と訓練に励んでいた。
 魔獣侵攻の影響で防衛戦に参加した三年生たちも、すっかり元気を取り戻して学園はいつも通りの風が吹いている。
 次なる期末試験もそう遠くないので、私たちは今のうちから学園依頼や勉強を重ねて準備を進めていた。
 あんなことがあった後なのに、今は平和そのものでなんだか夢でも見ていたような気分だ。

 しかしあの出来事は夢ではない。
 私たちは反魔術結社ミストラルを倒した。
 そして魔獣侵攻による王都陥落を阻止し、町では一時英雄扱いまでされたほどだ。
 その証拠に今でも、学園のあちこちから視線を感じる。

「あれが、魔獣侵攻を食い止めた英雄サチ……」

「星華祭でも変な魔法使って活躍してたぞ」

「もし模擬戦して勝てたら、一生の自慢に……」

 そんな声もちらほらと聞こえたりする。
 平民だからと侮る視線は無くなったけれど、今度は逆に物騒な目が集まるようになってしまった。
 とまあ、学園内での身の回りの変化はそんな感じである。
 そして何よりも変化を感じることと言えば、学園外でいつでもマルベリーさんと会えるようになったことだ。

 マルベリーさんは現在、王都内にある宿泊施設で暮らしている。
 仮住まいとして使っているそこは、国家魔術師ならば超格安で泊まれる優待施設だ。
 多くの国家魔術師たちが利用している集合住宅のようなもの。
 魔法の研究などもそこで行うことができるみたいだけど、今は国家魔術師として復帰しただけで、今後の活動方針はのんびりと考えていくらしい。
 正直、突然自由の身になってしまったから、何をしていいかわからない状態だとマルベリーさんは困り顔で言っていた。

 そんなマルベリーさんとは、ここ最近毎日会っている。
 授業が終わればすぐに待ち合わせ場所の噴水広場に行き、晩御飯を一緒に食べるというのがすっかり恒例。
 そして今日もこれからマルベリーさんと晩御飯を食べに行く予定だ。
 ただ、今日はいつもと違う点がある。
 待ち合わせ場所に向かっている私の隣には、他に三人の女子生徒がいる。
 一人はミル。まあ彼女はよく私について来て、マルベリーさんと一緒に食事をしているからさほど珍しいわけではない。
 しかし残りの二人――マロンさんとポワールさんは、初めてこの食事に招待した。
 というわけで今は、放課後に四人で町を歩いている状況である。

「まさかサチ様からお食事に誘っていただけるなんて、とても嬉しいです」

「いやぁ、そういえばマロンさんの退院祝いとかしてなかったなぁって思ってさ」

「それを言うならサチさんの退院祝いも兼ねていますよ」

 そういえば私も三日くらいは保健室の世話になったのか。
 となればこれは、私とマロンさんの退院祝いということになるのかな?

「まあ今回は、二人に合わせたい人がいるっていうのも理由の一つだけど」

「「……?」」

 そんな話をしながら噴水広場に辿り着くと、そこには見慣れた黒髪の女性が待っていた。
 黒い三角帽子に黒いローブ。憧れすら抱いてしまう女性らしいシルエット。

「マルベリーさーん!」

「あっ、サチちゃん、お疲れ様です」

 もうマルベリーさんが町に来てから一週間経ったというのに、やはり顔を見ると思わず綻んでしまう。
 本当にマルベリーさんは自由の身になれたのだと。
 町にいることを住人のみんなに認めてもらえたのだと。
 私はマルベリーさんの元へ駆け寄ると、その勢いのままぎゅっと抱きついた。
 そして執拗にぐりぐりと胸元に顔を埋める。

「もう、相変わらず甘えん坊ですね、サチちゃんは」

「だから違うよマルベリーさん。これは甘えてるわけじゃなくて、マルベリーさん成分を注入してるだけなんだよ」

 なんて言い訳をすらすらと並べているけれど、まあ実際甘えてるだけなんですよね。
 だって仕方ないじゃん。学園に行ってる間は会えないんだし。
 それにこうして本来のマルベリーさんと町で一緒にいられるなんて、今までじゃ絶対に考えられなかったんだから。

「しばらくは恥ずかしさも気にせず注入させてもらうからね」

「そ、それはそれでこっちが恥ずかしいんですけど」

 と、さすがに友人たちの前でこの姿を晒すのは私もやや抵抗がある。
 顔が熱くなっているのを自覚しながらマルベリーさんから離れると、そのタイミングでマロンさんが後ろから問いかけてきた。

「あの、サチ様、そちらの女性は……?」

「あっ、ごめん、紹介するね。この人は私の師匠のマルベリーさん。最近町で噂になってる魔導師って言えばわかるかな」

「まあ、魔導師様ですか」

 やはり聞き覚えはあるらしく、マロンさんは納得したように頷いていた。

「今日は二人をマルベリーさんに会わせたくてご飯に誘ったんだよ。マロンさんは初めましてだと思うけど、ポワールさんはもう話したことあるよね」

「お久しぶりですね、ポワールちゃん」

「……」

 つい一週間と少し前に一緒に戦線を戦い抜いた名コンビ。
 その活躍のほども他の国家魔術師たちからたくさん聞いており、息の良さも充分に伝わっている。
 そんな二人を再会させたくて、私はポワールさんを今日この場に呼んだのだ。
 けれど、ポワールさんは眠そうな表情のまま、マルベリーさんの顔をぼんやりと見上げていた。

「……誰?」

「ふふっ、前はフクロウの姿だったので、忘れてしまいましたかね。私ですよ。魔獣侵攻の時に一緒に戦ったマルベリーです」

「……誰?」

「なんで先ほどと同じ質問なんですか!?」

 名前まで伝えたのに、ポワールさんは初耳だと言わんばかりの反応を示している。
 あの時はフクロウのホゥホゥさんの体を借りていたから、すぐに思い当たらないのもしょうがないかもしれないけど、まさか名前まで忘れてしまっているなんて。

「ほらっ、ナイトキャップの上から色々と魔法の詠唱式句を教えていたじゃないですか。ポワールちゃんもその時、『色んな魔法知っててすごいね』って褒めてくれましたよね」

「……? あの時、一緒に戦ってたのは、フクロウさんだよ」

「ですからあれが私だったんですってば!」

 なんだか和むやり取りである。
 それを微笑ましく見守っていると、マロンさんが得心したように頷いた。

「なるほど、お二人は一緒に戦ったご縁があったのですか。それでサチ様は、ポワールさんとマルベリー様を再会させたかったと」

「ちょうど色々な騒ぎとかも落ち着いてきた頃だし、マルベリーさんも改めてポワールさんに挨拶したいって言ってたからさ」

「あの、サチさん、それでお二人を再会させたかったのはわかりますけど、マロンさんとマルベリーさんまで会わせたかったのはどうしてですか?」

「えっ? そんなのはもちろん……」

 ミルの問いかけを受けて、私はマルベリーさんとマロンさんの袖を軽く摘まむ。
 そのまま二人が隣り合うように立たせると、綺麗に横に並んだ両者の“双丘”を見て、私は大きく頷いた。

「いやぁ、絶景かな絶景かな!」

「こんなことのためにマロンさんをお呼び出ししたんですか!?」

「う、うそうそ、冗談に決まってるじゃん」

 ミルが本気で信じていそうな反応を見せたため、私は咄嗟にかぶりを振る。
 確かに二人が隣り合う光景は見てみたいとは思っていたけど、それはあくまで個人的な理由。
 本当はマルベリーさんが、是非マロンさんとも話してみたいって言っていたからだ。

「星華祭ではたくさん活躍している姿を拝見させてもらいました。それと、度々うちのサチちゃんを気遣うように声を掛けてくれて、そのお礼を言いたくて」

「まあ、そうだったのですか」

 それと友達から見て、私がどういう風に映っているとか。
 何か迷惑をかけていないかとか。
 そういう点についてマロンさんに色々と話を聞きたかったらしい。
 確かに今のところミルからしかそういう話を聞けていないからね。
 そもそも交友関係の少ない私にとって、マロンさんは貴重な友人。
 その手の話を聞けるのなんて、ミルを除けばマロンさんくらいしかいないから。
 あとは私と仲良くしてくれてありがとうと伝えたかったのだという。
 ともあれ以上の理由からマロンさんとポワールさんを今回の食事に呼んでみたのだ。

「もちろん私と一緒にいるところを見られたくないとか、単純に気まずいとかありましたら私は退散しますので」

「いえいえ、是非マルベリー様とお話しをさせていただけたらと思います。サチ様との昔話など、とても気になることが多いので」

「なんでマルベリーさんそんなに卑屈なの?」

 もう魔導師を悪だと決めつけている人はほとんどいないんだから気にしなくていいのに。
 というわけで、珍しい五人組での食事会が始まった。

 場所は王都でもそれなりに知名度があるオシャレなレストラン。
 すでに席の予約は取っているため滞りなく入店できる。
 それからお店のおすすめと言われているメニューに舌鼓を打ちながら、私たちは話を盛り上がらせた。
 まさかこうしてマルベリーさんと学園の友達が一緒になっている光景を見られる日が来るなんて。
 改めて感慨深く思ってしまう。
 本当に私、夢を実現させることができたんだ。

「サチさんはこれからどうするんですか」

「……?」

 不意にミルが私に対して問いかけてくる。
 卓では今、将来のことについて話し合われていた。

「確かマルベリーさんを助けるために、国家魔術師を目指しているって言ってましたよね。その前に夢が叶ってしまったわけですから、これから具体的にどうするのかなぁと」

「もちろん、変わらず国家魔術師を目指すとするよ。で、今度こそ本当に“世界最強の魔術師”になる」

「世界最強?」

 ミルの言う通り、私は国家魔術師になる前に夢を叶えてしまった。
 けれどまだやりたいこと、やらなければならないことがある。

「まだマルベリーさんのことを怪しんでる人も少しはいるでしょ。本当に町を救った英雄なのかって。町から離れた小さな村とかじゃ、今でも魔導師は悪い存在だって御伽噺もあるくらいだし」

「まあ、町で実際にその活躍を聞いていない人たちは、簡単には信じてくれそうにありませんもんね」

「うん。だからそういう人たちを無くすために、私は術師序列一位の国家魔術師になる。それで私の師匠はマルベリーさんだってみんなに伝えるの。そうすればマルベリーさんが本当にすごい魔術師だってことを今度こそわかってもらえるでしょ」

「……」

 町に災いを呼び込んだ悪い魔導師。
 ではなく、術師序列一位の魔術師を育てあげた偉大な魔導師。
 という風に認識を変えてしまえば、今度こそマルベリーさんがいい人だってみんなにわかってもらえるはず。
 もちろんマルベリーさん自身がコツコツと色々な人たちを助けて、いい噂を広げるっていう手もあるけど。
 でもそれはあまりにも地道で、とてつもない時間が掛かることは簡単に想像できる。
 だから私が超有名になって、『師匠はマルベリーさんです!』と公言すれば、きっと一発でマルベリーさんのことを信じてもらえると思うんだよね。

「あとはまあ、国家魔術師になってお金をいっぱい稼いで、お世話になったマルベリーさんに恩返ししたいっていうのもあるけど」

「どこまでもマルベリーさんのためなんですね」

 それについてミルは呆れることなく、にこやかな笑みを浮かべてくれた。
 当のマルベリーさんもなんだか嬉しそうに笑っていて、ミルから言葉を繋ぐように言う。

「それに術師序列一位を目指すなんて、またとんでもなく難しいことをさらっと……。でも、サチちゃんならできてしまいそうな気がします」

「でしょでしょ! 期待して待っててよ!」

 そういえば世界最強の国家魔術師を目指すと宣言した時も、似たようなやり取りをした覚えがある。
 そんなこんなで将来の話については終わり、ちょうど卓上の料理もあらかた片付いてきた。
 そろそろお暇しようかという空気になった頃、私は思い出したようにマルベリーさんに言う。

「あっ、そうだマルベリーさん」

「……なんでしょうか?」

「明日とかって、また同じ時間に会えたりする?」

 マルベリーさんは嬉しそうに頷く。

「もちろんですよ。今は特にやることもありませんし。またお食事ですか?」

「う、ううん。そうじゃなくて、明日は学園まで来てほしいんだ」

「えっ、魔術学園に?」

 マルベリーさんは最初、不思議に思うように首を傾げたが、すぐに『わかりました』と了承してくれた。
 理由まで言うつもりだったけど、それを問いかけてくることもなかったため、明日の楽しみにしておこうと私は思った。



 翌日。
 放課後になり、マルベリーさんを校門まで迎えに行った。
 それから学園の景色を懐かしむマルベリーさんと一緒に、西側の特別棟の四階を目指す。
 そう、もうすっかり見慣れたその場所には……

「おっ、来たかサチ・マルムラード。ちゃんとマルベリー・マルムラードも一緒じゃな」

「が、学園長さん?」

 アナナス学園長さんがいる学園長室がある。
 今日はここで学園長さんも交えてある話をするために、マルベリーさんを呼んだのだ。
 待ち構えていた学園長さんを前に、マルベリーさんは戸惑いを見せていたが、単刀直入に話を始めさせてもらう。

「マルベリーさん、この学園の先生になってみない?」

「……へっ?」

 黒目をパチパチと瞬かせる。
 まあ当然の反応である。
 いきなり先生をやらないかどうか聞かれるなんて思ってもいなかっただろうから。

「は、話の流れが、あまりよく見えてこないのですが……」

「ミストラルの計画を阻止するにあたって、サチ・マルムラードには幾度も助けられた。その礼として学園長のワシが望みを一つ聞いてやると約束しておったんじゃ」

「で、マルベリーさんを学園の先生にしてあげてほしいってお願いしてたんだ」

「な、なんで、そんなお願いを……?」

 マルベリーさんが疑問符を浮かべ続けるのも無理はない。
 でも私はどうしても、マルベリーさんに学園の先生をやってもらいたかった。

「マルベリーさんは私の師匠で、魔法を教えるのが上手だって知ってるし、マルベリーさんも今は何をやろうか迷ってるって言ってたでしょ」

「確かに、今後の活動についてはまったくの未定ですけど……」

「魔術学園の先生なら、すごく待遇もいいみたいだし、魔導師の悪印象も少しは拭えるんじゃないかなって思ってさ。それに何より……これからは学園でも会えるようになるから!」

「……」

 そう、これはただの私のわがままだ。
 突然自由の身になって、これからどうしようか困っているマルベリーさん。
 そんな彼女に道を示してあげたい、なんて大それた理由などではなく、単純に学園でも一緒にいたいから。
 ちょうど学園長さんにも望みを一つ聞いてもらえることになっていたし、これが一番いい使い方だと思った。

「学園でも内通者だった者が抜けた穴があるので、新しい人材を国家魔術師の中から選抜しようと思っておったのじゃ。何よりあのサチの頼みであるからな、学園ではすでにマルベリーを採用できる手筈が整っておる。まあ最初は教育実習から始めてもらうことになるが」

「私が、魔術学園の先生に……」

 呆然としているマルベリーさんに対し、私は申し訳ない気持ちで言う。

「もちろんこれは私のわがままだから、無理にとは言わないよ。マルベリーさんが人目に慣れてないのは知ってるし、他にやりたいこととか見つかってるなら全然そっちを優先してもらってもいいから。ただ、選択肢の一つとして考えてもらえたらなって思って……」

「……」

 突然の話だから、さすがにすぐには決められるはずもない。
 だから一度持ち帰ってもらうつもりで、私はそう提案したんだけど……

「……私も、サチちゃんのことを、いつでも守ってあげられますもんね」

「えっ?」

 マルベリーさんは、学園長さんの方に目を向けて、にこやかな笑みを浮かべた。

「私なんかでよろしければ、是非この学園で先生をやらせてください」

「……」

 私は衝動に任せて、大好きなマルベリーさんにぎゅっと抱きついた。
 こうしてマルベリーさんは、咎人の森から解放されて、魔術学園で先生をやることになった。
 そして私はこれから、大好きなマルベリーさんや友達に囲まれて、学園生活を送ることになる。
 こんなにも幸せな瞬間が訪れるなんて思ってもみなかった。

『マルベリーさんも一緒に入学してくれたらなぁ』

 マルベリーさんに魔術学園の入学を勧められた日のこと。
 私は冗談のつもりでこんなことを言ったけど、まさかそれすらもこうして実現できるなんて。
 やっぱり私は、とんでもない幸せ者なんだ。
 この幸せを私だけが味わって本当にいいのかな。
 ううん、それはあまりにももったいない。
 幸運は誰のもとにも平等に訪れるべきものだし、やっぱりみんなが幸せの方が私だってより幸せな気持ちになれる。
 だから……



 どうかみんなのもとにも、こんな幸運が訪れますように。



幸運値999の私、【即死魔法】が絶対に成功するので世界最強です おわり

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