山査子の花が咲いた。
風が湿気を含み始めた5月の末。もうじき梅雨がやってくる、そんな頃だった。

“縁側に腰掛けて、暖かい陽射しを浴びながら眺めたいね”

そう言って殺風景な庭に植えられた木は今、白く可愛らしい花を咲かせ甘い香りを漂わせている。



…あんなに楽しみにしていたのに。
花を眺めたいと言った本人はもういない。
もう会えない。
二度と。二度とだ。
込み上げてくる感情を必死に押し殺す。反動のように庭先におりて乱暴に一枝を掴んだ。
「っつ…」
痛みに驚いて手のひらを見れば赤い玉がぷっくりと現れた。自分の無力さを突きつけられたようで、悔しさと苛立ちが募る。泣きたくなんてないのに。涙がこぼれそうになって上を向くとキラリと何かが光った。



枝に掛けられたそれは小さな瓶だった。中には白い紙が入っている。こんなことをするのはひとりしかいない。
逸る気持ちを抑えて瓶の蓋に手を添える。落ち着けと心は言っているのに体は言うことを聞かない。手が震えて上手く開けられない。焦りがそれを助長する。
やっと開いた蓋を置き、中の紙を取り出し広げた。

「この木は僕そのものです」

たったひと言。それだけが書かれていた。それだけで言いたいことがわかった。握った紙に滲みが広がる。泣いていた。あんなに堪えていたはずなのに止まらなかった。ぽたぽたと次から次に滴が落ちていく。
浮かぶのは君が教えてくれた山査子の花言葉。

『ただひとつの恋』

君はただひとつの恋をわたしにくれたのだ。