──理事長室を後にした理人と千明。


 千明は、理人に握られている自分の手を見つめて思うのだった。


 私が、こんな爽やかイケメンに手を握られているなんて、夢みたい。あぁ……、夢ならどうかこのまま覚めないで! 


 そう思ったのも束の間──、


 理人は急に立ち止まった。
 

 あまりにも突然だったので、千明は理人の背中にぶつかった。
 

 慌てて千明が謝る。理人は不機嫌そうな顔で振り返り、舌打ちしながら彼女を睨みつける。


 「ごめんなさい。いきなりだったから止まれなくて……」


 舌打ちとか感じ悪いわぁ。ぶつかったぐらいでそんな怒らなくたっていいのに。さっきまでの爽やかさは何処へ⁉︎


 「はぁ? ごめんなさい? お前、誰に向かって口きいてんだよ」


 理人が千明に顔を近づけ、問い詰める。


 「えっ、近い近い! 理人くん、どうしちゃったの? さっきまでと全然違うんだけど……」


 困惑した表情を浮かべる千明に理人が話し出す。


 「お前、マジで自分の立場を分かってねぇみたいだな。お前は俺の奴隷になったんだぞ! 主人に口答えしてんじゃねぇよ。そして、馴れ馴れしく『理人くん』とか呼んでんじゃねぇよ」


 「いや、待って! 好きであなたの奴隷になったわけじゃないし。それから、『理人くん』って呼んじゃダメなら、なんて呼べばいいのよ?」


 理人の発言に苛立ち、千明も負けじと言い返す。


 「俺だって、お前みたいなバカ女が奴隷だと思うと、先が思いやられるよ。これから『理人様』と呼べ」


 こんな最低男の奴隷なんて、あり得ない! そして、こんな奴にときめいたなんて一生の恥だわ。


 千明は自分の手首のブレスレットを外そうとするが、なかなか外せない。


 それを見た理人が、クスッと笑いながら言う。


 「お前、何してんの?」


 「頭いいんだから、見れば分かるでしょ? あんたの奴隷をやめようとしてるんだよ。あー、もう! 何で外れないのよ⁉︎」


 理人が嘲笑いながら言う。


 「俺が外してやろうか?」


 千明は、理人の言動に苛々を募らせてムキになる。


 「あなたの助けなんて必要ないわよ」


 と言って、必死にブレスレットを外そうとする。


 「可愛くねぇな。──それ外して、俺の奴隷じゃなくなったら、お前の親は支払い大変だろうなぁ」


 理人が腕を組みながら廊下の壁に寄りかかり、千明を見つめる。


 学費……。いくらか知らないけど、きっととんでもない額だ。……そんなの支払えるわけないよ。転入して早々に退学できるわけもないし。何より、お父さんとお母さんを悲しませたくない──。


 千明は手を止め、理人を見つめる。


 理人がゆっくり手を差し出す。


 その手を握ろうと、千明が手を伸ばした時──、


 「おて」


 と、理人が言いながら手のひらを上に向ける。


 「えっ! 握手じゃないの⁉︎」


 驚いた千明が思わず叫ぶ。


 「はぁ? なんでこの俺が、わざわざお前なんかと握手しなきゃいけねぇんだよ。服従の証の『おて』に決まってんだろ」


 本物のクズだ。暴君、鬼畜、人でなし、悪魔め! おてなんて誰がするか! いや、でも支払いが……。


 過労で今にも倒れそうな両親の姿が千明の脳裏に浮かぶ。


 千明は決心したように理人を見つめ、彼の掌の上にギュッと握った拳をなせた。


 理人は、とびっきりの笑顔で千明の頭を撫でて言う。


 「よくできました」


 笑顔と、不意に頭を撫でられたことで再びときめいてしまった。


 いやいや、ときめいてる場合じゃない。これは、お父さんとお母さんのために契約しただけなんだから。
 

 2人のその光景を、誰かが物陰からジッと見つめていた。しかし、この時2人はそんなことに気がつきもしなかった──。