──翌日の朝、千明は暁人のことを思い出しながら、校舎に向かって歩いていた。


　昨日は、暁人くんが来てくれて助かった。ちゃんとお礼できなかったし、今度会ったらお礼したいなぁ。名前と同じ学年ってことしか知らないけど……、そのうち会えるかな。


　千明がそんなことを考えていると、突然──、背後から黄色い声が聞こえた。


　あまりの歓声に驚く千明。思わず振り向くと、そこには大勢の女子に囲まれる理人の姿があったら。


　理人だ！　やっと会えた。挨拶に行くべきかな⁉︎　でも、あんなに女子が居たら近寄れない……。また後で挨拶すれば良いか。


　千明が校舎の方に向きをかえようとした時、偶然にも理人と目が合ってしまった。そして、思わず目を逸らし、急いで校舎の中へ入る千明。


　うわ、やば！　目が合っちゃったよ。もしかしたら向こうは視力が悪くて、私って認識してないかも。今日はまだ会ってないし、目も合ってないない、ということにしておこう。


　千明は、興奮気味の自分を落ち着かせるように小さな声で呟く。


　「大丈夫、大丈夫」


　すると、横から声が聞こえてきた。


　「一体、何が大丈夫なんだ？」


　驚いた千明が勢いよく横を見ると、そこには理人が居た。腕を組みながら壁に寄りかかり、不機嫌そうにこちらを見る。


　千明は、冷静を取り繕うようにして話す。


　「なっ、なんでもないよ！　それより久しぶりだね。元気だった？」


　そう話しながら、少し後退りをする。


　理人が腕を組んだまま、どんどん千明に近づいてくる。


　「ふ〜ん。お前、さっき俺と目が合ったのに無視しただろ？　久々にご主人様が来たのに無視とは……。なかなか良い度胸してんじゃねーか」


　千明は更に後退りをする。そして遂に、廊下の壁に背中がピッタリくっついてしまった。


　「えっ、何のこと？　誰かと見間違えたんじゃない？　あんなにいっぱい女子が居たら私と似てる子の１人や２人居てもおかしく……、あっ……」


　しくじったような顔をする千明を見て、理人がニヤッと笑う。そして、組んでいた腕をゆっくり解き、左手を千明の顔近くの壁に押し当てた。更に右の人差し指では、千明の長い髪を弄ぶかのように毛先をクルクル巻く。


　顔を真っ赤にして目をギュッとつぶる千明を見ながら、理人は拷問を続ける。


　「おかしいなぁ。俺が女子に囲まれてたなんて、見てないと分からないだろ。あの場に居なかったお前が知るはずない。どういうことなんだろうか？」


　もう逃れられないと思った千明は、真実を話すことを決心して目を開けた。その時──


　「橘さん！」


　突然、横から千明を呼ぶ声が聞こえた。千明と理人が声の聞こえた方に顔を向けると、そこには暁人が心配そうに千明を見つめている。


　「暁人くん！」


　そう言うと、千明は理人を突き飛ばし、暁人の元へ走って行った。


　「……大丈夫？」


　暁人はそう言いながら、千明の肩にそっと手を置く。それを見た理人が、また不機嫌そうな表情をみせる。


　そんなことに全く気づいていない千明は、暁人を見つめてお礼を言うのだった。そして、理人の方を振り向いて言う。


　「私、これから暁人くんと大事な話があるから！　行こう、暁人くん」


　千明は暁人の手を引き、理人から逃げるようにその場を立ち去った。


　立ち去る２人を見て理人が呟く。


　「あいつ……、一体何を……」


　──千明と暁人は、あまり人目のつかない花園にやってきた。


　「あの……、橘さん。ここまで来れば、大丈夫じゃないかな？」


　暁人が、おどおどしながら言う。


　それを聞いた千明が、慌てて暁人の手を離して言う。


　「ごっ……、ごめん。さっき、すごいピンチだったから助かったよ。また今日も助けられちゃったね。昨日は、ちゃんとお礼もできなかったから、気にしてたんだ。だから、暁人くんにまた会えて良かった」



　満面の笑みで話す千明を見て、暁人は頬を赤らめながらうつむく。


　「暁人くん、こっち向いて！」


　千明が真っ直ぐ暁人を見つめて言う。


　暁人はゆっくり顔を上げ、千明を見つめる。すると、千明がニッコリ笑って言う。


　「暁人くんは笑ってた方がいいよ！　この前、微笑んでくれた時にドキッとしたもん！　前髪切ったら、爽やかになって更に良いかも」


　暁人の頬がさらに赤くなる。恥ずかしさのあまり、またうつむきそうになるが、グッと堪えて千明の顔を見ながら言う。


　「……君だけだから」


　しかし、急に強い風が吹いて、暁人の声が千明にはうまく届かない。


　「ごめん、今、何て言ったの？」


　千明が暁人に近づいて聞き返す。


　暁人が真剣な顔をして、千明の耳元で囁く。


　「橘さん、僕の奴隷にならない？」


　「──⁉︎」


　千明は驚いて、暁人を見つめながら少し距離をとる。彼から目を逸らし、黙り込む千明に対して暁人が話を続ける。


　「僕は、橘さんがイジメられたり、さっきみたいに理人くんに弄ばれたりするのを見たくないんだ。橘さんには、穏やかに笑っていてほしい……。理人くんの奴隷をやめれば、もう女子から嫉妬されないで済むと思う。──僕は君を困らせたり、傷つけたりしない」


　暁人の表情や声のメリハリが、これまでと全く違う。おどおどした感じもなくなり、堂々と男らしい。千明はしばらく考えて、ゆっくり口を開く。


　「ありがとう……。そんなに私のことを心配してくれていたんだね。暁人くんって、本当に優しいね。もう少し考えさせてもらってもいいかな？」


　千明も真剣な表情で答える。


　「うん……。そろそろ授業が始まるね。帰ろうか」


　暁人が自分の腕時計を見て、そう話す。その後、２人は沈黙のまま教室に向かって歩き出した。