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私は動画SNSのアカウントをつくったときに東雲くんに飲ませた条件は三つだった。
ひとつ。顔出しNG。ただでさえ私は、人前でしゃべるのは苦手だ。東雲くんとなんとかしゃべれているのは、彼が聞き上手な上に、私がたどたどしくしゃべっても、急かさないでくれているから会話が成立しているのだ。緊張するとなったら、歌うどころかしゃべれなくなるために、そこだけは絶対順守してもらった。
ひとつ。選曲は私に選ばせて欲しい。もちろん東雲くんが「これ歌って」と言ってきた中で歌える曲だったら歌うけれど、さすがに私も早口が過ぎて呂律が回らなくなるような曲は歌えないし、高低の差が激し過ぎる歌も歌えない。やけに東雲くんがおだててくれているけれど、全部の曲は歌えないとだけは伝えた。
そして最後のひとつだけれど。
曲を録音して投稿するのは東雲くんに頼むけれど、私は彼と一緒には歌えないとだけは伝えておいた。長年培ってきた上がり症を舐めないで欲しい。人の気配があるだけで肩に力が入り過ぎて、全然声が出なくなってカスッカスの音しか出なくなるから。
私が条件を取り付けた際に、それらを通信アプリで全部読んだ東雲くんは、ポンポンスタンプを送ってきていた。どうもスマホの向こうで大笑いをしているらしい。
【りょうかーい。本当に面白いな、山下は】
【笑いごとではないんだけど、私にとっては切実】
【じゃあ動画をアップする際は、背景使おうか。魚眼レンズっぽい画像加工できるアプリを使えば、近所の写真もそれっぽくなると思う】
そう言いながら東雲くんが送ってきたのは、加工アプリでたしかに魚眼レンズっぽく見えるし、近所の公園のハナミズキの写真も、なんとなくMVみたいでおしゃれだ。
【すごいね。洒落てる】
【こういうのは得意だから。なら最初の曲考えようか。それに合わせてこっちも写真を撮るから】
まるでノートを取る際にどのペンを使うかとか、友達と交換する友チョコにどんなラッピングをするかとか、曲と写真の組み合わせを考えるのはすごく楽しかった。
結局最初に歌う曲は、私がうっかりと注文の際に聞かれてしまった私の練習曲で、アップテンポなアニメソングだった。
録音は東雲くんがバイトの際にデジカメを渡すから、それで録音することになった。スマホで録画もできるけれど、スマホの電源が切れてしまったら意味がないから、らしい。
別に私が映る訳ではないけれど、次にひとりカラオケに行く際は、いつものシャツにデニムという普段着過ぎるものから、もうちょっとだけ可愛いものを探して着てみることにした。
「……私と東雲くん、カラオケ屋以外に接点がないもんなあ」
東雲くんとはアプリを挟んでやり取りをしているからなんとかなっているのであって、アプリなしで直接話すのはできない。
おまけに学校では互いに秘密を黙っておこうということで、特に親しくしゃべってもいないのだから。
結局選んだのはチュニックに八分丈の白いパンツで、いつもよりもちょっとおしゃれくらいのものだった。
知り合いがいないのを見計らってからカラオケ屋に入ると、東雲くんが手を振って待っていた。
前はバイト服を着ていたけれど、今日はスポーツ用品店のロゴの入ったパーカーにデニムというスポーティーな格好をしていたのは、なんだか新鮮だった。
「いらっしゃい! 今日はバイト休みだから!」
「……こ、んにちは。でも、家にバイト代入れないと駄目なのに……いいの?」
「稼がせてもらうからさ。ちなみに今はフリータイム品切れになったんだけど、どうする?」
「えっと……」
正直、一発撮りで大丈夫とは思うけれど、不安だから二時間取っておいた。ふたり分二時間で部屋を取ってから、ドリンクを注文する。
そして東雲くんはポンとスマホでの録音の説明をした。
「それじゃあ、歌歌ってる間、俺はドリンクバーに行ってくるから。その間に録音な。ここを押したら録音できるから、終わったらここ押して。あとは家に帰って動画加工してから、SNSに上げるから。上げたら、アプリで連絡する」
「う、うん……よろしく、お願いします」
「頑張れよー」
そう言い残して、東雲くんはドリンクバーに飲み物を汲みに行ってくれた。
私が取り付けた約束を守ってくれているのにほっとしながら、私は曲でふたりで決めたアニメソングを入れ、それを流す。
アニメの本放送だけでなく、何度も音楽番組で流れたから、誰でも知っている歌だ。でも、高低の差が激しく、上手く歌うにはテクニックが必要。ただ、上手く歌えるとひどく気持ちいい。
マイクの電源を入れたと同時に、曲のイントロがはじまった。
私は東雲くんのスマホの録音アプリの電源を入れてから、一気に歌いはじめた。歌っている間は、ただ全身が楽器になった錯覚に陥り、どうしたらより声が伸びるのか、どうしたらもっと楽しく歌えるのか以外が、頭からすっかりと消え去る。
一曲歌え終えたあと、私はほう……とひと息ついてから、スマホのボタンを押した。これで大丈夫なのかな。
私はそうドキマギしながら、次の曲をどうしようと悩んでいると「お待たせしましたー」と声がしてドアが開いたので、私は「ひいっ」とビクついた。私が震えているのに東雲くんは苦笑する。
「ドリンク取りに行ってただけだろう? そこまで怖がるなって」
「ご、ごめんなさ……」
「いや怒ってないけどさ。で、曲は録音できた? これ聞いていい?」
「う、うん……」
私はなにを言われるんだろうと、ビクビク震えながら見守っていた。音はかなりクリアに撮れていて、伴奏もばっちりだ。その曲を聞きながら、東雲くんは指を唇に当ててじっと聞き入っている。その指の爪先に、私は思わずドキリとした。
男の子の爪はもっと分厚くって飾り気なしかと思っていたけれど、東雲くんは爪先まで磨き抜かれている。人気者グループの人は皆こういうものなんだろうか。
私が密やかに感心している中、東雲くんは「はあ~……」と息を吐いたのに、私はまたしても肩を跳ねさせる。
大したことなかったって言われたらどうしよう。私、ただ本当に、歌を歌うのが好きなだけで……。ひとりでグルングルンとネガティブなことばかり頭に浮かんでは消えを繰り返していると、東雲くんはポツンと言った。
「山下。お前ほんっとにすごいな?」
「……へえ?」
「この曲。誰でも知ってるポピュラーな曲だから、最初にこの曲選んでおけばとりあえず聞いてもらえるだろう程度に思ってたけど。これは誰でも聞くだろ。無茶苦茶上手いじゃん」
「え……えっと……」
「前に通り過ぎたときは、ちょっとしか聞けなかったけど。はあ~、全部通しで聞いたらほんっとにマジで上手いな、すごいなあ、山下」
前にも増して褒めちぎってくるのに、私の全身はカチコチになる。
……これは、調子に乗ってもいいところなんだろうか。これくらい誰でも歌えると思って黙っておくべきなんだろうか。ここはむしろ、ありがとうと言うべきところなんじゃないか。
なんとか口をもごもごさせて、東雲くんに言おうとするけれど、上手く言葉が出てこない。でもそんな私を、東雲くんはじっと待ってくれた。
「落ち着けって。なにも取って食ったりしないから」
「ご、ごめ……」
「悪くもないのに謝るのもなし!」
「…………っ」
「もしかしなくっても、木下。褒められ慣れてないのか?」
それに、私は思わず頷いた。
元々取り柄がないと思っている。人前に立ったらすぐに上がってしまい、大抵のことは失敗してしまうし、歌だってひとりでなかったら歌えない。当然音楽の授業で歌を歌うテストのときだって、緊張のあまりに歌詞も曲も抜け落ちてしまって赤っ恥を掻くことのほうが多くて、歌うのが好きなんて家族以外には言っていない。
東雲くんは「ふーん」と腕を組んだ。
「もったいない。とりあえず、今日アカウントに曲上げるから、もしなんかあったらいつでも言ってくれな?」
「あ、うん」
こうして動画SNSに東雲くんが曲を上げてくれることになったんだ。
私は動画SNSのアカウントをつくったときに東雲くんに飲ませた条件は三つだった。
ひとつ。顔出しNG。ただでさえ私は、人前でしゃべるのは苦手だ。東雲くんとなんとかしゃべれているのは、彼が聞き上手な上に、私がたどたどしくしゃべっても、急かさないでくれているから会話が成立しているのだ。緊張するとなったら、歌うどころかしゃべれなくなるために、そこだけは絶対順守してもらった。
ひとつ。選曲は私に選ばせて欲しい。もちろん東雲くんが「これ歌って」と言ってきた中で歌える曲だったら歌うけれど、さすがに私も早口が過ぎて呂律が回らなくなるような曲は歌えないし、高低の差が激し過ぎる歌も歌えない。やけに東雲くんがおだててくれているけれど、全部の曲は歌えないとだけは伝えた。
そして最後のひとつだけれど。
曲を録音して投稿するのは東雲くんに頼むけれど、私は彼と一緒には歌えないとだけは伝えておいた。長年培ってきた上がり症を舐めないで欲しい。人の気配があるだけで肩に力が入り過ぎて、全然声が出なくなってカスッカスの音しか出なくなるから。
私が条件を取り付けた際に、それらを通信アプリで全部読んだ東雲くんは、ポンポンスタンプを送ってきていた。どうもスマホの向こうで大笑いをしているらしい。
【りょうかーい。本当に面白いな、山下は】
【笑いごとではないんだけど、私にとっては切実】
【じゃあ動画をアップする際は、背景使おうか。魚眼レンズっぽい画像加工できるアプリを使えば、近所の写真もそれっぽくなると思う】
そう言いながら東雲くんが送ってきたのは、加工アプリでたしかに魚眼レンズっぽく見えるし、近所の公園のハナミズキの写真も、なんとなくMVみたいでおしゃれだ。
【すごいね。洒落てる】
【こういうのは得意だから。なら最初の曲考えようか。それに合わせてこっちも写真を撮るから】
まるでノートを取る際にどのペンを使うかとか、友達と交換する友チョコにどんなラッピングをするかとか、曲と写真の組み合わせを考えるのはすごく楽しかった。
結局最初に歌う曲は、私がうっかりと注文の際に聞かれてしまった私の練習曲で、アップテンポなアニメソングだった。
録音は東雲くんがバイトの際にデジカメを渡すから、それで録音することになった。スマホで録画もできるけれど、スマホの電源が切れてしまったら意味がないから、らしい。
別に私が映る訳ではないけれど、次にひとりカラオケに行く際は、いつものシャツにデニムという普段着過ぎるものから、もうちょっとだけ可愛いものを探して着てみることにした。
「……私と東雲くん、カラオケ屋以外に接点がないもんなあ」
東雲くんとはアプリを挟んでやり取りをしているからなんとかなっているのであって、アプリなしで直接話すのはできない。
おまけに学校では互いに秘密を黙っておこうということで、特に親しくしゃべってもいないのだから。
結局選んだのはチュニックに八分丈の白いパンツで、いつもよりもちょっとおしゃれくらいのものだった。
知り合いがいないのを見計らってからカラオケ屋に入ると、東雲くんが手を振って待っていた。
前はバイト服を着ていたけれど、今日はスポーツ用品店のロゴの入ったパーカーにデニムというスポーティーな格好をしていたのは、なんだか新鮮だった。
「いらっしゃい! 今日はバイト休みだから!」
「……こ、んにちは。でも、家にバイト代入れないと駄目なのに……いいの?」
「稼がせてもらうからさ。ちなみに今はフリータイム品切れになったんだけど、どうする?」
「えっと……」
正直、一発撮りで大丈夫とは思うけれど、不安だから二時間取っておいた。ふたり分二時間で部屋を取ってから、ドリンクを注文する。
そして東雲くんはポンとスマホでの録音の説明をした。
「それじゃあ、歌歌ってる間、俺はドリンクバーに行ってくるから。その間に録音な。ここを押したら録音できるから、終わったらここ押して。あとは家に帰って動画加工してから、SNSに上げるから。上げたら、アプリで連絡する」
「う、うん……よろしく、お願いします」
「頑張れよー」
そう言い残して、東雲くんはドリンクバーに飲み物を汲みに行ってくれた。
私が取り付けた約束を守ってくれているのにほっとしながら、私は曲でふたりで決めたアニメソングを入れ、それを流す。
アニメの本放送だけでなく、何度も音楽番組で流れたから、誰でも知っている歌だ。でも、高低の差が激しく、上手く歌うにはテクニックが必要。ただ、上手く歌えるとひどく気持ちいい。
マイクの電源を入れたと同時に、曲のイントロがはじまった。
私は東雲くんのスマホの録音アプリの電源を入れてから、一気に歌いはじめた。歌っている間は、ただ全身が楽器になった錯覚に陥り、どうしたらより声が伸びるのか、どうしたらもっと楽しく歌えるのか以外が、頭からすっかりと消え去る。
一曲歌え終えたあと、私はほう……とひと息ついてから、スマホのボタンを押した。これで大丈夫なのかな。
私はそうドキマギしながら、次の曲をどうしようと悩んでいると「お待たせしましたー」と声がしてドアが開いたので、私は「ひいっ」とビクついた。私が震えているのに東雲くんは苦笑する。
「ドリンク取りに行ってただけだろう? そこまで怖がるなって」
「ご、ごめんなさ……」
「いや怒ってないけどさ。で、曲は録音できた? これ聞いていい?」
「う、うん……」
私はなにを言われるんだろうと、ビクビク震えながら見守っていた。音はかなりクリアに撮れていて、伴奏もばっちりだ。その曲を聞きながら、東雲くんは指を唇に当ててじっと聞き入っている。その指の爪先に、私は思わずドキリとした。
男の子の爪はもっと分厚くって飾り気なしかと思っていたけれど、東雲くんは爪先まで磨き抜かれている。人気者グループの人は皆こういうものなんだろうか。
私が密やかに感心している中、東雲くんは「はあ~……」と息を吐いたのに、私はまたしても肩を跳ねさせる。
大したことなかったって言われたらどうしよう。私、ただ本当に、歌を歌うのが好きなだけで……。ひとりでグルングルンとネガティブなことばかり頭に浮かんでは消えを繰り返していると、東雲くんはポツンと言った。
「山下。お前ほんっとにすごいな?」
「……へえ?」
「この曲。誰でも知ってるポピュラーな曲だから、最初にこの曲選んでおけばとりあえず聞いてもらえるだろう程度に思ってたけど。これは誰でも聞くだろ。無茶苦茶上手いじゃん」
「え……えっと……」
「前に通り過ぎたときは、ちょっとしか聞けなかったけど。はあ~、全部通しで聞いたらほんっとにマジで上手いな、すごいなあ、山下」
前にも増して褒めちぎってくるのに、私の全身はカチコチになる。
……これは、調子に乗ってもいいところなんだろうか。これくらい誰でも歌えると思って黙っておくべきなんだろうか。ここはむしろ、ありがとうと言うべきところなんじゃないか。
なんとか口をもごもごさせて、東雲くんに言おうとするけれど、上手く言葉が出てこない。でもそんな私を、東雲くんはじっと待ってくれた。
「落ち着けって。なにも取って食ったりしないから」
「ご、ごめ……」
「悪くもないのに謝るのもなし!」
「…………っ」
「もしかしなくっても、木下。褒められ慣れてないのか?」
それに、私は思わず頷いた。
元々取り柄がないと思っている。人前に立ったらすぐに上がってしまい、大抵のことは失敗してしまうし、歌だってひとりでなかったら歌えない。当然音楽の授業で歌を歌うテストのときだって、緊張のあまりに歌詞も曲も抜け落ちてしまって赤っ恥を掻くことのほうが多くて、歌うのが好きなんて家族以外には言っていない。
東雲くんは「ふーん」と腕を組んだ。
「もったいない。とりあえず、今日アカウントに曲上げるから、もしなんかあったらいつでも言ってくれな?」
「あ、うん」
こうして動画SNSに東雲くんが曲を上げてくれることになったんだ。