「山下さん、今日暇? 今から皆でカラオケに行くんだけれど」

 近付いてきた人気者グループの御坂さんからは、フワンといい匂いがした。化粧の独特の匂いだけでなく、フルーツ系のフレグランスが香っているんだ。私はそれに「あ……」「う……」とどうにか言葉を探し出す。
 悪い子ではないと思うし、むしろいい子なんだと思うけれど。彼女と同じグループの人たちが怖くて、私はなかなかそのグループに近付けないでいる。

「ご、めん……いい……」
「そっかあ。じゃあ今度気が向いたら一緒に行こうね」
「う、ん……」

 どうにか絞り出せた声は、緊張で尻すぼみな音がした。
 廊下では賑やかなグループの声が響いている。

「山下さん誘ったの? というよりあの子がオッケー出したの見たことないのに、懲りないねえ」
「だっていっつもひとりで可哀想じゃん」
「そういうのよくないよ。いい子ちゃんっぽくって」

 そう言われてしまい、しゅんとした。
 いっつもこうなんだ。私は人前に立ったら、途端に緊張してしゃべれないし、頭が真っ白になって言葉が出なくなってしまう。人見知りとか緊張し過ぎとかいろいろあるんだろうけれど、とにかく思っていることを口に出せないせいで、最終的には「変な子」扱いされて浮いてしまっていた。
 それでも中学までは知り合いがいたから、なんとかグループに入ることができたけれど。高校に進学したら、校区や偏差値の関係で知り合いなんてひとりもいなかった。しゃべることがまともにできない私は、当然ながらひとりでご飯を食べ、ひとりで休み時間を過ごしている。
 本当はカラオケだって好きだし、プリントシールを撮るのも好きだけれど、友達とはできないんだ。
 それでもやっぱりカラオケが好きな私は、なんとか学校の子に会わないように自転車漕いで学校から三駅ほど離れた場所の大型カラオケ店で、フリータイムで歌を歌っていた。

「いらっしゃいませ、おひとり様ですか?」
「はい、フリータイム、まだ取れますか……?」
「いけますよ。サイドメニュー注文なさいますか?」
「ええっと……フライドポテトお願いします。あとホットの緑茶を」
「かしこまりました」

 喉によさそうだからという理由で、フライドポテトを注文し、温かいお茶を頼んだ。悩んだ末、喉を痛めないようにとアイスティーをドリンクバーで汲んでから、部屋に辿り着いた。
 パネルと睨めっこし、発声用に歌い慣れている曲を三曲ほど入れてから、今練習している曲を三曲ほど続けて入れる。あとは喉の調子と相談しながら歌おう。
 私がそう算段を付けながらマイクの電源を入れた。マイクを掴んだときの重みを感じると、解放されたように思える。
 イントロと同時に、私は歌いはじめた。
 カラオケに行くのは、喫茶店よりも密室だから長いこと話ができる、仕事や宿題、内職をするのにスペースが最適という人もいるけれど、私は正直その手の人の気持ちがわからなかった。
 どうしてカラオケ屋に来ているのに歌わないんだろう。なんのためにマイクがあって、いい音ができる最新のカラオケマシンがあるんだろう。
 全身を楽器にして、ビリビリと感じる音。鼓膜がブワリと膨らみ、音を精一杯拾っている。声を上げれば上げるほどに、喉から伸びやかに声が出てきてくれるような気がする。
 一曲目を歌い終え、二曲目のイントロの部分でアイスティーを飲んでいたところで、ドアが叩かれた。

「お待たせしましたー、ご注文のフライドポテトに、緑茶になりま……あ」
「え……?」

 いつもだったら、会釈をして注文の品を置いているのを見ながら、マイクの電源を入れて歌いはじめるんだけれど。今日に限ってはそれができなかった。
 お盆に注文の品を載せてやってきた彼の顔には覚えがあった。
 黒い髪をワックスでおしゃれにセンター分けにし、セットしていると気付きにくそうで気付かないというあまりにもナチュラルに髪を外跳ねにしている。毛穴がわからない肌はいったいどうやってケアしているのかわからないほどに、ツルツルピカピカしている。
 クラスでも人気者グループにいながら、どこのグループとも要領よくお付き合いしている東雲くんだ。
 見られた。ひとりでカラオケに来て、無茶苦茶歌を歌っているのを見られた。しかも……わざわざ三駅離れた場所で歌っているのを。
 私はひとりでショックを受けていた。
 普段だったら自分の十八番の曲で、いつでも歌えるのに、今日ばかりは歌う気が削がれてしまっている中。
 東雲くんは「わりぃっ!」と手を合わせてきた。

「今日のこと、頼むから誰にも言わないでっ! なっ!?」
「……すみません、ごめんなさい。ひとりでカラオケに来ててすみません……」
「えっ?」
「えっ?」

 てっきり、ひとり寂しくカラオケに来ているのを見られて、関わりたくないのかと思ったけれど。東雲くんの慌てふためきようはなんか違うようだ。

「……うちの学校、バイト禁止だから。なにか言われるかとばかり」
「……そうだったの?」
「うん、マジ」

 常日頃から、学校で目立たず騒がず過ごしているせいで、そもそもなにがどう校則違反なのかがわかっていなかった。でもそっか。学校で目立っている子たちは、学校の校則を案外気にしているのか。私はひとりで衝撃を受けていた。

「……言う人、いないよ?」
「ごめん、そういうリアクションに困るようなこと言わないで」

 何故か注意されてから、東雲くんはなにかをサラサラ書いて、テーブルに置いて行った。

「マジで頼む。これ、連絡先」
「え……うん?」

 見てみたら、それは通信アプリのIDだった。私とアプリで連絡して訴えるほど、バイトが見つかるのが嫌だったのか。
 日頃から、人気者グループの人は、堂々としていて格好いいな、と遠巻きに眺めていたから、そういうことをいちいち気にするんだなあと思いながら、とりあえず私はポチポチとIDを登録しておいた。