あれは、1988年から1989年ぐらいだったかなぁ。
 昭和と平成の間だったかも?

 僕は生まれ育った福岡から遠く離れた大阪に引っ越したんだ。
 慣れない方言や環境で、なかなかお友達ができないで、寂しい毎日を送っていた……。

 でも、僕はへっちゃらさ。
 大好きなお母さんやお兄ちゃんたちがいるからね!

 夏休みに入って、お母さんとお兄ちゃんの三人で甲子園へと遊びに行ったんだ。
 カキーン! って、大きな野球選手が打ってカッコよかったなぁ。

 きっと、未来のプロ野球選手になっていたに違いないよ!
 その証拠に、僕のお兄ちゃんが、梅田(うめだ)駅でチームの人たちにサインを貰いに言ってたからね。
 でも、監督さんに「まだ高校生だから」って断られちゃった……。

 僕とお兄ちゃんはシュンとして、肩を落としながら、梅田駅から自分の家がある千里(せんり)線だったかな?
 そっちに向かって電車に乗ったんだ。

 乗った時は、人が多すぎて座れなかったけど、途中で何席か空いた。
 かなり離れて空席ができたから、僕とお母さん、それにお兄ちゃんは、離れ離れになって、座ったのさ。
 僕たちは車がなかったから、遊びに行くとき、電車しかなかっんだよ。
 だから、帰りはいつも疲れて座りたくなる。ていうか、人がいない時は、寝転がってた。

 その日の夜も、甲子園を観戦していたから、疲れていて、僕は人が少なくなったことをいいことに寝ちゃった。

 何駅か過ぎて人混みが戻ってきた。
 だから、僕は仕方なく起こされて、真面目に座りなおす。
 目の前は、たくさんのサラリーマンやOLさんでいっぱい。
 満員電車っていうやつだね。

 この時代は、タバコも車内で吸って良かったから、煙で息が苦しくかった。

 苦い顔して、咳払いしていると、目の前に立っていた大きなお兄さんが、
「あかんなぁ」
 そう言うと僕の顔を見て、笑ったんだ。

 日焼けで真っ黒、坊主頭のお兄さん。
 身長がかなり高くて180センチ以上はあったと思う。
 黄色のトレーナーに紺色のジャージズボン。

 というか、僕のいとこの『ヤンちゃん』に似ていたから、ビックリした。
 ヤンちゃんは、大阪になんていない。地元の福岡にいるはずだ……。
 誰だろ? この人、僕の知り合いかなぁ?

「あかんよぉ、僕ぅ? 一人で乗ってるん?」
 そう優しく微笑んで、僕の頭を優しく撫でてくれた。
「え、そうだけど……」(今はって意味なんだけど)
「あかんでぇ。いくつなん?」
「ん、6才」
「一年生かぁ……あかんあかん。そんな子が一人でこんなところにいたらなぁ……」
 そう言って「にやぁ~」と微笑む。
 大きな口を開いて。
 上の歯と下の歯に白い唾液の糸が、引っ付ている。
 その間もずぅーっと、僕の頭をなでなでしてくれた。

 うーん、この人一体誰だったけ?
 どこかで会った人かな……。

 5分間ぐらい、僕とお兄さんは見つめあっていた。

「あかんよぉ」
「え、どうして?」
「あかんでぇ」
「なにが?」

 そんなやりとりをずっと続けていると……。

「こらぁ! ショタ次郎!」

 血相を変えたお母さんが、僕の元へと駆けつける。
 ものすごく怖い顔して。

「お母さん?」
「あんたは本当になにをやっているの!」
「え? お母さんがバラバラに座っていいって言ったんじゃん」
「やかましい! 失礼なことをして! この人が困ってるじゃない!」
「はぁ?」
 何を思ったのか、お母さんは僕の頭を引っぱたいて、左腕を強く引っ張る。
「痛い、痛いよ。お母さん! 僕はなにも悪い事してないじゃん!」
「うるさい! 早くこっちに来なさい!」

 お母さんはなんでか、お兄さんに
「この子が本当にすみません!」
 とペコペコ謝っていた。
 僕はなにも悪い事してないのに……。

「ショタ次郎! さっさとこっちに来なさい! あんたがバカだから悪いのよ!」
「ひ、酷いよ。お母さん……」
「うるさい!」

 無理やり、別の列車に連れていかれた。
 振り返ると、例のお兄さんは、立ったまま、ピクリとも動かずにいた。
 首だけこちらを向いて、優しく微笑んでいる。
 僕のほうだけ見て。

「そっか! わかったぞ! あのお兄さんは、僕とお友達になりたかったんだよ!」

 謎が解けて、スッキリした。
 もったいないことしなぁ。
 仲良くなれるチャンスだったのに……。

 お母さんのせいだよ、プンプン!