自転車から飛び降りた先輩は、オーラから想像したよりだいぶ背が低かった。170センチの俺から見ると、頭ひとつ分以上小さい。150センチも無いかもしれない。
「合唱部…ですか?」
「今、夏の大会の練習をしてるんだけど…テナーが足りなくて。すごくいい声だから、一度見学だけでも来てみないかな」
黒髪の小さい先輩は、すごく通るが感情の起伏があまり無い声で、俺に説明を続けた。
「大会? テナー??」
 耳慣れないワードを並べ立てられ、俺はいちいち鸚鵡返す。
 合唱部といえば俺の中学にもあった気がするが、熱血音楽教師と陰キャオタク集団だったのでほとんど関わっていないはずだ。文化祭前に、俺のいたギター部と音楽室の取り合いになった時ぐらいしか、会話の記憶がない。合唱そのものだって、それこそクラス別のコンクールでしか経験がなかった。
「あ、中学ではテノールって言ってたかな、それとも男声パートは男声だけか。とにかく、高い音の出せる男の子を探してるんだ。どう?」
「え、ええ、まぁ…」
 正直、気は進まなかった。いくら歌う場所を求めていたとしても軽音と合唱じゃジャンルが違うし、俺だって歌えりゃどこでもいいとかそんな節操の無い男ではない。
 けどこの時俺は、黒髪の小さな先輩が持つ声のオーラにどうにも惹きつけられてしまって、もっと聴きたいと思うようになっていた。
「明日も練習やってるから。放課後、音楽室覗いてみてよ」
「あ、はい…えっと」
 赤で縁取られた名札をよく見ると、川瀬、の文字。
「おっと…ごめん」
 先輩は俺の視線に気づいたのか、慌てて姿勢を正す。
「あたしは2年C組の川瀬燈子。川瀬の紹介で来たって言ってくれていいから…もし興味があったら、興味がなくても、是非」
「お…俺は、永島達樹です。1年A組です」
 なんだかめちゃくちゃなことを言われている気がしたが、澄んだ声の自己紹介に圧されて俺もつい名前を口走った。
「永島くん。じゃ、待ってるね、明日」
 ガシャン!
 まるで約束が成立したかのような誤解を招く発言を残し、黒髪の小さい先輩改め川瀬燈子先輩は、再び自転車に跨って走り去ってしまった。
 結構ギシギシ聞こえるけど、大丈夫なのか、あの自転車…。
 この時間に通学路を走ってるってことは、今日は部活がないのかな? 休みがあるなら他の友達が入ってる運動部よりは緩そうだ。あいつら、毎日走ったりしてるからな…。