俺は黙って聞いていたけど、口の端に悔しさが滲んだ。
 これは嫉妬? どこに対する? 先輩の音楽性? 燈子先輩の中に、忘れられない存在として前原拓斗がいる。こんなに毎日一緒に音楽を作っている俺、いや合唱部でさえ本当は視界に入ってなくて、それが無性に悔しくて。だけどたぶん、翔太はそれすら分かった上で燈子先輩の音楽を信じて、ついてきて、継ごうとしてる。

 ──じゃあ俺は?

 燈子先輩の声だけを追ってきた俺は、何かの覚悟が足りなかったのか? これは、音楽を、先輩を想っていることにはならないのか? 翔太の言う通り、そんな理由じゃ薄っぺらいのか…?

 俺にとって、音楽って、歌って…何…?

 聴きたくて訊いたはずの言葉は、俺にはあまりにも重かった。それでも、練習と同じで、燈子先輩の想いを取りこぼすまいと必死に咀嚼し、嚥下を試みる。
 焦点も定まらずに感情がぐるぐるしていることを俺は表情から隠し切れなかったが、燈子先輩は俺の視線の先──燈子先輩の背後──に迫る、薄暗い入道雲を恐れて顔を歪めているのだと勘違いしたようだった。
「うわ、今日も降るかもね。じゃあ、あたしこっちだから」
 はっと我に返る俺。燈子先輩の話を聞きながら、いつの間にか分岐点である橋のたもとの交差点に到達していた。
「え、あぁ…。最近夕立多いですね、困りますよね」
 浮ついた意識を手元にたぐり寄せる数秒間を、無難な言葉が取り繕う。
「ごめんね、あたしばかり勝手に喋って…達樹くん、聞いてくれてありがとう。聞き上手だね。もっと早く出会えてたら良かったなー」
 それだけ言うと燈子先輩は勢いよく自転車に跨り、また来週、とヒラリと手を振って、川に沿ってギシギシと走り去っていった。
 社交辞令だ。解ってる。だけど…その澄んだ声で言われたら、俺は抗えない。

 ずるい。

“無色透明の声”は、少なくとも俺にとってはこんなにも魅力的だ…。
 俺はその後二周分信号が変わるまで橋を渡ることができず、呆然と立ち尽くしていた。