「なに言ってんだよ。テナーのリーダーは翔太だろ? 翔太しかありえねーよ、次のテナーを引っ張っていけるのは…歌聞いてりゃ分かるじゃん」
 俺は自転車を押しながら、思ったままを口にする。少しだけ翔太の表情が曇ったような気がしたが、夕暮れの風で前髪がメガネに影を落としただけだと信じた。
「じゃあ達樹は…どうするつもり?」
「俺さー、辞めるかもしんねぇ」
 燈子先輩のいない来年なんか想像がつかなかった俺は、暑さのせいもあってダラダラと感情のままに言葉を垂れ流す。
「…えっ?」
「燈子先輩…と、まあ2年生がたくさん…引退するって聞いて、なぁんか気ぃ抜けちゃってさ。俺、もともと体験入部だし…今みたいに頑張れるかどうか、うわっ」

 ザザ…!

 突然、俺たちの間に強めの風が吹き込み、河原へ駆け降りる。微かにバランスを崩した自転車を握り直しすと、翔太も俯いて立ち止まっていた。
「ふぅん…達樹、その程度だったんだね」
「あ…?」
 振り返れば、メガネ越しになんとなく蔑むような翔太の目と、俺の目がぶつかる。
「達樹はそんなぬるい気持ちで、燈子先輩の指揮を見てたのか」
「な…どういう意味だよ。俺は燈子先輩に誘われて合唱部に入ったんだぞ? 燈子先輩がいなくなったら、いる意味ねぇじゃん」
 敢えて限定しなかったのにストレートに燈子先輩を名指しされ、ムッとした俺は、永島達樹の中に川瀬燈子の存在が強く根付いていることをわざと強調して、翔太を煽り返した。
「翔太は寂しくないのかよ? お前、燈子先輩のこと…好きなんだろ?!」
 なんとなく聞きたくなくて、ずっと避けてきた、でも全員の公然の秘密。ヒートアップした俺は、意図的に翔太を揺さぶった。

「好き?」

 …つもりだった。

「僕が? 燈子先輩を?」

 ヘヘッ、と空気だけで微かに笑う翔太。
 湿気を帯びた風が再び俺と翔太の間を通過し、河原を勢いよく撫で走っていった。
「え……?」
 翔太の答えは、いつも俺の予想をするりとかわして、全然違う方向に俺を突き飛ばす。理解したと思っても、実際には何も分かってないし、追いついたと思っても本当は遥か遠くにいる。
「僕は…燈子先輩のあとを継いで、来年の指揮者になるんだ。燈子先輩が作り上げた東高合唱部の音楽を、僕が受け継いで、もっともっと強くする。燈子先輩と同じ場所に立ってそれが出来るのは、僕だけだよ」