悔しいけど、少しばかりボイストレーニングをかじった俺は、翔太の言う通りであることを明確に認識した。
「燈子先輩の指揮…すごかったでしょ」
 一呼吸置いて、どことなく控えめに問う翔太。
 転がったまま動けない俺の様子を同意と取ったのか、翔太は想い人のことを語り始めた。
「燈子先輩ね、音大志望なんだって。指揮をずっと勉強してきたみたい…部活のない日は、声楽やピアノの先生に習いに行ってるって言ってた」
「……」
 目を瞑って心身の回復に努めながら、そういえば、と俺は記憶をまさぐった。
 初めて合唱部を訪れたあの日…燈子先輩、ピアノ弾いてたな…。
 翔太の話では、音大は自分の専攻科に関わらず、歌や楽器などの実技試験があり、燈子先輩は日々そのレッスンに勤しんでいるということだった。
 さしずめ合唱部の練習も、燈子先輩にとっては「指揮のレッスンの実践編」というところか…。
 格闘家のように限界まで落ちた重心。脱力された上半身。それでいて、姿勢よく、全員の芯となるべくスッと通った立ち姿。喋りながらでもぶれないリズム。そして、全身から歌が絞り出されるような、完璧に呼吸をコントロールされる壮絶な指揮…。
 全ては、プロの手によって鍛え抜かれていたというわけだ。
「それでね、レッスンはお金がかかるから、自転車が買い替えられない~って言ってたよ」
 ククッ、と翔太が愛しそうに笑う。「動くうちは乗るんだってさ」
 俺の記憶は更に、初めてこの河原で燈子先輩にスカウトされた日まで遡る。急ブレーキのギッ!という音、勢いよく走り去っていく時のギシギシ音…いや…普通に危ないから自転車は買い替えてくれ、燈子先輩…。
「歌が上手いのもレッスンの賜物だよねぇ。勿論、天性の声の綺麗さもあると思うけど」
 燈子先輩の声、というワードに反応し、俺は瞑っていた目をちらっと翔太に向ける。
 翔太は相変わらず、うっとりしたような表情で燈子先輩への憧れを口にし続けた。
「きっちり先生に磨かれてるんだもんねぇ。達樹も今日聴いたでしょ? どのパート歌っても上手いなんて、もはやソプラノとかどうとかいう枠じゃないよねぇ」
「……」