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(1/17) 姪、リナ。
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「おじさん、これなぁに?」
と、姪のリナがいたずらっぽく笑い、
持ってきたのはコンドームの箱だった。
彼女の叔父であるコータが脱衣所の棚に置いて、
時折ひとりで使用しているものを
リナが見つけだして部屋まで持ってきた。
なに、と問われて答えられるものではなく、
ヘビに睨まれたカエルのごとく、
コータは顔に脂汗を浮かべて
鳴き声すらでなかった。
「きゃはは。きもーい。」
彼女はいつものようにコータを笑い、
箱を投げ渡して部屋を出ていった。
「6年生のリナちゃんが、
避妊具なんて知らないはずないわよ。」
と、のちに母にまで言われる始末であった。
そうして今日もひとつ、コータの秘密が暴かれた。
コータは呆気にとられ、
ため息を深く吐いてから
学習机の液晶モニタに向き直った。
12年間引きこもりを続けるコータは、
同居するリナに今日もからかわれる。
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(2/17) 肩身の狭い同居者。
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まだ幼さの残るふっくらとした顔にまるい目、
細く明るい髪のリナは、コータの兄の娘であるが、
運がいいことに父親にはあまり似ていない。
姪のリナとの同居は、
コータの預かり知らないところで決まった。
「今日から一緒に暮らすことになったから。」
と、コータの両親、つまりリナにとっての
祖父母が、コータの住む家に連れてきた。突然。
かわいい盛りの孫娘を
両親は過剰なまでに甘やかし、
予想通りコータの肩身はますます狭くなった。
リナは隣の兄の部屋を使っているので、
咳ひとつ、物音ひとつにさえも気を使う。
さらに食事、風呂、トイレなどの生活の中で、
廊下を歩くだけでもリナの視線がつきまとい、
彼女はコータの部屋にまで平気で侵入してくる。
なにか喋ればリナに笑われ、
部屋にやって来てはからかわれ、
食事中などは睨みつけられ、足蹴にされる。
12歳の女の子の言動など理解できるはずもない。
コータの生活は常に脅かされた。
引きこもりとしての面目は丸つぶれだった。
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(3/17) 引きこもり、コータ。
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斑咲リナ、12歳。
虫崎コータ、引きこもり歴12年。27歳。
陳列されたこの事実が、コータを苦しめる。
兄の子供が大きくなった月日の早さと、
引きこもっていて12年も経っていたことが
なにより恐ろしかった。
リナはコータの兄、ヨースケの娘である。
兄のヨースケはいまのコータとは真逆の
陽気な性格で、大学を卒業して就職し
すぐに子供を作って結婚した。
相手が虫の入った『虫崎』という名字を嫌って、
兄が婿養子となったのはいい選択だと思う。
虫崎家に嫁入りした母親もやはりこの名字を
好いてなかったようで、ふたりを後押しした。
ついでにコータも名字に苦労した過去がある。
いまでは授かり婚と呼ばれるが、
なんと相手は6つ年下の16歳。
当時のコータと同い年の子だったのに驚いた。
そのときのコータといえば、
高校デビューに失敗し、中退し、
めでたく引きこもりを開始した。
それから現在に至るまでこの状態。
コータがいまも健勝に引きこもれているのは、
高校中退後に両親を説得してくれた
兄のヨースケのおかげだった。
そんな兄は6年前にこの世を去った。
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(4/17) 働く引きこもり。
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「父さん、組合長の話は、やっぱり無理です。」
「ん、そうか。今度の旅行んとき説得しとく。」
「よろしくお願いします。」
「ねぇ、なんの話?」
食事中に、仕事の話をするべきではなかった。
興味深げにリナが質問する。
我が家の和食ばかりの食事に飽きたのか、
リナの箸の進みは遅い。
料亭で働いていた母の作る
鰆の照り焼きは今日も美味しく、
コータはリナの質問など無視して食事に集中した。
「あぁ、コータが商店街の
ホームページ作ってんだよ。」
「ウェブサイト…。」
「そんなことやってるの?」
リナがまた睨んでくる。
コータは引きこもり歴12年のベテランである。
伊達や酔狂で引きこもってはいない。
一応、年齢相応の稼ぎもあるにはある。
「ECってやつはやっぱ無理なのか。」
「いーしー?」
「通販サイト? の略だよな。」
正しくは電子商取引の略だが、
コータは否定せずに首肯した。
「そのいーしーってなにがムリなの?」
「後でメールします。」
コータは説明する気がないので、
父に向かってそれだけ伝えた。
「いま! 教えて!」
「コータ。」父はリナに甘い。
母も黙って顎をしゃくり説明を促す四面楚歌。
「こ、個人で責任を負うにも、
やっぱり、限界があるんですよ。
お客さんの個人情報とか。セキュリティとか。
お金のやり取りですから…。」
「まあそうだよな。
そんなら企業のサービス使ったほうが
よっぽど安全だわな。」
コータの隣で、話を聞いてなお
つまらなそうにしているリナが
机の下で足を蹴ってきた。
――昔はあんなに可愛らしかったのに。
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(5/17) 秘密の質問。
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リナと最後に会ったのは、
兄ヨースケの葬式の日だった。
まだ6歳だったリナは、
式の間はコータのお腹に
ずっとしがみついていた。
似合わない喪服姿のコータを
父親の面影に重ねていたのか。
幼くして親を亡くした子供の気持ちは、
あの場の誰にもわからなかった。
6年の歳月は残酷なものがあった。
あの幼く可愛らしかったリナは、
たくましく成長してやんちゃに育った。
コータは兄の死後6年経っても引きこもりで、
リナは複雑な事情を抱えても毎日学校へ通い、
祖母とともに買い物にも出かける。
そこに生まれや年の差など関係もなく、
コータにとって彼女は眩しすぎて
直視のできない存在感を放っていた。
「おじさん、いくつ?」
「えっ?」
「年齢だって。」
「あ、…27です。」今年でもう28歳になる。
「血液型は?」
――パスワードでも聞いているのだろうか?
そんな疑問がふと思い浮かんだが、
誕生日や血液型をパスワードに設定するほど
コータのネットリテラシーは低くない。
「O型です…。」
「おじさん、パパと一緒なんだ…。
マクラくっさ…。カレー臭?」
コータの仕事中にも関わらず、
リナは部屋にやってきてベッドで寝そべり、
他愛のない会話を求めては、
その会話を一方的に拒絶される。
「おじさんなんでそんなことやってるの?」
と、リナにたずねられたが、
コータは返答に窮した。
コータの父が傍らで営業の仕事をして、
コータは地元の商店街でウェブサイトの管理や、
折込チラシ、店内のメニュー作りなどを
手掛けている。すべて父親のコネのおかげだ。
コータがなぜそんな仕事をできるのかといえば、
生前、兄のヨースケが、
「引きこもるなら手に職をつけたらいいぞ。」
と、アドバイスをしたからだ。
高校中退後のコータは、
将来が不安でどうしようもなかった。
その不安を解消するための行為を、
ヨースケが提案してくれた。
しかしいまは、両親は定年間際であるし、
世話焼きで頼れる兄とは今年で同い年になる。
モラトリアムの延長に過ぎないかもしれない。
そんな事情を端的に説明するための、
上手く取り繕う言葉が見つからずにいる。
「マクラ洗って。」
しかしリナはコータに枕を投げつけて、
部屋を出て行ってしまった。
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(6/17) 雪原の地雷。
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「七夕。ってまだ先じゃん。」
リナが雪原のようなほぼ白紙のドキュメントを、
後ろから覗き見てつぶやいた。
いつものように、リナは勝手に部屋に入ってくる。
一時はカギを掛けたこともあったが、
扉を叩かれ、廊下で騒がれて諦めた。
引きこもりのヒエラルキーは最下層。
無駄な抵抗であった。
7月になると商店街に七夕の催しがある。
ゴールデンウィークが明けると、
そのイベントのポスターやチラシを作るために
企画を提案しなければならない。
という説明はコータはしたくない。
黙って前年の企画書を開いて唸った。
こうした企画で商店街への
集客が増えたのであれば、
コータ自身の評価につながる。
七夕は五節句のひとつで、年に一度、
7月7日に織姫と彦星が巡り合う日とされ、
短冊に願いを書いて笹に飾る謎の風習がある。
商店街では例年、通りに大きな笹を飾り、
短冊に願いごとを書いてもらっている。
織姫をイメージした呉服屋自慢の着物を、
通りに展示するのが定番だった。
来客者向けのくじ引きに
各店舗から寄せ集めた景品なども用意しているが、
梅雨時の雨続きで思った集客は得られなかった。
去年作った天女の羽衣こと商店街謹製タオルは、
在庫の山と化し、新たに誕生した在庫問題を
放置して1年が経過した。
「つまんないの。」
「痛っ!」
不満をあらわにしたリナに肩を軽く叩かれ、
コータは地雷を見事に踏み抜いた。
考えれば怒られて当然だったが、
リナは別のことで叩いたに過ぎなかった。
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(7/17) 姪からのダメだし。
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リナの母親はリナを残し、男と共に蒸発した。
コータはそんな事情を探りはせず、
それとなく察している。
当然、干渉することではないことも。
親権についてトラブルは発生していないし、
転校手続きもコータの母親が手早く済ませていた。
手際のよさはさすが2児の母だった。
そんなわけで、
一切を預かり知らぬコータ自身は
リナに対してなにかしてやれることもなく、
引きこもりを継続している。
「七夕なんて子供だましじゃん。」
短冊に願いごとを書いて飾る。
小学6年生にもなると、
そんなことが児戯にも思えるものか。
コータは過去の自分に照らし合わせたが、
遠い記憶はひどく曖昧だった。
それに男女の逢瀬のために
親に捨てられたリナからすれば、
七夕などは不快感が勝るのかもしれない。
「商店街っていつもグランマと通ってるけどさぁ。
笹飾ったからってひと増えるわけないじゃん。」
リナは祖父母のことをグランパ・グランマと呼ぶ。
リナの至極真っ当な意見に、
コータは自然とうなずいた。
「どこでもやってるイベントなんて
有名な観光地じゃないんだし、
もっと地元のお客さんのこと、
考えないとダメじゃんさ?」
リナの言葉にコータは目を皿にして驚き、
自分の考えを改めた。
「あ、ありがとう。」
「おじさんのカレーくっさいマクラ洗って!」
お礼の返事に、今日も枕を投げつけられた。
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(8/17) 夜中の侵略者。
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――リナがなにかを言っている。
リナの気配を感じたが、夜中ということもあり、
コータは無視して動画を眺めていた。
「痛っ!」やはり肩を叩かれた。
「ねえ! 無視しないで!」
横を向くと、そこには半泣きのリナがいた。
「ごめんなさい。なんですか?」
ゴキブリが出ても騒がないリナが、
大きな抱きまくらを抱えてやってきた。
「なんで無視したの?」
「えっと…。勉強してて…。」
動画は英語の教材で、
ヒアリングに集中しながら
タブレットに筆記を行っていた。
無線イヤホンを取って、
コータは素直に謝った。
「英語? 喋ってみて。」
「喋れませんよ。」
「じゃあなにしてたの? えっちなこと?」
「ちがっ、違います。」
リナは時折変な話を振る。
生理や陰毛の話や、以前のコンドームなど…。
コータを困らせる話題ばかりだった。
そんな時、コータは困って沈黙すると
リナは肩を叩いて諦めてくれる。
こんな夜中にやってきたのだから、
今日はそうではないらしい。
「じゃあなんか喋って。」
リナはベッドで横になって、
無茶振りをする。
コータとしては姪を相手に、
話をすることは一切ない。
両親相手でも仕事と家のこと以外で、
会話をすることもなかった。
とはいえ、無視した自分も悪いので、
声をひそめて話をした。
「えっ…と、英語の勉強は、
観光地のお店のメニュー作りで。
英語にするだけだと伝わらないから、
料理の説明文を加えるようにしてるんです。」
「お仕事の話ぃ?」
「なんで?」コータは困惑した。
「もーいいよ。続けて。」
少し笑いながらリナは目を閉じて、
うんうんとうなずく。
コータはタブレットに目を落として、
仕方なしに仕事の話を繰り返した。
いまやってる仕事の内容や、
悩んでいることを口にしてみると、
情報が整理できて、またメモを取る。
気づけばリナはそのままベッドの上で寝てしまい、
引きこもり唯一の居場所を失ったコータは
リビングのソファで一夜を明かした。