七月七日、午後七時。天気は晴れ。夕暮れが星空を呼び込む時間。
僕が通う星丘高校のグラウンドの真ん中。大きな笹の周りで生徒は手持ち花火で下校までの時間を楽しんでいた。
今日は七夕祭りの三日目、後夜祭の日。そして七夕当日。
七夕祭りとは、いわゆる学校祭のようなもの。山の近くに建っている星丘高校は、景色が綺麗なことで有名で、晴れた夜の日は星空がとても綺麗に見える。これが由来となって、学校祭の時期と七夕の日が近いということから、数年前に学校祭の名前が「七夕祭り」になった。
受験真っただ中の三年生の僕達でも、七夕祭りは他の行事の倍以上力を入れている。その分、生徒だけの後夜祭はなんとなく気が抜けて、のんびりとそれぞれ楽しむ。僕たち三年生にとっては、今日が最後の七夕祭りだ。
僕——夏川陽介も、グラウンドに集まっている人々から少し離れた場所でのんびりと休憩していた——友達の幸野叶と一緒に。
「もったいねぇよなぁ。な、陽介もそう思わね?」
叶はグラウンドの中央に目を向けながら、僕にそう聞いてきた。
「確かにせっかくの花火をしてない僕は、他の人から見たらもったいないかも……?」
「あぁ~、それもそうかもしれないけど。そっちじゃなくて」
叶がドサッと地べたに座った。僕も叶に倣って地面に腰を下ろす。昼は熱を持っていた砂が、夜にもなるとひんやりとして蒸し暑い気温と相まって気持ちよかった。
「今日七夕なのに、みんな星見ないで花火してどうすんだっていうこと。下じゃなくて上見ろよな~」
「まぁ、花火はいくつになっても楽しいから仕方ないかもだけど」と続けて言い、叶はグーッと背伸びをする。
確かに叶の言ってることはもっともだ。生徒どころか先生たちまでも空ではなく花火を見ている。この後打ち上げ花火もあるとか言っていた。七夕祭りじゃなくてこれじゃただの花火大会だ。
僕も苦笑しながら、少し首を上に傾けて空を見た。
写真集にあるような星空よりは地味で素朴な星空だけど、それでも十分に綺麗で僕はなんだかホッとした。
「ていうか、短冊何書いた?」
叶はふと思い出したように、そう僕に聞いてくる。
星丘高校の七夕祭りでは、生徒も先生も遊びに来た保護者や地域の方も一人一枚短冊を書くのがルールだ。書いた短冊はグラウンドの中央にある、大きな笹に掛けられる。毎年何千もの短冊が集まり、緑だけだった大きな笹をあっという間に彩るのは、何回見ても綺麗で、思わず泣きそうになるほどだ。
「ん」
僕は自分の短冊を陽介に見せる。
陽介は目を輝かせながら僕の短冊を受け取った。
「えーっと……って、白紙じゃん! もう少しで後夜祭終わるけど、それまでに書けるのか?」
騙されたとでも言いたげなその顔を見て、僕は思わず笑ってしまう。
「内容が決まらないだけ。ちゃんと書くからほっといてよ。叶はなんて書いた?」
「……う~ん、俺はもう書き終わってるけど秘密! 笹に掛けたら見てもいい!」
「何それ⁉ 僕のを見たかっただけじゃん……。はめられた……」
「お互い様だろ~、陽介も書いてなかったんだし」
叶はケラケラと笑いながら、そして、静かに空を見上げた。
本当に花火に興味はないらしく、ただ星が光る空を見上げる。
僕は星空を見ずに、叶の横顔と色とりどりの花火の間で視線をさまよわせていた。
叶はゆっくりと呼吸をする。彼の息の音が聴こえるくらい、僕らの周りは静かだ。
「なぁ、七夕ってさ、自分の夢とか想いとか星に願うじゃん。もし、星に感情があったとして、星たちって俺らの夢をどう思ってるんだろう」
叶が、ぽつりと呟いた。
「急に詩的なこと言うね」
「らしくないか?」
「逆。叶らしい。聴かせて」
「……前まで、陽介と出会うまでさ、『何が星に願うだよ』って。『無駄に真面目な願い書くくらいなら、星に願うくらいなら、自分で努力しろよ』って思っていた」
「ウッ……確かに」
僕は、一年生の時の自分の短冊のことを言われているようで、胸に刺さる。正論だからなおさらだ。
そんな僕の苦い表情に気付いたのか、叶は首を横に振りながら、
「わるい。別に陽介を責めてるとかじゃない。前の俺だったらの話だから。今は逆。まぁ、面白半分だったり、誰かを陥れる願いとかは叶わないでほしいなって思うけどな。それ以外の必死な願いとか、本当に心から思ってる願いとかって、俺が星だったら叶えてやりたくなる。今は本当にそう思ってる」
叶は笑う。そう言いながら、まるで星のように笑う。
「叶」という名前が、こんなにも似合う人がいるんだなと思った。
よく思い出せば、叶はいつも人の幸せを願って行動してる気がした。あくまでも僕の知ってる叶だから、叶の言う前の彼とは違うのかもしれないけど。
叶はため息をつき、少し俯きながら言葉を続ける。
「人が星に何かを願いたくなるのって、たぶん本能的というか、自然なことなんじゃないかって思う。たまには星にすがんないと、星に本気で願わないと、人生やってられないよな」
……星に願わないとやってられない、か。
確かに僕もたまに叶いそうにないことを、でも叶ってほしいことを願いたくなる。そうしないと心が押しつぶされそうだから。
「叶ってすごいよなぁ」
「ん~そうか?」
「うん。叶の考えとか叶の持つ世界とか、すごく尊敬してる」
「マジで⁉ サンキュ~! 急に陽介にそう言われると照れるなぁ~」
本当のことだ。
叶と話をしていると、自分の世界が広がっていくのを感じる。色んな事に気付かせられる。くだらない話ばかりじゃなくて、たまにこんな風にちょっと真面目な話をしている時は特に。
それでも広すぎる叶の世界を、僕はまだほんの一部しか知れてない気がするし、それと同時に、やっぱりまだまだ自分の世界は狭いということを自覚させられる。
元気で明るくて、こんな風に素敵な世界観を持っている叶は、いつもクラスの中心人物だった。反対に僕は積極的に人と関わろうとせず、自分の世界に埋もれていた。そんな二人が今こうやって話しているのは、偶然にしては出来すぎだよ、神様。
そう思いながら、僕は静かに立ち上がる。
「僕、短冊に書くこと決めたよ」
「お、マジ! 教えろ~!」
「秘密。笹に掛けたら見ていいよ」
「じゃあ、後夜祭の最後に二人でお互いの見ような!」
今度は二人で星空を見上げる。そして一瞬叶の横顔を見た。
僕は陽介のその横顔を見ながら、星丘高校に入学したばかりのことを思い出していた。
あの時も同じことを思った。
この幸野叶という奴は空を見上げる時、困ったような泣きそうな、それでいて何かに恋い焦がれたような顔をしていると。
僕が通う星丘高校のグラウンドの真ん中。大きな笹の周りで生徒は手持ち花火で下校までの時間を楽しんでいた。
今日は七夕祭りの三日目、後夜祭の日。そして七夕当日。
七夕祭りとは、いわゆる学校祭のようなもの。山の近くに建っている星丘高校は、景色が綺麗なことで有名で、晴れた夜の日は星空がとても綺麗に見える。これが由来となって、学校祭の時期と七夕の日が近いということから、数年前に学校祭の名前が「七夕祭り」になった。
受験真っただ中の三年生の僕達でも、七夕祭りは他の行事の倍以上力を入れている。その分、生徒だけの後夜祭はなんとなく気が抜けて、のんびりとそれぞれ楽しむ。僕たち三年生にとっては、今日が最後の七夕祭りだ。
僕——夏川陽介も、グラウンドに集まっている人々から少し離れた場所でのんびりと休憩していた——友達の幸野叶と一緒に。
「もったいねぇよなぁ。な、陽介もそう思わね?」
叶はグラウンドの中央に目を向けながら、僕にそう聞いてきた。
「確かにせっかくの花火をしてない僕は、他の人から見たらもったいないかも……?」
「あぁ~、それもそうかもしれないけど。そっちじゃなくて」
叶がドサッと地べたに座った。僕も叶に倣って地面に腰を下ろす。昼は熱を持っていた砂が、夜にもなるとひんやりとして蒸し暑い気温と相まって気持ちよかった。
「今日七夕なのに、みんな星見ないで花火してどうすんだっていうこと。下じゃなくて上見ろよな~」
「まぁ、花火はいくつになっても楽しいから仕方ないかもだけど」と続けて言い、叶はグーッと背伸びをする。
確かに叶の言ってることはもっともだ。生徒どころか先生たちまでも空ではなく花火を見ている。この後打ち上げ花火もあるとか言っていた。七夕祭りじゃなくてこれじゃただの花火大会だ。
僕も苦笑しながら、少し首を上に傾けて空を見た。
写真集にあるような星空よりは地味で素朴な星空だけど、それでも十分に綺麗で僕はなんだかホッとした。
「ていうか、短冊何書いた?」
叶はふと思い出したように、そう僕に聞いてくる。
星丘高校の七夕祭りでは、生徒も先生も遊びに来た保護者や地域の方も一人一枚短冊を書くのがルールだ。書いた短冊はグラウンドの中央にある、大きな笹に掛けられる。毎年何千もの短冊が集まり、緑だけだった大きな笹をあっという間に彩るのは、何回見ても綺麗で、思わず泣きそうになるほどだ。
「ん」
僕は自分の短冊を陽介に見せる。
陽介は目を輝かせながら僕の短冊を受け取った。
「えーっと……って、白紙じゃん! もう少しで後夜祭終わるけど、それまでに書けるのか?」
騙されたとでも言いたげなその顔を見て、僕は思わず笑ってしまう。
「内容が決まらないだけ。ちゃんと書くからほっといてよ。叶はなんて書いた?」
「……う~ん、俺はもう書き終わってるけど秘密! 笹に掛けたら見てもいい!」
「何それ⁉ 僕のを見たかっただけじゃん……。はめられた……」
「お互い様だろ~、陽介も書いてなかったんだし」
叶はケラケラと笑いながら、そして、静かに空を見上げた。
本当に花火に興味はないらしく、ただ星が光る空を見上げる。
僕は星空を見ずに、叶の横顔と色とりどりの花火の間で視線をさまよわせていた。
叶はゆっくりと呼吸をする。彼の息の音が聴こえるくらい、僕らの周りは静かだ。
「なぁ、七夕ってさ、自分の夢とか想いとか星に願うじゃん。もし、星に感情があったとして、星たちって俺らの夢をどう思ってるんだろう」
叶が、ぽつりと呟いた。
「急に詩的なこと言うね」
「らしくないか?」
「逆。叶らしい。聴かせて」
「……前まで、陽介と出会うまでさ、『何が星に願うだよ』って。『無駄に真面目な願い書くくらいなら、星に願うくらいなら、自分で努力しろよ』って思っていた」
「ウッ……確かに」
僕は、一年生の時の自分の短冊のことを言われているようで、胸に刺さる。正論だからなおさらだ。
そんな僕の苦い表情に気付いたのか、叶は首を横に振りながら、
「わるい。別に陽介を責めてるとかじゃない。前の俺だったらの話だから。今は逆。まぁ、面白半分だったり、誰かを陥れる願いとかは叶わないでほしいなって思うけどな。それ以外の必死な願いとか、本当に心から思ってる願いとかって、俺が星だったら叶えてやりたくなる。今は本当にそう思ってる」
叶は笑う。そう言いながら、まるで星のように笑う。
「叶」という名前が、こんなにも似合う人がいるんだなと思った。
よく思い出せば、叶はいつも人の幸せを願って行動してる気がした。あくまでも僕の知ってる叶だから、叶の言う前の彼とは違うのかもしれないけど。
叶はため息をつき、少し俯きながら言葉を続ける。
「人が星に何かを願いたくなるのって、たぶん本能的というか、自然なことなんじゃないかって思う。たまには星にすがんないと、星に本気で願わないと、人生やってられないよな」
……星に願わないとやってられない、か。
確かに僕もたまに叶いそうにないことを、でも叶ってほしいことを願いたくなる。そうしないと心が押しつぶされそうだから。
「叶ってすごいよなぁ」
「ん~そうか?」
「うん。叶の考えとか叶の持つ世界とか、すごく尊敬してる」
「マジで⁉ サンキュ~! 急に陽介にそう言われると照れるなぁ~」
本当のことだ。
叶と話をしていると、自分の世界が広がっていくのを感じる。色んな事に気付かせられる。くだらない話ばかりじゃなくて、たまにこんな風にちょっと真面目な話をしている時は特に。
それでも広すぎる叶の世界を、僕はまだほんの一部しか知れてない気がするし、それと同時に、やっぱりまだまだ自分の世界は狭いということを自覚させられる。
元気で明るくて、こんな風に素敵な世界観を持っている叶は、いつもクラスの中心人物だった。反対に僕は積極的に人と関わろうとせず、自分の世界に埋もれていた。そんな二人が今こうやって話しているのは、偶然にしては出来すぎだよ、神様。
そう思いながら、僕は静かに立ち上がる。
「僕、短冊に書くこと決めたよ」
「お、マジ! 教えろ~!」
「秘密。笹に掛けたら見ていいよ」
「じゃあ、後夜祭の最後に二人でお互いの見ような!」
今度は二人で星空を見上げる。そして一瞬叶の横顔を見た。
僕は陽介のその横顔を見ながら、星丘高校に入学したばかりのことを思い出していた。
あの時も同じことを思った。
この幸野叶という奴は空を見上げる時、困ったような泣きそうな、それでいて何かに恋い焦がれたような顔をしていると。