ある日、バイトを終えた尊は、薄暗い街を歩いて帰っていた。
 そのとき、不意に携帯電話が鳴り、市内に住む兄の名前が画面に表示された。歳の離れた兄は四年前に結婚して家を出ている。地元企業に就職し、大学で知り合った妻を本州から呼び寄せた。尊とは雲泥の差だ。

「もしもし、尊か?」

「あぁ。どうしたの?」

「実はな……子どもが出来たんだ」

「本当かよ! おめでとう」

 思いがけないニュースを聞いて、久しぶりに頬が緩む。だが、次の言葉で彼の表情は固まってしまった。

「それでさ、うちの嫁さんの実家は本州だろ? 妊娠している間も一人で心細いだろうし、父さん母さんもいい歳だから、そろそろ同居しようと考えてるんだよ。お前、実家を出る予定ないの?」

 冷たいものが胸の内を走っていく。

「いや、うん、正社員の仕事がさ、なかなかなくてね」

 兄は「そうかぁ、このご時世だからな」とは言ったものの、すぐに厳しい口調になった。

「お前も逃げてばっかりいないで、きっちり仕事見つけろ。いつまでもバイトじゃ、親の介護だって出来ないぞ」

「わかってるよ」

 尊は思わず唇を噛みしめた。このままではいけないということは、誰より自分がわかっている。
 バイトは楽しいし、自由に時間も取れる。友達といつでも会え、好きなことをできる。
 だが、預金通帳の残高はいつも淋しい。結婚は出来ても養えないと、焦りもするのだ。
 数日前に振り込まれた給料が財布に入ったままになっているが、それだってすぐに消えてしまうと思うと虚しくなった。

「なるべく早く見つけるよ」

 尊は力なく言うと、携帯電話を切った。
 ふと気がつくと、彼は大きなパチンコ屋の前にさしかかっていたことに気づく。

「......運試ししてみるか」

 普段なら仲間に誘われたときしか行かないパチンコ屋に、彼は吸い寄せられたように入っていった。
 その数時間後、アニメのような音声が響き渡る。

「ボーナス確定!」

 ......ただし尊の隣のパチスロ台で、だ。
 自分の台は既に天井近い。なのに、うんともすんともいわないのだ。

「設定一か二じゃないの、これ」

 思わず漏れた独り言は、騒々しい音にかき消された。
 神様も『真面目に働け』と言っているのか、それとも単にギャンブル運がないのか。
 尊は手持ちのメダルがなくなると、足早に店を出た。入ったばかりの給料から三人の諭吉が旅立った虚しさに、彼は項垂れる。

「なにやってるんだか、俺は」

 家に戻った彼は、母親と顔を合わせないように、さっさと脱衣所へ駆け込んだ。全身にまとわりつく煙草臭さをシャワーで洗い流してから、部屋の布団に潜る。なかなか寝付けなかったのはパチンコ屋に行ったせいで止まない耳鳴りだけが原因ではなかった。
 なにもかもが、不安だった。
 彼は、明日なんて灯りを消した部屋より真っ暗だと、きつく目を閉じたのだった。