「会ったことない……って」

 そんな話、にわかには信じられない。いや、実際そういう生い立ちの人だっているんだろうけど、少なくとも私は、今までそういう人に出会ったことがなかった。
 
「俺、小さい頃に母親が死んでさ。今の両親とは血が繋がってない。養子ってやつなんだ」

「……本当のお父さんは、今どこにいるの?」

 那智は、首を横に振った。

「わからない。父親のことは、誰も詳しくは知らないんだ」

「じゃあ、どうしてポルトガル人だってわかったの?」

 話が見えてこなくて、私は眉根を寄せる。

「それがさ。——笑うなよ? 昔、母親がテレビを見てて、突然俺に言ったんだ。『この人がお父さんよ』って。そこに映ってたのは、ポルトガルのあるサッカー選手だった」

「へえ! そんな人がお父さんだなんて、すごい」

「だろ? でも、みんなに笑われたよ。『そんなわけない』って。母さんは変な外国人に騙されたんだろうっていうのが、大人たちの見解」

「え……何それ」

 何か、それってちょっと酷い。それじゃまるで、那智の本当のお母さんが嘘ついてるみたいじゃない。

「でも、母親が嘘を言ったなんて思えなくてさ。それくらい、真剣な顔だったんだ。だから俺、その選手のこといろいろ調べたんだよ。そしたら、昔ちょっとだけ日本のチームでプレーしてたこともあるみたいでさ。きっと母親とはその頃出会ったんじゃないかと思うんだ。それにな、」

 那智はキラキラした目で話し続ける。

「俺、気付いたんだよ」

「気付いたって、何に?」

「俺の名前。『海路』ってさ、本当は『カイル』って読むんじゃないかって」

「カイル……?」

 そう口にしてみると、確かに『ひろみち』よりも那智にしっくりくるような気もする。

「ほら。なんかそれっぽいだろ? 実はそのサッカー選手が、『カイル』って名前なんだ」

「そうなの⁉ それ、きっと那智のお母さんが、お父さんと同じ名前を付けてくれたんじゃない?」

「だろ? 俺もそう思った。まあ、誰も信じてくれないけどな。だから俺、いつかポルトガルに帰って、父親を探そうと思う。カイルはもう引退して、リスボンて街で暮らしてるらしいんだ。ーー俺には、ポルトガルの血が流れてる。だからあの国は俺の故郷なんだ」
 
 正直、那智が羨ましい。こんなに真っ直ぐに、故郷だと思える場所を持っているということが。帰る場所があるというのは、とても贅沢なことだと思う。
 
「……いいなぁ、那智」

 思わずそう口にした。

「何が?」

 那智が不思議そうな顔で私を見る

「故郷があって。私はどこにも帰る場所がないから。でも那智はさ、故郷だって思える場所が、帰りたいと思える場所がある……。それが羨ましい」

「リオ……」

 那智が言葉につまる。しまった。羨ましい、だなんて。那智のお母さんはもう亡くなっているというのに。私は何てことを言ってしまったんだろう。

「……なあ、リオ。俺、もういっこ気付いたんだけどさ」

「うん?」

 聞き返すと、那智はひとつ咳払いをした。ジリジリと照り付ける太陽が水面に反射して眩しい。その光のせいか、那智の顔はきらきらして見える。
 
「リオの名前。ポルトガル語で『川』だろ?」

「え? スペイン語じゃないの?」

「ポルトガル語でも同じなんだよ」

 そうだったんだ。知らなかった。

「リオの名前見た時、思ったんだ。やっぱり、俺はポルトガルに導かれてるって」

「……すごい」

「ここからもっとすごいんだ。ほら、リオが『川』で俺が『海』だろ?」

 確かに。那智の名前には海が入っている。

「川と海は繋がってる。川が流れた先には海があるんだ」

「……うん」

 那智が、目の前にある海を指差して言う。遠くにサーフィンをしている人が見える。朝見かけた人だろうか。
 
「リオの帰る場所なら、ここにある」
 
 ——え?
 
「俺がリオの海になる。だからどんなに遠くへ行ったとしても、帰りたくなったらいつでも俺のとこに帰ってきたらいい」

「那智……」

 那智の横顔を見る。耳まで真っ赤だ。日焼けしたのか、それとも。
 嬉しかった。うっかり泣きそうになった。私は川で、永遠に流れていくのかと思っていた。だけど、最後には海に帰っていいんだ。
 
 そこには那智が待っていてくれる。