「——じゃあ、リオはほとんど学校に来てなかったんだ?」
 
 私は自分のことを掻い摘んで彼に聞かせた。太陽はすっかり高くなり、教室の中は次第に蒸し暑くなりつつある。私たちはさっきと同じ席に座ったままだ。
 
「うん。だから全然クラスメイトの顔とかわからなくて。ごめんなさい、その……あなたのことも」

「そんなのいいって。俺も似たようなもんだし」

「え?」

「俺も、ほとんど登校してなかったんだよ。それに俺、隣のクラスだし」

「あ、そうなんだ」

 クラスが違うなら、お互いを知らなくても仕方ない。何となく、私は許されたような気持ちになった。

 開け放した窓から、強めの風と共に、ジジジ……と蝉の声が聞こえ始める。

「でも残念だな、リオ。せっかく知り合えたのにまた転校なんてさ」

 ついさっき知り合ったばかりなのに、そんなことを言われるとは意外だ。

「まあ、ね。もう慣れてるけど」

「恨んだりしないわけ、親のこと」

「別に? そういうものだって思ってるから。私は、川みたいに流されていく運命だって」

 親を恨んだことなんか、数え切れない程ある。でも、結局何も変わらないんだと悟った。恨んで、怒って。そういう負の感情を抱えることは、本当に気力の無駄だった。だから私は、恨むことさえも諦めた。
 
「リオはすごいな」
 
 彼が笑う。顔が熱くなる。気温はぐんぐん上昇している、きっと。
 
「ねえ、あなたのことも話してよ。私ばっかりでズルいと思う」

 彼の笑顔に動揺している自分を悟られないように、私はわざと少しむくれたように言った。すると彼は、まるで今気付いたかのような顔を作って見せた。

「あ、確かに。悪い」

 そう言うと、ようやく椅子から立ち上がった。つかつかと教室の前方まで歩き、教卓の前に立つ。まるで先生みたい。私は前向きに座り直して、背筋を伸ばして彼に向き合う。

「じゃあ、あらためて自己紹介します。俺の名前は、」

 黒板に白のチョークでさらさらと文字を書き始める。思いのほか、綺麗な字だ。そこには、『那智海路』と書かれている。

「なち、か、かいろ? かいじ?」

「ブッブー」

「あっ、わかった! うみみち⁉︎」

「なんだそれ」

 ハハッ、と声を上げて彼は笑った。

「——那智(なち)海路(ひろみち)。まあ、読めねーよな、普通」

 なち、ひろみち。韻を踏んでる。歌みたいだ。

「那智でいいよ」

「那、智……?」

「おう」

「那智……」

「うん?」

「那智……!」

「な、何だよ? どうした?」

 だって、初めてかもしれないのだ。「友達」の名前を呼んだの。そんなことに突然気付いて、私は少し嬉しくなった。

「別に?」

 言いながら、ニヤけてしまいそうな私がいる。知らなかった気持ちだ。

「変な奴」

 那智はそう言いながら、ふはっと笑った。

「なあ、リオ」

「なに?」

 那智は教卓に両肘をついて、じっと私を見る。

「いつまでこっちにいられんの?」

「んー……あと一週間くらい、かな」

 両親は来週にもこの町を出て行く予定にしている。

「そっか。じゃあさ、リオのその一週間、俺にくれない?」

「え?」

 どういうこと?
 
「残りの一週間で、高校生活やり直そうぜ。リオ、ろくに楽しめてないんだろ? なっ」