気が付いたら海にいた。那智と行った海。頭の中を整理をしようとしたけれど、できなかった。一つだけわかったのは、那智はもう私なんかの手の届かないところにいて、二人でポルトガルに行くという私の夢は、永遠に叶わないということだった。
俺のところに帰ってきたらいい、だなんて。ファンサービスか何かのつもりだったんだろうか。
「大澤!」
私は波打ち際で膝を抱えたまま、眠ってしまっていた。空は茜に変わっている。背後から呼ばれ振り返ると、そこには藤本先生の姿があった。
「あ、先生。こんばんは」
私は先生に向かって無理矢理笑顔を作る。
「お前なあ……。突然学校飛び出して何やってるんだよ……。お腹痛いとか嘘だろ? てっきり家に帰ったのかと思ったのに、母さんからお前が帰って来ないってさっき連絡があって、ずっと探してたんだぞ?」
海は盲点だった、と言いながら先生は大きなため息を吐くと、膝を曲げる格好で私の隣に屈んだ。
「心配させるな、頼むから」
「……ごめんなさい」
ポン、と先生の大きな手が私の頭に置かれた。温かくて、泣きそうになる。
「——那智海路か?」
不意に那智の名前を出され、私は思わず先生を見た。この人の前で、那智の話をしたことは一度もない。
「どうして……」
「母さんから聞いた。その、お前と海路が付き合ってるって。驚いたよ。お前たちには接点が無いから、いつどこで知り合ったんだろうって。でも思い返してみたら、あの日だったんだな」
付き合ってなんかいない。でも、否定はしなかった。
「海路は、俺の生徒だったんだ。一、二年の時の」
「え? 那智は、本当にあの学校の生徒だったの……?」
先生は頷いた。
「あいつは昔から芸能活動をしていて、卒業後に東京へ行ったんだ。あの日は、学校で撮影をしたいから、って久しぶりに顔を見せたんだよ」
そうか。だからあの日、教室は開いていたんだ。
「あいつ、俳優としてはかなり燻っててさ。オーディションも落ちてばかりだ、って高校の頃はかなり自暴自棄だったよ。学校もよくサボってたしな」
昔を懐かしむように、先生は話を続ける。
「あの動画、俺も見たよ。一緒に映ってる女の子は、大澤だよな?」
私は首を縦に振った。
「良い顔してたな、あいつ。大澤の前だとあんな顔するんだな」
「でも……あれは演技だから」
二人で過ごした時間は、撮影の為に用意されていたシナリオ通りだったのだろう。あれは、カイルという俳優が演じたシーンにすぎない。
「いや、あれはありのままの海路だよ。雑誌見たろ? あっちがKYLEの顔。まるで別人だろ。お前と一緒にいた時のあの笑顔こそが、何も演じていない、本当のあいつだよ」
先生は力強く言った。
本当にそうなら、どんなにいいだろう? あの楽しかった時間が、作り物じゃなかったとしたら——。
「ねえ、先生。那智の『本当の』ご両親のこと、何か知ってますか?」
先生は驚いた顔をした。
「聞いたのか。よっぽど大澤には心を許したんだな、あいつ」
寄せては返す、規則正しい波の音がする。
「海路の本当のご両親は、もう亡くなっているんだ」
「え……? お父さんも……?」
先生は無言で頷いた。
「海路の母親は、当時横行していた外国人詐欺の被害に遭ったんだ。恋愛関係に持ち込んで、心も金も奪ってしまう、悪質な手口だった。海路を授かった時にはもう、相手は逮捕されてな。その後亡くなったよ。当時、ちょっとしたニュースにもなったんだ。海路の母親は、その後を追うように亡くなったそうだ」
「そんな……。那智のお父さんは、ポルトガルのサッカー選手じゃ……」
「ああ、あいつはずっとそう信じてる。今のご両親も困り果ててたよ。海路は未だに、死んだ母親の言葉を信じ続けているって」
キラキラした目で、ポルトガルの話を聞かせてくれた那智を思い出す。
「その方があいつにとって幸せなら、そう思わせてやったほうがいいのかもしれない。だけど、いつか真実と向き合わないといけない時が来たら……。それを思うと、どうしてやるのがあいつにとって一番良いのかわからなくてさ」
那智は、本当は全部わかっているのかもしれない。私はそんな気がした。
いつかの那智の言葉が聞こえる。
——俺にはポルトガルの血が流れてる。だから、あの国は俺の故郷なんだよ。
——俺がリオの海になる。
——どんなに遠くへ行ったとしても、最後は俺のとこに帰ってきたらいい。
そうだ。
那智の言葉は、全部本当の言葉だったんだ。誰も信じなくたっていい。私が、彼を信じていればそれでいい。
どうして一瞬でも、那智に騙されただなんて思ってしまったんだろう?
那智に会いたい。今すぐに。
私は、一言だけ彼にラインを送信した。
もう、見てはもらえないかもしれない。
でも、どうしても彼に伝えたいことがあった。
俺のところに帰ってきたらいい、だなんて。ファンサービスか何かのつもりだったんだろうか。
「大澤!」
私は波打ち際で膝を抱えたまま、眠ってしまっていた。空は茜に変わっている。背後から呼ばれ振り返ると、そこには藤本先生の姿があった。
「あ、先生。こんばんは」
私は先生に向かって無理矢理笑顔を作る。
「お前なあ……。突然学校飛び出して何やってるんだよ……。お腹痛いとか嘘だろ? てっきり家に帰ったのかと思ったのに、母さんからお前が帰って来ないってさっき連絡があって、ずっと探してたんだぞ?」
海は盲点だった、と言いながら先生は大きなため息を吐くと、膝を曲げる格好で私の隣に屈んだ。
「心配させるな、頼むから」
「……ごめんなさい」
ポン、と先生の大きな手が私の頭に置かれた。温かくて、泣きそうになる。
「——那智海路か?」
不意に那智の名前を出され、私は思わず先生を見た。この人の前で、那智の話をしたことは一度もない。
「どうして……」
「母さんから聞いた。その、お前と海路が付き合ってるって。驚いたよ。お前たちには接点が無いから、いつどこで知り合ったんだろうって。でも思い返してみたら、あの日だったんだな」
付き合ってなんかいない。でも、否定はしなかった。
「海路は、俺の生徒だったんだ。一、二年の時の」
「え? 那智は、本当にあの学校の生徒だったの……?」
先生は頷いた。
「あいつは昔から芸能活動をしていて、卒業後に東京へ行ったんだ。あの日は、学校で撮影をしたいから、って久しぶりに顔を見せたんだよ」
そうか。だからあの日、教室は開いていたんだ。
「あいつ、俳優としてはかなり燻っててさ。オーディションも落ちてばかりだ、って高校の頃はかなり自暴自棄だったよ。学校もよくサボってたしな」
昔を懐かしむように、先生は話を続ける。
「あの動画、俺も見たよ。一緒に映ってる女の子は、大澤だよな?」
私は首を縦に振った。
「良い顔してたな、あいつ。大澤の前だとあんな顔するんだな」
「でも……あれは演技だから」
二人で過ごした時間は、撮影の為に用意されていたシナリオ通りだったのだろう。あれは、カイルという俳優が演じたシーンにすぎない。
「いや、あれはありのままの海路だよ。雑誌見たろ? あっちがKYLEの顔。まるで別人だろ。お前と一緒にいた時のあの笑顔こそが、何も演じていない、本当のあいつだよ」
先生は力強く言った。
本当にそうなら、どんなにいいだろう? あの楽しかった時間が、作り物じゃなかったとしたら——。
「ねえ、先生。那智の『本当の』ご両親のこと、何か知ってますか?」
先生は驚いた顔をした。
「聞いたのか。よっぽど大澤には心を許したんだな、あいつ」
寄せては返す、規則正しい波の音がする。
「海路の本当のご両親は、もう亡くなっているんだ」
「え……? お父さんも……?」
先生は無言で頷いた。
「海路の母親は、当時横行していた外国人詐欺の被害に遭ったんだ。恋愛関係に持ち込んで、心も金も奪ってしまう、悪質な手口だった。海路を授かった時にはもう、相手は逮捕されてな。その後亡くなったよ。当時、ちょっとしたニュースにもなったんだ。海路の母親は、その後を追うように亡くなったそうだ」
「そんな……。那智のお父さんは、ポルトガルのサッカー選手じゃ……」
「ああ、あいつはずっとそう信じてる。今のご両親も困り果ててたよ。海路は未だに、死んだ母親の言葉を信じ続けているって」
キラキラした目で、ポルトガルの話を聞かせてくれた那智を思い出す。
「その方があいつにとって幸せなら、そう思わせてやったほうがいいのかもしれない。だけど、いつか真実と向き合わないといけない時が来たら……。それを思うと、どうしてやるのがあいつにとって一番良いのかわからなくてさ」
那智は、本当は全部わかっているのかもしれない。私はそんな気がした。
いつかの那智の言葉が聞こえる。
——俺にはポルトガルの血が流れてる。だから、あの国は俺の故郷なんだよ。
——俺がリオの海になる。
——どんなに遠くへ行ったとしても、最後は俺のとこに帰ってきたらいい。
そうだ。
那智の言葉は、全部本当の言葉だったんだ。誰も信じなくたっていい。私が、彼を信じていればそれでいい。
どうして一瞬でも、那智に騙されただなんて思ってしまったんだろう?
那智に会いたい。今すぐに。
私は、一言だけ彼にラインを送信した。
もう、見てはもらえないかもしれない。
でも、どうしても彼に伝えたいことがあった。