夏休みが終わり、二学期が始まった。
 私は決心した通り、初日から学校へ通った。転校してきてからほとんど顔を出していなかったから、教室に入るのにはずいぶん勇気が必要だった。藤本先生に背中を押され、私は恐る恐るその扉に手を掛けた。
 転校したはずの私が現れて、クラスメイトたちは驚いた。と同時に、喜んでもくれた。「本当はずっと大澤さんとしゃべってみたかったんだ」と言ってくれる人もいた。転校してから一年以上経って、ようやく私はクラスの一員になれた気がした。

「りーおっ! 一緒に帰ろ」

奈央(なお)ちゃん。(かえで)。うん、帰ろう」

 私は初めて、念願の女友達ができた。奈央ちゃんと楓はずっと私のことを気にかけてくれていたらしく、すぐに打ち解けることができた。卒業まではあと少しだけど、この二人とは卒業してからも仲良くしたいと思っている。

「理央ん()でたこ焼き買ってから公園行こっ」

「さんせー!」

 私が担任の藤本先生の実家に居候している、という事実を二人には話した。今ではすっかり澄子さんのたこ焼きのファンとなり、休みの日でもよく買いに来てくれる。可愛い女の子たちが来てくれるようになったと言って、澄子さんは喜んでいる。

「ねえ、理央と楓は卒業したらどうするの?」

 最後のたこ焼きを頬張りながら、奈央ちゃんが聞いた。商店街の近くにある児童公園のベンチは、私たち三人のお気に入りの場所となっている。

「あたしは美容師の専門学校に行こうかと思ってるよ。やっぱ手に職があったほうがいいかなあって。奈央ちゃんは?」

「私は親が大学行けってうるさくて。やりたいこととか特にないから、とりあえず大学入って考えようかな」

 理央は? と二人から視線が向けられる。

「私は……外大に行こうと思ってるよ」

 先日、父に電話でそう伝えると、応援すると言ってくれた。雪国の夏は想像よりも涼しくはないらしい。温暖化の影響だな、と父は言っていた。
 
「そうなんだ! じゃあ将来は外国語を使った仕事に就きたい感じ?」

 奈央ちゃんに聞かれ、私は首を振る。

「ううん、将来のことは正直まだ何も……。ただ、ポルトガルに行きたいと思ってて。だからポルトガル語を勉強したいの」

「ポルトガル?」

 二人がハモったので、思わず笑ってしまった。

「何でまたポルトガル? え、てかポルトガルってどこ?」

「あたしもわかんない」

「ポルトガルは、スペインの隣にある国だよ。南ヨーロッパにある、ユーラシア大陸最西端の国なんだって」

 那智からポルトガルの話を聞いた日の夜、私はそれを自分で調べて知った。ポルトガルのことなんて一つも知らなかったのに、那智の故郷だというだけで興味が湧いた。
 奈央ちゃんと楓は、へええっと頷く。

「でも何でポルトガル? スペインの方がメジャーじゃない?」
 
 確かに。この間まで、私も同じことを思っていた。「リオ」がスペイン語だとは知っていたけれど、ポルトガル語でもあるとは知らなかったくらいだ。
 
「……一緒に、行く約束をしたの。ある人と」

 思い出すのは、那智の顔。夏の太陽が良く似合う、眩しい男の子。

「もしかして彼氏?」

 楓が目を輝かせて聞いた。

「ううん……でも、すごく特別な人」

 そう。誰よりも特別な人だった。そう気が付いたのは、那智に会えなくなったあの日からだ。もっと早く気が付けたら、彼に伝えられたかもしれない。

 那智がこの学校にいないとわかったのは、町へ戻ってすぐのことだった。

 那智海路とは、一体誰だったんだろうか。どうして彼は、本当のことを言ってくれなかったんだろうか。

「そっかあ……。ねえ、理央。今フリーなら、藤本先生とかどうよ?」

「あー、あたしもそれ思ってたー」

 奈央ちゃんと楓が顔を見合わせてニヤニヤしている。どうして周りは先生と私をくっつけたがるのだろう?

「どうって言われても……先生は先生だし……」

「でも先生の実家で暮らしてるんでしょ?」

「先生のお母さんと住んでるだけで、先生とは住んでないって。……毎晩一緒にご飯は食べてるけど……」

 二人が、ひゃーと黄色い声を上げる。

「それって、絶対理央目当てだって! じゃなきゃ四十手前の男が毎日実家には帰らないでしょー」

「そうそう。絶対そう」

 嫁に来ないかだなんて冗談で言われた話は、二人には絶対に黙っておこう。卒業までずっといじられそうだ。

「でもぶっちゃけさ、藤本先生と結婚したら将来安泰じゃない?」

「安泰って、何が?」

「だって教師って公務員でしょ? お給料も安定してるじゃない。それにお母さんは優しい。嫁姑問題に悩むことも無い」

「楓……あんたって結構現実的よね」

 奈央ちゃんが苦笑する。私も同感だ。可愛い顔して、ちゃんといろいろ計算できる子だ。

「まあ、でも良いお父さんにはなりそうよね。先生って」

「あ。それは私も思ってた」

 奈央ちゃんの言葉に私も同調し、三人で笑った。きっと今頃、先生はくしゃみをしているに違いない。

 那智。私、友達とおしゃべりできてるよ? すごく、すごく楽しいよ。あなたに直接そう伝えられたら良かったのに。

 私たちは日が暮れるまで、公園でガールズトークを楽しんだ。将来のことなんてまだわからないけれど、今しかないこの時間を、今は大切にしたいと思った。