「きみは比較的、元気だった。頭を打った程度で、とくに怪我なんかはしていなかった。事故についても覚えていた。両親とはしばらくしたら会える、そんなふうに教えられていたみたいだから、とくに落ち込んでもいないようだった」

「でも」

「篠崎さん、きみが記憶を失ったのはぼくの母親のせいなんだ」

 橘先輩のお母さんはわたしを憎んでいた。
 だから、病院の図書室で息子と遊んでいるのがバスにぶつかった車を運転していた人の娘だとわかったとき、激怒した。幼いわたしに詰め寄り、きつい言葉で責任を追求した。

 両親がすでに亡くなっていることもそのときに告げたという。
 わたしの記憶がなくなったのは、その出来事がきっかけだったと、橘先輩は言った。

「それ以降ぼくはきみと会うことはなかったけど、それでもぼくはきみのことが忘れることができなかった。会話を積み重ねるうちに、自然な形で、ぼくはやけどの跡をきみに見せることになった。そのとき、きみはいまと同じようにキレイだよ、そう言ってくれたんだ」

 橘先輩の口元がかすかに緩んだ。

「あのときの言葉がなければ、ぼくは絶望から抜け出すことはできなかったかもしれない。自宅に帰ったあとも、母親はぼくと距離を置き、必要以上に弟を可愛がるようになった。完璧主義者的なところがあったから、ぼくの体には不満があったのかもしれないけど、そんなときはいつもきみとのやりとりを思い出していたんだ」

 橘先輩はわたしに感謝をしている?
 憎んでいるんじゃなくて?

「きみがぼくと同じ高校に入学していると知ったとき、ぼくは運命を感じた。あの日の感謝を伝えたくて、またきみと同じようにいろんな話がしたくて、それで告白をしたんだ」

「でもそれなら、あのときのことはどうなるんですか?二度目の屋上で、橘先輩、言いましたよね。わたしのことを恨んでいるって。あれはどういうことなんですか?」

「それはぼくも不思議だった。本当はあんなことをいうつもりじゃなかったんだけど」