風を感じながら、私たちは坂道を下っていく。
運転手は染矢君、後部座席には私。自転車の二人乗りは立派な違反だ。けれど、今は深夜。見つかりさえしなければ、周りに咎める人はいなかった。
私たちの間には、恋人同士のような甘やかさは無かった。ただ、この町から離れたい必死さ、親に対する複雑な思いで繋がっていた。
途中途中休憩を挟みながら、出来る範囲で交代しながら、進んで行く。当てはない。走り続けて、空が薄い色へと変わり始める頃、隣の市の目印である海が見えた。
「ようやく、ここまできたか……。」
「そうだね……」
自転車を止める。全体に、キキっという金属音が鳴り響いた。
私たちは、どこか言いようもない達成感を得ていた。
「意外といけるもんだな。深夜、二人乗り、変速機なし、ハンデありまくり状態で。」
「確かに。何か、今なら何でも出来る気がする。」
サンダルに砂が入るのも気にせず、砂浜の方に降り立つ。潮の匂いが漂っていた。
「ねぇ、何であの時プリント拾ってくれたの?」
私は、ダムでは聞かなかった、もう一つの気になっていた事を聞いた。彼は、言いよどみもせず、
「可哀そうなヤツだって思ったから。得にもならねぇ事を、よくやれるなって。裏では陰口言われてんのに。少し、呆れてた。だから、同情心で手を貸した。ただ、それだけ」
私は、その変に取り繕わない解答に安心した。
「……ありがと。それにしても、可哀そうなヤツ……ね。あのさ、染矢君は色々と、その噂されてるけど、気にした事ないの?」
「別に、気にした所でどうにもならねぇもん。それに、誤解を解く気力もねぇ。
そもそも、噂自体が嘘ばっかなんだよ。大体、俺が茶髪なのは、母親の遺伝だし。包帯だらけだったのは、自転車で転んだから、他校の生徒とトラブルになったのは、完全にデマ。オヤジに一方的に殴られただけ。……一々説明してたら、キリがねぇ。だから、気にしたことが無いというより、諦めた。」
まくし立てる彼に、私は認識を改めた。
彼は、気にしてないんじゃないと、ただ諦めて現状を受け入れただけだ、と。
私はもう知っていた。彼が優しい人間である事を。
噂で誤解していたのは、自分も同じな事に気付かされる。何だか、私は悔しくなった。
「ほんと、嫌。噂って……。」
と、他人を責めるような言葉を吐いて、唇を噛みしめる。
「あの不倫教師、『噂は嘘です』って説明しねぇ癖にさ、オレを気にかけてる風にしてくんだよな。」
彼は、ぼやく。誰の事を言っているか分かった私は、つい笑ってしまった。
「ちょっと、やめてよね。まぁ、あの先生の事、元から嫌いだったから良いけど。」
「マジで? 篠田に聞かせてやりてぇ。その言葉。」
私の本音に、彼は笑い飛ばす。そして、
「あー、早く卒業してぇー。さっさと、出て行きてぇ」
と言った。
「そうだね。私も、同じ。早くあんな所から、出ていきたい。」
遠くに行く事を夢想しながら、私は海の方を見た。朝日が昇ってきて、その眩しさに思わず目を瞑った。
「今から、戻っても間に合わねぇな、テスト。」
「さっきはああ言ったけど、卒業、遠のいちゃうかも。」
目標とは正反対の事をしているな、と思いつい渇いた笑いを浮かべてしまう。
「まぁ、風邪ひいたって言えば、何とかなるだろ。委員長は。一応“優等生”だし。
オレは、ダメかもしんねぇけど。」
「そうかも。……そう考えると、無駄じゃ無かったかも。先生たちの印象は少なくとも悪くないし。
あと、安心して。私、染矢君の事めちゃくちゃフォローするから。約束する。
“優等生”はこういう時に本領を発揮しなくちゃ。」
私は、“優等生”をしてきた事を、少しだけ肯定出来た。私の発言に、笑って
「じゃあ、よろしく頼むわ。」
と言った。
昨日の夜からは信じられない程、私の心は軽くなっていた。
染矢君にも、笑顔が増えた、そんな気がしていた。
「てか、オレら、まともに聞けっかな、篠田の授業。」
「……無理かも。駄目だ。因みに、どんな感じだったか、聞きたい?」
「聞きたくねー。世界一聞きたくねぇ。」
そんなくだらない会話をしながら、笑う。もしかしたら、今までで一番穏やかな時間だったかもしれない。
スマホの通知音が鳴るまでは。
「鳴ってる。」
「染矢君こそ。」
最初は気にしていなかった。けれど、お互いのスマホがしつこい程になり続け始める。
先に画面を見た染矢君が顔色を変え、急に叫んだ。
「っおい‼ 早く画面見ろ‼」
その勢いに、私も急いでスマホを見た。通知は、連絡網用に作られた、クラス全員が入っているグループチャットからだった。恐る恐る何が送られてきたのか、確認する。そこには、私たちが二人乗りしている写真が載っていた。私たちはすっかり忘れていたのだ。ここは、噂話がすぐに広まる場所だって事を。
夏の夜の魔法が、解けた瞬間であった。
運転手は染矢君、後部座席には私。自転車の二人乗りは立派な違反だ。けれど、今は深夜。見つかりさえしなければ、周りに咎める人はいなかった。
私たちの間には、恋人同士のような甘やかさは無かった。ただ、この町から離れたい必死さ、親に対する複雑な思いで繋がっていた。
途中途中休憩を挟みながら、出来る範囲で交代しながら、進んで行く。当てはない。走り続けて、空が薄い色へと変わり始める頃、隣の市の目印である海が見えた。
「ようやく、ここまできたか……。」
「そうだね……」
自転車を止める。全体に、キキっという金属音が鳴り響いた。
私たちは、どこか言いようもない達成感を得ていた。
「意外といけるもんだな。深夜、二人乗り、変速機なし、ハンデありまくり状態で。」
「確かに。何か、今なら何でも出来る気がする。」
サンダルに砂が入るのも気にせず、砂浜の方に降り立つ。潮の匂いが漂っていた。
「ねぇ、何であの時プリント拾ってくれたの?」
私は、ダムでは聞かなかった、もう一つの気になっていた事を聞いた。彼は、言いよどみもせず、
「可哀そうなヤツだって思ったから。得にもならねぇ事を、よくやれるなって。裏では陰口言われてんのに。少し、呆れてた。だから、同情心で手を貸した。ただ、それだけ」
私は、その変に取り繕わない解答に安心した。
「……ありがと。それにしても、可哀そうなヤツ……ね。あのさ、染矢君は色々と、その噂されてるけど、気にした事ないの?」
「別に、気にした所でどうにもならねぇもん。それに、誤解を解く気力もねぇ。
そもそも、噂自体が嘘ばっかなんだよ。大体、俺が茶髪なのは、母親の遺伝だし。包帯だらけだったのは、自転車で転んだから、他校の生徒とトラブルになったのは、完全にデマ。オヤジに一方的に殴られただけ。……一々説明してたら、キリがねぇ。だから、気にしたことが無いというより、諦めた。」
まくし立てる彼に、私は認識を改めた。
彼は、気にしてないんじゃないと、ただ諦めて現状を受け入れただけだ、と。
私はもう知っていた。彼が優しい人間である事を。
噂で誤解していたのは、自分も同じな事に気付かされる。何だか、私は悔しくなった。
「ほんと、嫌。噂って……。」
と、他人を責めるような言葉を吐いて、唇を噛みしめる。
「あの不倫教師、『噂は嘘です』って説明しねぇ癖にさ、オレを気にかけてる風にしてくんだよな。」
彼は、ぼやく。誰の事を言っているか分かった私は、つい笑ってしまった。
「ちょっと、やめてよね。まぁ、あの先生の事、元から嫌いだったから良いけど。」
「マジで? 篠田に聞かせてやりてぇ。その言葉。」
私の本音に、彼は笑い飛ばす。そして、
「あー、早く卒業してぇー。さっさと、出て行きてぇ」
と言った。
「そうだね。私も、同じ。早くあんな所から、出ていきたい。」
遠くに行く事を夢想しながら、私は海の方を見た。朝日が昇ってきて、その眩しさに思わず目を瞑った。
「今から、戻っても間に合わねぇな、テスト。」
「さっきはああ言ったけど、卒業、遠のいちゃうかも。」
目標とは正反対の事をしているな、と思いつい渇いた笑いを浮かべてしまう。
「まぁ、風邪ひいたって言えば、何とかなるだろ。委員長は。一応“優等生”だし。
オレは、ダメかもしんねぇけど。」
「そうかも。……そう考えると、無駄じゃ無かったかも。先生たちの印象は少なくとも悪くないし。
あと、安心して。私、染矢君の事めちゃくちゃフォローするから。約束する。
“優等生”はこういう時に本領を発揮しなくちゃ。」
私は、“優等生”をしてきた事を、少しだけ肯定出来た。私の発言に、笑って
「じゃあ、よろしく頼むわ。」
と言った。
昨日の夜からは信じられない程、私の心は軽くなっていた。
染矢君にも、笑顔が増えた、そんな気がしていた。
「てか、オレら、まともに聞けっかな、篠田の授業。」
「……無理かも。駄目だ。因みに、どんな感じだったか、聞きたい?」
「聞きたくねー。世界一聞きたくねぇ。」
そんなくだらない会話をしながら、笑う。もしかしたら、今までで一番穏やかな時間だったかもしれない。
スマホの通知音が鳴るまでは。
「鳴ってる。」
「染矢君こそ。」
最初は気にしていなかった。けれど、お互いのスマホがしつこい程になり続け始める。
先に画面を見た染矢君が顔色を変え、急に叫んだ。
「っおい‼ 早く画面見ろ‼」
その勢いに、私も急いでスマホを見た。通知は、連絡網用に作られた、クラス全員が入っているグループチャットからだった。恐る恐る何が送られてきたのか、確認する。そこには、私たちが二人乗りしている写真が載っていた。私たちはすっかり忘れていたのだ。ここは、噂話がすぐに広まる場所だって事を。
夏の夜の魔法が、解けた瞬間であった。