暫くして、私は大分落ち着きを取り戻していた。ようやく立ち上がり、鼻をスンと鳴らしながら

「何か、色々……付き合わせて、ごめん。」

と、頭を下げた。相手は、ややぶっきらぼうに

「別に、気にしてねぇ。それに、知ってるヤツを夜道に見捨てたら何か、後味わりぃし。」

と答えた。その言葉に私は更に居たたまれなくなり、視線から逃れる様に、無言で俯いてしまった。同時に、取り乱した姿を、気まずいと感じているクラスメイトに見られた、という恥ずかしさがじわじわと湧き上がってくる。私は気の利いた事一つ言えなかった。沈黙が訪れる。夜に良く聞こえる、鈴の音のような虫の鳴き声だけが鳴り響いていた。

「……これから、どうすんの。委員長。」

この状況にしびれを切らしたのか、先に口を開いたのは彼の方だった。
その問いかけに対し、私は何も答えられなかった。
これからどうすればいいか、なんて私の方が聞きたかったから。
何も言わない私に、彼は

「おい、さっきまでの威勢はどうした? 委員長。せめて、返事ぐらいしろよ。ガキじゃねぇんだからさ。」

と言ってきた。彼は別に煽ろうとしたわけでは無いとは思う。けれど、その発言は今の私にとって、とてつもなく癪だった。
つい、

「……じゃあ、染矢君がこれからの事決めてよ。私、分かんないから。」

とつんけんした態度で、八つ当たり気味に提案した。彼は、そんな私の態度を見て

「はぁ?何でオレがお前の……委員長のこれからを決めねぇといけねぇんだよ。意味分かんねぇ。」

と呆れを隠さずにそう言った。若干苛立ち交じりであったかもしれない。
私は、

「だって、この前言ったじゃない。染矢君。中途半端に関わるなって。で、今泣いている私の傍にいて、不必要な問いかけをして、関わっちゃったんだから、最後まで責任持ってよ。」

と先日の仕返しも兼ねて、言い返した。本当なら、私は彼に感謝しなくてはならない立場だ。中々に横柄な態度を取っている自覚はあった。もしかしたら、彼の目には、今私は最高に嫌な奴に見えているかもしれない。けれども、考えるよりも先に言葉が溢れ出てしまい、どうしても“いつもの高山香菜”を演じる事が出来なくなっていた。彼はその私の発言に、

「そっ……れは……。委員長。さてはお前、性格悪いな。」

と言葉を詰まらせながらも、黙り込んでしまうのは嫌だったのか、一言付け足してきた。

「そうかもね。今まで、そんなの言われた事が無かったから、分からないけど。」

彼の一言に私は応じる。不思議とその言葉は、いい子と呼ばれるよりかはいくらかマシに思えた。
私の反応に面白くなさそうに、彼は

「オレさ、今日朝まで家に帰らないつもりだけど。委員長は、家に待ってる人がいるんじゃねぇのか。なら、さっさと帰って寝ろ。どうせテストが不安だ、とかの悩みでこの時間帯に外にいんだろ。」

と、“優等生”なら早く帰れ、と言わんばかりに手で追いやる仕草をした。彼の決めつけたようなその態度に、今度は私が馬鹿にしたように鼻で笑う番だった。

「家に待ってる人とか、私にはいない。私にだって色々理由があるの。家に帰りたくない理由が。それは、染矢君だって同じでしょ。ということで、奇遇ね。私も家には帰るつもりない。絶対に。」

再び沈黙が訪れる。その間、私たちは互いを見つめ合っていた。
その中で、彼の右頬が赤く腫れている事を、再確認することができた。きっと染矢君にも複雑な理由があるんだろうな、と何となく感じた。だから一言だけ

「ごめん、言い過ぎたかも。」

と謝罪した。けれど、その場を動くことはしなかった。私が引かない事が分かったのか、染矢君は

「分かったよ。要は、中途半端に関わるなって事だろ。……じゃあ、オレの家出に付き合え。気が変わったら、離脱していいから。但し、文句は言うなよ。」

と渋々提案してきた。私は、その提案にすぐに頷いた。


私は、染矢君の後ろを付いていった。コンビニに途中で寄ったとき以外、私たちの間に会話は無かった。
ただ、いつでも自転車に乗って私を置いていく事も出来るのに、それをしない辺り優しいのだろう、と感じた。。
随分と長い距離を歩いた気がする。若干険しい道を超えて、着いた場所は立ち入り禁止のダムだった。

「入るぞ」

「えっ?」

「文句言わない。」

驚く私を余所に、彼は慣れた手つきでフェンスを開け、自転車ごとその中に入っていった。どうやら、警備は随分と杜撰であるようだった。私は戸惑ったけれど、さっきより更に暗い場所に一人でいる勇気も無かったため、そのまま付いていった。勢いよく流れる水の音が聞こえる。懐中電灯まで用意している事から、元々彼はここに来る予定の様らしかった。彼は、自転車を止めるとコンクリートの上に座り込んだ。私も、それに倣ってつかず離れずの距離で、隣に座った。プシュッという音とアイスの咀嚼音、水の音。会話は無かった。
私は、染矢くんがどんな表情をしているのか気になって、隣を見た。何を考えているのかは分からない。けれど、懐中電灯に照らされた痛々しい右頬が、よく見えた。
すると、向こうが突然口を開いてきた。

「……ねぇ、委員長ってさ、バイトとかしてる?」

急に飛んできた質問に、単純に驚く。

「どうしたの、いきなり。」

「いや、何となく気になって……。嫌なら、答えないでいいけど。」

「別に、そんなんじゃないけど。一応、やってる。本屋。そう言う染矢君は。やってるの、バイト。」

「オレ?オレは、飲食店と時々単発。……委員長はさ、何でバイトしてんの?」

意外と会話が続いたことに驚きつつも、私は彼の問いかけに自然と、素直に返答していた。

「……家を出た時の資金の為。そっちは?」

「オレも、一緒。」

この会話を皮切りに、私たちはポツリポツリと色々な事を話した。
二人だけという空間も影響していたのかもしれない。
苦手科目、好きな食べ物……どれもこれも初歩的な内容だったと思う。ただ、お互いを知るにはそれで十分だった。そして、質問が出尽くしたのか、彼は核心に迫る事を聞いてきた。

「なぁ……何で、委員長は家出したの?」

その問いに対し、つい私も気になっていた事を聞き返す。

「逆に聞くけど……何で、右頬腫れてるの?」

「質問を質問で返すなよ。」

彼はそう言ったが、嫌そうでは無かった。私も、話しても構わないと感じていた。
もしかしたら、今日私たちは誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。他でもない、自分の話を。